帰りたいわけじゃないんだけど

 同僚との会話で十五夜の話になり、ふと実家を思い出した。佑香の母は季節行事にマメな性質で、月見団子とススキを供えて月を眺めるのが常だった。農家じゃないんだから収穫に感謝しても仕方ないじゃないかと、憎まれ口を叩くような思春期でも、団子の恩恵には与っていたのだ。

 母親のように上手にはできないけど、上新粉を買って団子を作ってみようか。十五個も一人では食べられないから、翌日会社に持って行っておやつに出してしまえば良いかしらと考えながら、夜道を歩く。


 駅前の生花店を覗くと、ハロウィンの飾りつけになっていた。オレンジとパープルに彩られ、魔女の帽子やジャックオランタンのピックが並んでいる。いらっしゃいませと挨拶され、慌てて頭を引っ込めた。ススキはありませんかと質問するほど情熱をもって欲しいものでもないし、実際欲しいのかどうかもはっきりしない。ただ実家の大ぶりの花瓶のイメージだけがあって、眺めたかっただけのような気がする。


 駅前通りを抜ける前、ふと風変わりな店を思い出した。道端の花を売っていた店、あそこに行けばススキくらい置いてあっても不思議じゃない。早々に潰れていなければ、の話だが。

 あの場所では、とても他人の目になんかつかないだろう。売っているものも、どうしても欲しいものなんて無かった気がする。少し古い家に行けばどこにでもありそうな物ばかりで、捨てることはあっても買うことなんてない。


 路地に入る前に、灯りが点いているかどうか確認した。たかだか数メートル歩く労力を惜しむなんて、不精になったものだ。自分の部屋を整え始めたころには、カップ一つ買うことにすら、デザインとセンスにこだわっていた気がする。感性に合うものしか欲しくない、なんて言って何軒も探して歩いた。そんな情熱は、もうない。使い勝手が良くて飽きないものを、自分の分だけ持っていればいい。


 店の前に置いてある鉢は、懸崖に作った小菊の鉢だ。まだ色の着いていない蕾がびっしりと並んでいて、これからどんな色の花が咲くのかわからない。人を呼ぶにはインパクトが弱いななんて、商売に携わったことのない佑香でも思う。客の目を惹かない入り口は、目立たないだけじゃなくて入り難いのだ。歓迎されているイメージを抱くのが難しい。


 入り口から中を覗きこむと、佑香が望んでいるものが目に入った。大きな壺にたくさんのススキが活けられ、その横にピンク色のハギの花が零れそうに咲いた壺、ガラスの花瓶に活けられたワレモコウとミズヒキソウ、秋の野花が並べられている。

 目の奥に、育った場所の風景が再現される。国道を少し離れれば広がる田園風景と、自転車を押しながらお喋りした夕方の道、橋の上から見下ろした川原の風。


 立ち竦んだ佑香に、カウンターの奥から声がかかった。

「いらっしゃいませ」

 現実の声で我に返り、佑香も曖昧な笑みで挨拶をする。一瞬強く感じた望郷の念は、瞬間で霧散した。遅くとった夏休みに帰省し、その時ですら散歩なんかしなかった。変わり映えのない田舎の風景なんて、見ても仕方ないではないかと。

「ススキをお求めですか」

 そう訊ねられて、頷こうとして思い至った。

「ごめんなさい、見に来ただけなんです。花瓶がなくて」

 店主はくすりと小さく笑った。

「ここでも花瓶は置いてありますが、短く切って牛乳瓶も良いですよ」


 小さな店では断る逃げ場が難しい。金額を見ても数百円のものだし、一本くらい買ってしまっても良いかも知れない。

「じゃ、一本だけいただけますか」

「すみませんね、押しつけたみたいで。なんだかとても幸福そうな顔をして眺めておられたので」

 店主はカウンターの下から牛乳瓶を取り出し、長さを合わせてススキの穂と葉を切った。そしてハギの壺から横枝を数本切り、形を整えて輪ゴムをかける。何をしているのだろうと疑問に思いながら会計を待っていると、店主の持っていた牛乳瓶の口までくるりと古い新聞紙で包まれ、藁できちんと結ばれた。水を差し、花が入れられる。

「えっと、それもいただいて良いんですか」

「あ、余計でした? すみません、家に瓶とか溜めてないタイプだと思っちゃって」

「いえ、助かります。コップくらいしか思いつきませんでしたから」


 請求はススキ一本分の金額だけだった。小さな袋にいれてもらったそれを抱え、帰途につく。狭いダイニングキッチンのテーブルにそれを飾り、今晩は母に電話をかけようか。両親だけになってしまった家でも、母は律儀に十五夜の用意をしているのだろうか。それとも隣町に住む兄夫婦と甥に、月見団子を届けているかな。


 自分の生活の基盤はもう、ここにある。育った場所の生活に戻ることは、きっとない。そんなことは承知で、庭を歩くサンダルの感触が、足の裏に蘇ってくる。自分は子供のころの幸福な記憶を持っていて、それがどんなに得難いものなのか、今になればわかる。

 一人の部屋の電灯のスイッチを押し、ダイニングテーブルの上にススキを飾った。

 


 


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る