おもしろい人なのかも知れない
こんにちは、と店に入って行くと、店主は棚の前で何かを並べていた。
「ああ、いらっしゃいませ。お待ちしていましたよ」
そう言いながら、手を止めようとする。
「遊びに来たのですから、お仕事の続きをなさってください。時間が差し迫っているわけじゃないんです」
返事をしてから、並べているものを見た。
「蕎麦猪口ですか」
質問ではないので何の気なしに発音しただけだが、店主は嬉しそうに振り向いた。
「ちょく、と発音しましたね」
「あ、はい。祖父がそう言っていたので。ちょこが正しいのでしょうか」
祖父は猪口を『ちょく』と発音していた。自分が酒を飲める年齢になってから、他の人たちが『ちょこ』と発音すると知ったが、慣れた発音はなかなか変えられない。
「いえ、実は僕もそうなんです。ところがヘンだと笑われたことがあって。『ちょく』が転じて『ちょこ』になったのだから、どちらも正しいはずなのですが。それで田舎者と決めつけられて、悔しくて語源まで調べた結果を相手のデスクの上にプリントして置いてやりました」
デスクと言うからには、どこかの会社での出来事だったのだろう。シャツにネクタイの男がドヤ顔で、自分の主張の根拠を相手に突きつけるって、まるで。
「こっちのほうが正しいんだからな、なんて膨れてる子供みたい」
つい、いらない感想が出る。店主も低く笑った。
「僕もそう思いました。大人気ないんです、僕」
並べ終えてから、少し離れて色味を確認している。白地に藍色が主体だが、赤や緑がところどころに混じる。意外とポップなデザインで、使い道を限定するのは惜しい気がする。
せっかく並べたのだからと、佑香もそれを見ているうちに気になるものも出てくる。跳ねるウサギの上に、月だけが金の色をつけている。お値段はいかほどだろうかと、手に取った。
「良いでしょう、それ」
途端に声がかかる。
「良いですね、状態も綺麗で。これも古物なんですか」
「未使用かも知れませんね。おばあちゃんコレクターからお預かりしたもので、お子さんに食器の趣味がないから、捨てられてしまうならば使ってくれる人に譲りたいとのことでしたから」
「そのかたは、もうコレクションなさらない?」
「老人施設に入られるのに、持っては行けないからと」
自分の資産をそういう理由で手放す人もいるのか。そう考えると、自分一人で暮らしている現在は、絶対ないとは言い切れないもしもの時のために、モノを増やすのは良くないことなのかも知れない。逡巡して、蕎麦猪口から手を離した。
「まあ、カウンターへどうぞ。試した結果、炭酸で割るのが一番おいしいと思いました。炭酸は大丈夫ですか」
カウンターの外側のパイプ椅子に掛けると、内側の小型冷蔵庫から手製のラベルの貼ってある瓶とペットボトルの炭酸水が出てきた。水切りラックから持ち上げられたグラスはやはり祖母の家で見たような古い花のプリントで、なんだか時代を跨いでいるような気がする。
「手作りのジュースなんですか」
「そうです。祖母の家の隣の奥さんが、こういうものを仕込むのが好きで」
雑な割合でシロップを希釈しながら答え、氷を放り込んでから、あることに気がついたらしい。
「もしかしたら、他人の手作りはダメな性質の人でした?」
それは誘う前に確認すべき事柄だろう。
「いえ、むしろ他人が手を掛けてくれると余計に美味しいと思う性分です。いただきます」
もう店主が味見をしているのだから不味いものではないだろうと、口に含む。甘みと酸味、そして炭酸の刺激が口の中に広がるが、後口が残らず爽やかだ。
「美味しい。優しい味なんですね。渋みは感じない」
感想を告げると、店主は嬉しそうに笑った。
「良かったです。ひとりで味見したときは、実はビクビクしてました。なんていうか、未知のものには不信感を感じますよね。だけど飲んでみたら、昔祖母が作っていたものだと気がつきました。炭酸じゃなくて、水で割ってましたが」
なんだか、会話の中に祖母の家って単語がたくさん出てくる。
「おばあさまの家に、頻繁に行かれるんですね。お近くなのかと思えば、裏山があったり近所のかたとおつきあいがあったり。不思議」
あまり立ち入りたいわけではないが、まだ話題の少ない間柄だ。
「祖母はもういないんですが、どうしてもそう呼んじゃいますね。正確には僕の家なんです。相続した叔父から買い取りまして、僕の活動拠点になってます。車なら近いんですが、公共の交通機関が極端に少ないので過疎になっている場所です」
一軒家を書い取るお金があるのか、と見当違いの感想を持ち、佑香は頷く。そして金に換算する自分が少しいやになる。ヤマブドウのソーダは爽やかで美味しいのに、自分はこんなに世俗的だ。見透かしたように店主は言う。
「過疎って言いましたでしょ? 僕が持っていたお金程度で買えたんですよ。たまたま手持ちにしたくない泡銭があったので、そこで全部使いました」
そこで話が変わった。
「先日のストール、実はそのジュースの副産品らしいですよ。ブドウを絞るときにあの生地を使って、綺麗に染め上がったから色止めしたらしいです」
「では私は、ヤマブドウの恵みを余すところなく受け取ったってことですね」
「いえ、まだまだ。籠を編むことを趣味にしている人がいますから、毎年一つか二つ、ヤマブドウも編むそうです」
「大変なことを言わないでください。国産の籠って、とんでもなく高価じゃないですか」
「あ、良いお客さんを捕まえたと思ったのに」
話のテンポが妙に一致して、とても楽だ。これは同年代の為せる業なのか。
「すみません、そういえば名乗っていませんでした。僕、みやこぐさ店主の、
店の住所と連絡先を記した名刺が出てきた。
「こちらこそお邪魔しておいて、申し遅れました。藤崎佑香と申します」
今更ながら名乗りあい、顔を見合わせて笑った。
「まさか星まつりのランタンを作ったかたがいるとは、夢にも思わず」
佑香がそう言うと、真はこう返事する。
「その製作を興味深そうに聞く人がいるとは想像もせず」
けしてマイナーな小説ではなく、ありがちな植物から製作するものなのに、普段の交友相手ではそんなことは話題にすらならなかった。
ごちそうさまでした、蕎麦猪口は少し考えてから買いに来ますと店を出た。
「無理に何か買われなくても、遊びに来てください。また何か、面白いものを探しておきます」
店主はそう言って、店先で頭を下げて見送ってくれた。ただそれだけの日だったし、時間は正味で三十分程度。けれどヤマブドウジュース以外に、何か楽しいことを経験した気がする。
おもしろいかも。あの人と仲良くなれば、もっと興味の範囲が広がるかも知れない。会社の人間関係だけじゃなくて、もう少しだけ豊かな趣味が。
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