カクヨム漢文倶楽部の原点にして頂点

「あぁ! こう言う作品公開の楽しみ方もあるんだ! これは面白い!」と言う、のっけからカク人間の視点での興奮を書かずにおれないわけなのですけれども。

 現代人が一通りのことを学ばなきゃ原文で理解できない文章、例えばこのカクヨムにある光源氏や三国志もそうなんですが、そう言う「なんだか難しいもの」をいかにエンタメの世界に引きずり下ろせるか、は非常にチャレンジャブルな試みであると思っています。しかも、敢えて原文(と、訓読文)と言う、エンタメと学習との境目の向こうにあるものも保持しておく。これによって、学術的書物よりもより気軽に作品原文の世界に踏み込むことができるようになる。

 実際のとこ「その言葉」で書かれた作品ってのは「その言葉」で読まれるべきだと思うんですよ。だってそこが作者の生の言葉なんだもの。例えば、この襄陽守城録。主人公趙萬年の生の言葉は、作中で氷月あやさんが悲鳴を上げられている事からもわかる通り(笑)、現代中国語と古典的漢文とのはざまに存在しています。その息遣いを忠実に訳すのに、氷月あやさんは非常に苦心なさっておられていました。

 この作品、注がもはやエッセイの域である、のが素敵なのです。氷月さんを通じて、今と昔の誰かをつなげる。そこにはどんな配慮が必要なのか、常識や肌感覚の齟齬をいかに埋めることができるだろうか。

 氷月あやさんは趙萬年を「朋友」と呼んでいます。さもありなんです。時間、空間を越えて、書かれた文字を通して、その言葉がつづられた意図を丹念に追っていく。そこには理解や共感といったものが求められましょう。

 この作品はまた、氷月あやさんの作品「守城のタクティクス」 https://kakuyomu.jp/works/1177354054884546369 の屋台骨ともなっています。朋友との対話を経て、そこに氷月あやさんがどのような人々の息吹を見出されたのか。我々ヨム人たちは、その経過を目撃することが許されている。これは非常に贅沢なことだ、と言えるでしょう。


 以降自分のことになるわけですが、自分も過去の人が書いた文章を「原文付きで」翻訳する作品を公開しています。ぶっちゃけこの作品のパクりです(笑)。そして思いました、昔の人も自分も、同じ人間なんですよね。様々な規範や常識と言う断絶の向こうには、結局同じ喜怒哀楽を抱える人間たちがいる。そう言う人たちとの対話は、非常に、面白い。

 カクヨム漢文倶楽部、楽しいよ。
 ぜひ、ご参加を。

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