第2粒 大体みんな孤独です(1)

 休憩室で突然始まった、青年VSコウさん。


「待ち伏せした甲斐があったぜ、フォーカスのコウ」

「……ずいぶん熱烈な歓迎だねぇ」


 精悍な顔をしたコウさんの、妖しい笑み。

 ソファから立ち上がった青年は、床を蹴り上げコウさんの懐へ。

 今まさに男の闘いが始まるゴングが――‼




「さらに店壊す気かぁ‼」



 ……鳴らなかった。

 ゴォンと鳴ったのは、即試合終了の合図、二人の脳天にフライパンが直撃した音。

 般若の顔をしたマスターが、二人の闘いを止めたのだ。

 実はマスターはものすごく強い。私がオルなんとか海賊を止めに入ったのも、マスターが怒る前に店から追い出したかったからである。

 気絶し、倒れた二人。先に意識を取り戻したのは、コウさんだった。


「たまにいるんだよ。血走った若い奴がハクをつけるために、名のある海賊にケンカを売るんだ。まあ、俺も昔はそうだったけど」

「どーしてそこまでケンカするんです、マスター?」

「僕もわかんないなあ。ケンカしたって腹減るだけだし」


 私たちの正直なコメントに、苦笑いのコウさん。


「とにかく、うちで預かるわ。暴れられたら面倒だし、目ぇ覚ます前に船に……そうだ。コヨミちゃんも船に来ねえかい? 船長も会いたがっているよ」

「そうしたいのは山々なんですけど、実はハルヒロが、ここに来ることになってて」

「ハルヒロが? 懐かしいねえ、いつ来るんだい?」


 それが全然来ないんですよ、と答える前に、着信音が遮った。

 ……着信音?

 スマホの画面は『ハルヒロ』。

『すまん。今日は無理。辿りつくのに暫くかかる』というメール。

 ここ異世界だよな? なんで電波が飛んでるの? なんでメール来るの?

 兄の遅刻よりも、そっちの事実に衝撃を受ける私。


「……ハルヒロ、今日は無理だそうです」

「じゃあ、船に行っちゃったら? せっかくなんだし」

 そうさせていただきます、マスター。


               ◆


 石畳の道路。橋の下を通るゴンドラ。大きな風車が回っている。

 汽水域の大河が流れるこのモラン村は、ネーデリア王国の中でも裕福な方だ。

 特産品はビール、ガラス工芸。特にビールは、エールが人気だ。

 ここで豆知識。日本人が好きなビールは、ラガーの方。エールとの大まかな違いを述べると、


一 上面発酵がエール、下面発酵がラガー。糖化された麦をアルコールに変える酵母菌が、液体の中を浮上しているタイプか、沈殿しているタイプかで決まる。

二 エールのほとんどはホップ(苦味・保存料)を使う。

三 エールの方が味のバリエーションが多いらしい。


 ただ、私がお世話になっている酒場では、『エダマメとラガー』の組み合わせが一番売れている。他のところでは見られないメニューっていうのもあるだろうけど、エダマメ製造魔女の私としてはうれしい。フォーカスの皆も、大好きなメニューだ。

 ……でも、昼間っからビールはちょっと。どんちゃん騒ぎが船室から聴こえる。さっきからずっとつまみのエダマメを作らされ、疲れたのでデッキに逃げてきた。

 デッキには、先客がいた。あぐらをかいて、船首の方へ向くあの青年。褐色の腕や頬には、手当のガーゼが貼ってある。褐色の肌によく映える淡い金髪が、風でなびいていた。


「アラン君」


 彼の名前を呼ぶ。しかし、彼は振り向かなかった。私は気にせず隣に座る。

 目を覚ましたアラン君は、その後ずっと船室で散々物に当たり散らしたり、船員相手に暴れたりしたのだ。その時のケガで、首をちょっと痛めてしまったらしい。


「……えっと、あんたはたしか」

「コヨミだよ」


 小さな夜が美しいと書いて小夜美コヨミだ。


「よく俺の隣に座れるな。あんだけ暴れているところ見てて……怖くないのかよ?」

「怖くないわよ、全然。私が怖いのは退屈と、小麦粉の袋やクローゼットのドアに穴があってこりゃネズミがいるなと思いながら眠りにつきそうになった途端屋根裏から聴こえてくる足音よ」

「怖さのチョイス、なんでそれにした?」

「それに、あの時席から立って、私を庇おうとしてくれたじゃない」


 アラン君がちょっと黙った。


「……別にあんたのためじゃ」

「私の右肩に、手を置いたよね。私より前に出ようとしたんでしょ」


 そのせいでフライパンが顔面に直撃したんだけどね。


「悪い人じゃないことはわかるよ。多分、色んなことがあって、こんなことになってるんだよなって」

「……知ったように言いやがって」


 アラン君は身体ごと私の方へ向いた。


「生まれたときから両親はいねえ。血の繋がりもねえほとんど他人の親戚間でたらい回し。適当に働かされて、口答えしたら殴られんのは毎日、食べるメシがなくなったらハイさよなら、おまけにこの容姿でバカにされる! たしかにそういうのはムカついていたけどなっ、こんなこと世の中にはゴロゴロあるぜ。同情して聖者気取りたいんなら他当たれ!」

「……一つ言っておくわよ」


 私はグワシっと彼の頬をつかむ。


いでぇっ!」

「あ、ごめん」


 首痛めてるのに強くやりすぎた。今度はやさしく頬に手を当てる。あらやだ卵肌。


「な、なんだよ」

「アラン君。同情も共感もしない人と喋るのはねえ……。


超ぉぉ、疲れるわよっっ……」



 一拍の間があく。


「……は?」

「もうね、自分から『なにそれぇ、教えて☆』とか言っておいて、相槌も打つどころか『あ、もういい。つまんない☆』とかいうのよ。聞きたがりのくせに興味はほぼゼロなのよ」

「……あ、あの。どんどんまた力が籠ってきてるんだけど……頬の肉がギチギチ言ってんですが」

「共感力の欠片もない人間なんてねぇ、『そんなの自分には関係ない』って態度一徹なのよ、自分が法律だと思ってんのよ! そんな奴と話すのはねえ、時間の無駄なのよぉ!」

「わかった! わかったから、落ち着けぇ!」


 は、また暴走していた。手を離すと、アラン君の頬に爪が食い込んでいた。ご、ごめんね……。


「つ、つまりね。私は、せっかく人が話してくれるのに、共感も同情もしないのは、相手に失礼だと思っているの。君のプライドに関わる言い方したのは悪かったわよ。ごめんなさい」


 私にとってそれだけのことよ、と言うと、アラン君は戸惑いながらうなずいた。


「お、怒って悪かった。すまん」


 ちょっとビックリした。もっと刺々しい態度をとるかと思っていたのに、なんて素直な応答。やっぱり、根っこは善良なんだな。

 それに、自分の身に降りかかる災難を他人のせいにせず、一つずつ乗り越えてきたことが、よくわかる。それがどれだけ難しいか。

 私は、そんな風に、強く生きているだろうか。そう思うと、口が勝手に動いていた。


「……自分の中に、他の人には一生理解できないものがあって。それを孤独って呼ぶんだろうけど、寂しいものでも悲しいものでもないと私は考えるよ」


 こんな慰め、あってもなくても、アラン君は自分でどうにかするんだろうけど。

 こんな良い人の安らげる場所が、早く見つかって欲しいと思うのだ。


「誰にも理解されなくても、孤独があるってことを、知ってくれる人が一人いてくれるだけでいいと思うのよ。――あなたにも見つかるよ。絶対」


 上を見上げると、帆が閉じているせいで、空が開けていた。

 海に負けないほど青い空に、一羽の鳥が飛んでいた。それを眺めていると、



「あ、明日、中学校の同窓会があるんだった」

 我ながら唐突に思い出すなあ、と思った。

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