S区S町殺人事件
糾縄カフク
Cadaver Under the blue sheet.
これは僕が荷揚げのバイトをしていた頃の話。
当時上京したてだった僕は、手っ取り早く日銭を稼げる、荷揚げ屋の仕事に従事していた。時給では無く現場の数で日当が決まるこの仕事は、朝・昼・夜と連勤するだけで、翌日には三万近くの給料が振り込まれているという事もあり、中々に割がよかった。
その日の現場はN区の某所。西武池袋線の駅を降りて徒歩20分はかかる、少なくとも立地的にはハズレの現場だった。一口に荷揚げと言っても、全てが全て資材の搬入という訳ではない。解体の補助からゴミ出し清掃まで、要するに依頼主からすれば、安く使える何でも屋だ。僕は雨上がりの公園を歩く中、せめて早上がりが出来ればいいなと憂鬱な気分でいた。
やがて見えてくるのは、新築の一戸建て。駅から少々離れているともあり、その分やや豪奢といっていい外観。確か指示書にはクリーニングの手元とあったが、この手の物件は些かに面倒だ。なにせ最近の客は、ちっとやそっとの傷でやけに煩い。まあそれで買い控えるかと言えばそうではなく、傷があるんだから安くしてくれよという、とどのつまりはユスリタカリの類だと思ってもらえればいい。最も中には「壁の塗り方が気に食わないから、全部やり直せ」だとか、そんなトンデモ連中までいる訳だから一概には言えないが、とまれ、日本が自殺大国であるという理由だけは、漫然と頷ける次第だろう。
さて現場に着いた僕は、先ず先方の監督に電話をかける。開始時刻は八時とあったが、それらしき車は無い。案の定「昼過ぎに着くから」といつも通りの返事を受け「分かりました」と電話を切る。大手住宅メーカーの従業員たる彼は、幾つかの現場を掛け持っており非常に忙しい。そのため僕などは電話越しに指示を貰いあれこれと作業をせざるを得ないケースが多く、少々やりづらい……というか、通話用の携帯にプリペイドを使っていた僕にとっては、こちらからかける電話そのものが財布に痛いのだ。
しかして作業をしておけと言われれば従わざるを得ないのが社会人のツライ所。確か職人さんが居るはずだけどと言われ、しぶしぶ周りを探って歩く。すると奥まった林の中に、一台だけ白いバンが停めてある事にようやっと気づいた。
「誰かいませんか?」
これは万が一雨が降る場合の事を考慮し、木陰に車を置いたのだろうとは推し量るも、曇天のもと光も無い林下にあっては、少々それ自体が不気味とも言える。周囲からは晩夏に騒ぐ蝉の合唱だけが聞こえていて、額から嫌な汗が滴り落ちる。
「ああ……」
声と共に開くのは窓。倒した椅子を起こして答えるのは、白髪交じりの初老の男性だった。
「おはようございます。本日お世話になります、◯◯のAです。掃除清掃の補助で参りました」
「んん……じゃあ行くか。よっと」
重い腰を上げ、ドアを開ける男性。顔そのものもふっくらしているが、身体も身体ででっぷりと太っている。歩きづらそうに足を引きずりながら、男性は家の鍵を開け「こっちだ」と僕を誘う。
「はい、失礼します」
そう答え足を踏み入れる僕。さしあたっての仕事と言えば散らばったダンボールやら木材やらを外に出し、クリーニング屋の到着を待つこと。目にする限り分量は然程では無く、僕はこれなら手早く終わるだろうと言祝ぎつつ着替えを終える。
「いやあ、ちょうど良かった。一人きりで仕事かと思った所で、話し相手が来てくれて」
しかして、そんな僕をお構いなしに話しかけてくるのは、先刻会ったばかりの初老の男。どうやら水道屋のようだが、一番最初に現場に来てしまった事から、誰か来るのを外で待っていたらしい。
「いえいえ。あ、大丈夫ですよ。掃除は僕がやっておきますから」
とは言えこちらとしては早く終わらせて帰りたい身。掃除の手伝いをしてくれる男性に相槌を打ちつつも、馬耳東風とばかりに仕事をこなす。
* *
「あー、なんかすみません。結局こんなに手伝って貰っちゃって」
気がつけば清掃の殆どは、男性の手伝いで終わってしまっていた。時計を見るにつけおおよそ半刻。
「はは。まあちょっとした恩返しみたいなもんだよ。君が来てくれたから、こっちも家に入れた訳だし」
こうなるとその理由が気になってしまった僕は、少しくらいなら付き合ってもいいかと踏み込んで尋ねてみる。
「そんなに現場入りを気になさるなんて、なにかあったんですか?」
ところが、生まれるのは暫しの沈黙。言いたいような、言いたくないような、だけれど聞かれてしまったんだから仕方ないというような、いやいやそう仕向けたのは自分なんだが――といった微妙な表情を浮かべ、男性は答える。
「いや、今から20年近く前かな。これは実際にあった話なんだけど……」
二階へ続く階段に座り、男性はゆっくりと口を開く。
「S区のS町で新築工事があってね。俺はそこに職人として通ってたんだ」
頷く僕。時期的にはちょうどアレだ。ノストラダムスの予言で、恐怖の大王とやらが降ってくると言われた月だ。
「その日もこの日と同じ、夜に酷い雨が降った日だった。早めに現場に着いた俺は、家のドアを開けて、いつも通り作業を始めようと中に入ったんだ」
情景は嫌という程に目に浮かぶ。要するに、今日僕が歩いて来た光景とほぼイコールなのだろう。新築の建築現場は施錠がなされていて、外部から人が入れないようにはなっている。だから最初に来た人間が鍵をあけ、次に来る面子に備えるのだ。
「蝉の声が煩くてね。梅雨が明けたというのに朝からジメジメとしていた……嫌な空気だと思いながらも、まあ仕事だから仕方がないと上履きに履き替えたんだ」
さらに新築現場といえば、室内は整理整頓が当たり前。職人も安全靴では無く、上履きを履くというのが大原則だ。もちろん内と外を行ったり来たりする訳だから、時に有名無実とも成り得るのだけど、そこはそこ。要するにお客への配慮というヤツだろう。
「だけどね。足跡があったんだよ。家の中に、足跡が。点々と、こう、雨で濡れたままの靴で上がったような、足跡がね」
――もちろん怒り心頭だ。誰がこんな馬鹿な事をと。監督に知られたら偉い事だぞと当時の口ぶりを真似ながら、男性は足跡を辿っていったのだという。それはそうだ。もしそんな事がバレれば、訓戒では済まない所だ。
「行き先はキッチンだった。足跡はキッチンで止まっていて、そこにはブルーシートがかけてあった」
だがそこで変わるのは、男性の口調。少々訝しみながらも、僕は口を挟むのも何だなと成り行きを見守る。
「道具を置くにしても最悪の場所だった。なにせキッチンにかかっている訳だから。もし傷がついていたら、そこを補修しなきゃいけなくなる」
しかしてどうにも嫌な予感がする。何なんだろうこの感覚は。或いはS区と言えば、一家殺害事件があった場所でもある。そんな記憶をほじくり返して、何となく寒気を感じているだけだろうか?
「でもまだその時は気に留めてなかったんだ。他所の職人への愚痴を零しながら、俺はシートに手をかけた。そしてかけて……」
――再度の沈黙。二人の間には重い空気が横たわり、ただ遠くに蝉の合唱だけが木霊する。
「……あったんだ」
その時、確かに男性の顔は蒼白だった。
「……あったんだよ」
そしてぼそりと二度繰り返されるソレ。
「女だった。白目を剥いて、死んだ魚みてえに口を開けていた。それで気づいたんだよ……俺」
男はその時の光景を思い出すかの様に身震いし、されど尚、続けた。
「俺の足元に広がってこびり付いてたのがさ……血の海だったって事に」
さっと引く血の気。僕は僕の抱いてしまった予感が嫌な意味で的中したのだと一歩後ずさる。
「それから警察が来て、現場は封鎖。俺たちも指紋やら髪の毛やら採取されてさ……」
場の空気を感じ取ったのか、話を逸らす様にその後の事を語り始める男性。
「俺は言ったよ。もうこの現場には来たくないから。他所に回してくれって。でも回った先でも警察の奴はやってきて……」
まったく風評被害もいいとこだよなあと、引きつった笑みを男は浮かべる。恐らくそれに応じた僕の笑みも、随分とぎこちないものだったろう。
「聞いた話によれば、現場の向かいのアパートを借りてまで警察は張り込んでたらしい。ただ結局犯人は見つからず、工事そのものは中止になったんだ」
悪いね、こんな話に突き合わせちまってと男は頭を振る。
「いえ……しかし作業員が死んだだけでも事故物件になるというのに、そこは一体どうなったんです?」
例えば作業員が転落死しただけでも、新築物件は事故物件に格下げされる。タダでも貰いたくないという客もいれば、タダなら貰おうと割り切る客もいる。ただいずれにしてもメーカーにとっては痛手である事に変わりは無く、朝礼で無事故の徹底だけは口を酸っぱくして周知される所以でもある。
「うん……そうだね」
男性は頷くと俄に腰を上げ、一階のキッチンにまで足を運ぶ。僕は無言でついていく。
「ここにさ。こんな風なキッチンの真ん中に、その死体はあった。――嫌だろう? 家族の団欒で、毎日使う場所に、それも殺人事件の死体があるなんてのは」
俺だって嫌だよと苦笑を漏らしつつ、男性は続けた。
「恐らく、◯◯(メーカー名)が買い取って、客に別の物件を案内したんじゃないかな。面倒な事に、そこは殺人現場の証拠そのものでもあるんだ。中止にしたからといって取り壊しはできない。柱やキッチンは、当時の証拠として押さえられていると思う」
「随分と面倒ですね。殺人現場となったばかりに、解体すら満足に許されないなんて」
ならば一体その現場は今どうなっているんだろう。僕の中で恐怖を押しのけ、ふと鎌首をもたげる好奇心が、調べてみろよと耳元で囁く。
「ああ。それからさ。俺が新築物件の現場に、最初に入らなくなったのは」
また、あんなものを見たくないからね。と付け加える男性は「そろそろ作業に戻ろうか」と、時計を指差す。見れば既に九時を回っていて、三十分以上は一つの話を聞いていた事になる。
「そうですね。その……貴重なお話、ありがとうございました」
この頃から小説を書いていた僕は、これはもしかしていつかネタになるかもなどと、不謹慎を承知の上でプラス思考を装っていた。なにせ実話かどうかは、帰ってググれば一瞬で分かる事だ。
「いやいや、引退間近のジジイの戯言だと思って欲しい。ただ、こんな話、誰かに聞いたなんて言わないようにね」
言うや男性は一瞬だけ鋭い表情になり、声のトーンを落として告げる。
「――あれからずっと、居るような気がするからね。アレが」
ぼそりと言い残し二階へと消えていく男性の背中を、僕は無言のまま見送るしか出来なかった。外では相変わらずの曇天の下、蝉だけが煩く鳴いていた。
その後調べた結果、男性の語った殺人事件は事実としてあり、現在その住所には別の誰かが住んでいた。向かい側のアパートというのも話の通りで、警視庁のホームページには、未だに情報提供を求める声が、事件の風化を恐れるように残されている。――しかしてだけれど、と、僕はふと疑問に思うのだ。工事中の現場がそこにあると知っていて、たまたま終電で帰宅した女性を殺害し、雨の中その遺体を運び、鍵を開け侵入し、ブルーシートまで用意して帰っていった犯人とは、いったい何者なのか、と。そしてそれが出来たのは、いったい誰だったのか、と。
S区S町殺人事件 糾縄カフク @238undieu
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