第2粒 大体みんな孤独です(2)
◆
次の日、私は急遽現世に帰ることになった。呪文一つで行ったり来たりが出来るっていいよね。変な呪文だけど。
滅多にいじらないセミロングの髪を編み込んで、薄い緑色のワンピースを着て、薄く化粧もした。電車を待つホームは、夕方とはいえ蒸し暑い。早く冷房が効いた電車の中に入りたい、と思った時、ハンドバックにしまったスマホが振動する。メールではなく、電話だ。
画面は、『母』と表示されていた。……めんどくさい人が、面倒な時に。
このまま見なかったことにしようか、と一瞬思ったけど、後がもっと面倒になりそうなので、結局電話を取った。
「……もしもし」
『あ、コヨミ! 久しぶり、元気にしてた?』
耳を突き刺すような高い声。それだけで頭が痛い。
「元気してたよ。母さんは?」
『うん、元気ぃ!』
〈1番ホームに電車が到着します。ご注意ください……〉というアナウンスが流れる。
「あのね、母さん。今忙しいんだ。後で掛けなおすね」
『あのね、コヨミ! 今夏休みなんでしょ、一緒に旅行しない⁉』
私の返事は無視か。いつものことだけど。そのくせ私が無視すると、この母は機嫌を損なうのだ。律儀に返すしかない。
「ごめん、もう予定があるから」
『えー。そんなこと言わないでよ』
何か言っている気がするが、到着する電車の音で、声が拾いづらい。どうせなら全部聞こえなかったならよかったのに、どうして、その言葉だけが拾えてしまったんだろう。
『もう、ホテル予約しちゃったよ☆』
……到着した電車の音も、人が歩く様子も、ホームを通り抜ける風も、なくなった気がした。綺麗な夕焼けも、デジタルスクリーンのように見える。
『だからぁ、キャンセル代払わないといけなくなるし。ね、お父さんも楽しみにしてるし、一緒に行こ⁉』
胃酸のような唾が、頬に溜まって気持ち悪い。
嫌悪感をかき消したかったのか、無意識に奥歯が頬の肉を噛んでいた。
「……ふざけないでよ。何で勝手に決めるの‼」
ありったけの声を出す。
「絶対に行かないし、二人で勝手に行ってよ‼」
電話を切り、スマホの電源も消す。
前を通り過ぎた人が、こちらを一瞥して電車に入った。
顔を伏せながら、私も電車へ入る。
自分中心にしか物が考えられない親が嫌いで、家を飛び出した。
なのに、いまだに母の電話を着信拒否できないのはなんでだ。
白いカーペットに、白いテーブルクロスが掛けられた机。会場にいる人数は大体六十人ほど。香水の匂いと、照明の光でだいぶ疲れる。ソファに腰かけて休憩していると、クラスメイトだった女二人がやって来た。
「コヨミじゃん! 久しぶり!」
「……江頭ちゃんに、土井さん。久しぶり」
二人は高校が違ったし、地元を離れた就職組。年賀状は交換してたけど、実際に会うのは本当に久しぶりだ。
「なんか疲れてんね。水貰ってこよっか?」
「……いい。さっき飲んだから。ありがと」
「死人みたいな顔してるねえ」
土井さんが背中を擦ってくれた。ありがたい。
中高時代の私は、貧血でしょっちゅう倒れていた。中学時代はこの二人にたくさん助けられたんだよなあ。
「大学どお? コヨミ農大に受かったんでしょ? 農業やんの?」
「だから、農学部っていうのはバイオテクノロジーを主に勉強するんであって、農業だけじゃないんだってば……」
「ああ、そうだっけ。あれだよね、リケジョ!」
私の学科は、
座学よりも実技が好きだった彼女だ。何度説明しても、ピンとこないんだろう。
「いやでも、コヨミは昔っから頭が良かったからなあ! お兄さんの方はもっとすごかったけど!」
「江頭ちゃんっ」
「いーよ、土井さん。事実だからさ……」
頭がいいと言っても、私は県模試でようやく名前が載るレベル。ハルヒロは、何もしなくても全国トップクラスだ。だから教師によく比べられたが、私は品行方正な優等生で、ハルヒロは斜め上を行く問題児。対照的だと言いたかったんだろう。
「そういや、コヨミ隣の県の高校に行ったんでしょ? お兄さんの世界放浪と比べればあれだけど、やっぱビックリしたよ」
「私も。コヨミは寮生活だったの?」
「うんにゃ、伯母の家」
「なんで家でたの? 二人して」
江頭さんのつけたリップグロスが、照明に反射する。
「……親に、殺されそうになったから」
そう言うと、二人は一瞬目を丸くして、
「まったまた、冗談きついよ!」
と言って、笑いだす。
冗談だと思ってるんだろう。でも、本当だ。一度、包丁の先を向けられた。そうじゃなくても、精神的な暴力で散々殺されかけた。でも後者は、そこまで深刻なことだとは思われない。包丁で刺された、といえば一言で伝わるが、言葉の暴力や束縛を説明するには、そうもいかない。
敵意で傷つけられることより、苦しみが正しく伝わらない方がしんどい。多分これが、私の孤独。
孤独は寂しいものじゃないと、偉そうにアラン君に言ったけど。多分私、今、ひっどい顔してるんだろうなあ。
そう思いながら、持っていたシャンパンを飲みほした。
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