第5話
「お前、塾の帰りか?」
先輩はひ弱そうな子の前に廻り、しゃがみ込んだ。先輩の視線とその子の視線が同じ高さになる。その子はでも、先輩の眼を見ないでコクリと頷いた。
「あの二人は友達か?」
「違う! クラスが同じだけだよ」
その子が先輩の方を向いて力強く告げる。
「そうか。……お前、勉強好きか?」
「好きっ!」
先輩はそこで青年が見ていたら驚くような顔をして見せたが、いかんせん先輩は青年に背中を向けていた。
「何が好きだ?」
「算数。特に好きなのが分数の計算。それと図形の問題も好きだよ」
「へー。俺と同じだな。俺も算数が得意だった。でも、国語が苦手でな……」
「僕も国語は好きじゃない。でも塾のテストではいつも五番内に入ってる」
「そっか。優等生なんだな。俺は算数が得意だったけど、馬鹿だったからな……」
先輩はそこで曖昧に眼を反らして俯く。
子供は何も言わない。
「勉強もいいけど、ちゃんと遊んでるか?」
先輩はその子の頭にポンと手を載せた。
その子はどこかその先輩の挙動が気に食わないらしく、眉を寄せた。
「一日に一時間だけテレビゲームしていいってことになってる」
「ふ~ん……」
先輩はそれ以上は何も言わず、ダウンジャケットのポケットに両手を入れて立ち上がった。その眼鏡には流れる雲が映っている。
ひ弱な子はそんな先輩の動きを眼で追った。
「楽奏戦隊ゴーセンシ……て、知ってるか?」
先輩は青年がしたのと同じような質問をしてみる。
「知ってるよ。見てるからね」
「それならコレ、持ってけよ」
先輩がポケットから手を差し出すと、その掌にはさっき青年が子供達にあげたのと同じような物がのっかっていた。
暫く、その子は黙ってそれを見つめていた。
「いらないよ。知らない人から物もらっちゃいけないんだ」
どこか残念だという気持ちの反動のように、その子の語調は強かった。
先輩は憮然とした顔を見せてから一息ついた。
「誰がやるって言ったんだよ。お前みたいな憎ってらしいガキに物をやる
「返すだって? 僕何も貸しちゃいないよ!」
混乱した子供は声をあげる。
「いいんだよ! つべこべ言わずに持ってりゃいいんだからさっ」
先輩は無理矢理にその子の掌にそれを仕舞い込んだ。一見乱暴な行動だと思えるが、その子は手の中の物を眺めて、まんざらでもない顔を一瞬してみせた。
先輩はそれを見て疲れたような笑いを浮かべていたが、すぐに何処かへ消し去って、青年の方に向いた。正しくは、二人組みの子供達の方にだ。
「おいっ! そこのガキども! どうでもいいけどコイツが持ってるバッジはそんじょそこらで手に入る代物じゃないんだぞ!」
その口調といい、青年には、先輩がまるで子供の次元に同化しているように見える。
「バッジって、秘密少年楽団ジャスティスハープバッジのこと?」
帽子の子供だった。
「そうともさ! ハープ自体が七色で、ジャスティスの文字とハープの先端に付いた王冠が金色になってる非売品なんだぞ!」
先輩は悪役じみた作り笑いをした。
二人の子供は一瞬呼吸を止めたようだ。
「七色で、金色なんて……テレビと違うよ!」
帽子の子供は釈然としない顔をしながらも、どこか羨ましそうな素振りを見せて、今しがた青年からもらったバッジに眼をやっていた。
「違うから凄いんだろ。これは特別な物なんだからな。お前達が持ってんのはゴーセンシ・ショーを見に来れば誰でももらえるんだよ」
「お兄ちゃん、意地悪だね」
先輩の後ろに立っていたひ弱そうな子がぽそりと呟いた。そして、タタッと駆けて先輩の前に廻り込み、意外に身軽に体を
「意地悪な大人はゴーセンシにこらしめてもらわないと!」
「そだよ……そーだよね! ヨシちゃんの言う通りだっ!」
帽子の子供とその友人が力んだ。
「ヨシちゃん、このお兄ちゃんゴーセンシ・レッドなんだってよ。違うよね、こんな人」
ひ弱そうな子の背中越しに子供達が駆け寄った。
ひ弱そうな子は笑ったかもしれない。
「絶対違うよ! だって意地悪だもん! お兄ちゃんめちゃくちゃ意地悪だもん。すごくヤな奴だっ! ゴーセンシ・レッドにあるまじきだよ」
青年は三人の子供の背中を見つめている。子供達の見つめる先には青年の方を向く先輩がいる。先輩はにが虫を噛みつぶしたような表情をしているのに、不思議ととても嬉しそうなのだ。それが青年にはわかるような気がした。
「僕の見つめているものと同じだって……」
青年は自分の足もとに一度視線を落とし、小さく笑って、空を見上げた。
ゆっくりと流れて行く雲がある。ずっと、ずっと奥には暗い宇宙があるのか、なんて、こんな穏やかな風景を目前にして考えてみる自分が少しおかしかった。
「ねぇ、あのお兄ちゃんよく笑ってるね。変なの……」
帽子の子の声がした。
「きっとエッチなことでも想像してるんだろ」
先輩の声だ。
「そっかぁ。やっぱりあのお兄ちゃんはゴーセンシ・ブルーと同じなんだね」
「そうだ、そうだ」
二人組の子供達の笑いにひ弱そうな子の笑いが加わって、先輩の笑いも加わる。
「おーい。野球するからお前も参加しろよ!」
少し離れて先輩の声が青年を呼んだ。
青年は大きな返事を返して、すっかり準備のできた四人のもとに駆け寄った。
【おわり】
とある秋空の下 十笈ひび @hibi_toi
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