技術者たちの美しく哀しい夢

例えばプロジェクトXに見るようなエンジニアたちのひたむきな情熱や、映画『風立ちぬ』の主人公のまっすぐな生き様にたまらない美しさを感じるような人であれば、この物語はうってつけだと言えるだろう。宗教、偏見、国家などの障害を乗り越え、我を通し歴史を変えてきた技術者たちの現実の物語が、ファンタジーを利用することで見事にパッケージングされているからだ。
作品は前編後編に分かれており、前編は精巧な偽史の出版物を読み解くようになっており、ここだけでも十分な面白さがある。簡略化された資料でも、必要な(架空の)引用を怠らない書き手の技量によって、偽りの世界の本物の情景が生き生きと読者の脳内に浮かんでくるのだ。
 特に、飛行機技術が完成し、竜類最初のパイロットとなった雄の随想録は見事の一言である。

ベイリン式飛行機テスト・パイロットのカッセン・ヤッケルは、当時の心境を手記に綴っている。

 ――言い聞かせた。それしかなかった。何度も試験飛行はやった。俺は元より気球乗りだった。整備も、天候も、完璧だ。失敗しようがない。失敗するわけがない。そう何度も何度も自分に言い聞かせた。そうでもしなければ、俺は正気を保てなかった。

 ――何で俺たちは長い長い間空に帰りたがっていたのか。俺にはそれが疑問だった。あのベイリンとかいう郵便屋が、何故あんなに空へ熱くなるのかもまるで分からなかった。だけど試験飛行で初めて飛んだその瞬間から、俺は理解した。そこは、確かに俺たちの世界だった。俺は進化論支持者だ。俺たちの先祖が、あんなフレスコ画に描かれたような神聖な生き物だった訳がないと頭では分かっている。だけど俺はあの時、心から信じられたんだ。ああ俺たちは昔、やっぱり竜だったんだ、って。そう思うと、尻尾の震えが止まったんだ。あんな大勢の前でも、あの真っ白な翼を飼い馴らせる気がしたんだ。

まるで、今にも田口トモロヲの朗読が始まりそうなワンシーンではないだろうか。

そして後編では資料では語られなかった、もしくは迷信とされてきた竜たちの人生と想いが、神の視点を持つ書き手によって小説として描かれることになる。あらましだけだった前編に肉づけがされていくのだが、物語が設計図たる前編から製造たる後編によって完成し“飛行する”あたり、この作品はまさに飛行機そのものと言えるのかもしれない。

作者の確かな技量で造り込まれた文章と構成によって作品世界が偽りのないものとなり、そしてついに物語が蒼穹を羽ばたくとき、読者は大空を掴んだ竜たちの情熱の美しさと、歴史に泡沫と消えた竜たちの悲しさを想いながら飛行機雲を見るだろう。人が空を見上げるとき、その胸に様々な想いが去来するように。


※自主企画した「ファンタジーパンク」参加作品でしたが、募集要項へのマッチ具合と作品のレベルから星三つとしました。