Afterword ~炊飯器の恋とイワシの頭~

甲乙 丙

「解説あとがき」という名の……

 自宅に植えた桜の木が初々しい蕾をプルプルと揺らし、南東から吹く風が別離の感傷と出会いの干渉を内包しながら庭先のトタンをパタパタと鳴らす頃、本書「炊飯器の恋とイワシの頭」の解説あとがきを書いてくれという依頼が舞い込んだ。

 短編、中編を中心に活動している著者◯◯としては異例ともいえる、五年という構想、執筆の期間を経て完成させた、上下巻、原稿用紙に換算すると約千六百枚にも及ぶ長編小説。間違いなく、入魂の一作だ。


 私と著者◯◯は、縁あって彼が新人賞を受賞したその時からなにかと繋がりを持ってきた。酒の席で一緒になって騒いだこともあれば、二人共スポーツ音痴でルールがわからないにも関わらず、草野球に参加した事もある。(私が外野レフトを守り、彼は外野レフトのレフトを守った)

 つまるところ、彼の人となりはわかっていたつもりであったし、本書が完成するまでに相談なんかも受けていた身であった為、「解説あとがき? いくらでも書いてやる」と一も二もなく了承した次第だ。


 さて、そういった経緯で意気揚々と本書を受取り、早速読み進めた私は、度肝を抜かれた(きっと今このあとがきを読んでいる読者もそうだったであろうが)。

 プロローグからして、訥々と一人語りをする主人公がなんと「炊飯器」なのだ。


 はあ?


 私の頭に湧いた第一声がそれであり、本書を読み終えた皆様にはきっと共感頂けると思っている。とにかく人間が出てこない。

 物が喋り、考え、動き、感情を露わにする衝撃のプロローグから物語は幕を開ける。まるでルイス・キャロルが描く世界に迷い込んだアリスの気分だ。(それよりも生々しく即物的ではあったのだが)


 少し汚れが目立ちはじめた炊飯器(花柄)、無造作に捨てられたゴミ箱からこぼれ出たイワシの頭、ほつれて取れたカーディガンのボタン、積み重ねられた夕刊の社会欄、港の上空を舞うウミネコの口からなぜか吐き出されたオタマジャクシ、そしてケチャップライスを炒める際に使われすぎてオレンジの変色が取れないしゃもじ。

 これらが全て、動き、喋り、笑い、時には泣く(鳴く)世界。


 なんだこれ?


 ページを捲る私は読み進めながらも、激しい後悔の念に襲われていた。の依頼を受けた事に対して、だ。

 きっと編集者、ひいてはこの作品に目を通したおエライ文豪の先生方もあんぐりと口を開いたに違いない。

 著者◯◯の、顔を伏せがちにしてニヤリと照れた顔が目に浮かぶ。あの愚直にまっすぐな心根をした青年に、一体何が起きればこんな物語を紡げるというのか。

 確かに物が人のように振る舞う作品というものは既に世に受け入れられており、子供向けや大きい子供向けとして人気を博している。しかしそれはポップなイメージに変換しているからこその話だ。

 誰が「頭の縁から飛び出た中骨が床を擦り、顔を顰めるイワシの頭」に共感する?

 私は頭を抱えたくなった。読むのをやめようかとさえ思った。


 それでもだ。

 ページを捲る手を止めなかったのは、物が物らしく振る舞う一連の動作の中に、的確な個性の描写を感じる事ができたのと、このバラバラな物たちの行き着く先が一体どういう形で収束していくのか、単純な興味が湧いたからだった。怖いもの見たさ、といった感情に近いものだったかもしれない。


 一章の半ばを過ぎた頃になって、自分の心境の変化に気付いた。

 丁度、炊飯器が自分の感情の揺れ動きに戸惑い、恋というものを朧気に感じ始めた場面を読み終えた時だ。はっと我に返った。

 私は明らかに、炊飯器に親密さを感じ取っていた。中蓋をカチャカチャと鳴らしながら慌てて電源コードを巻き取る仕草に可愛らしさを感じていた。


「小説家というものは文字で人の心を操る魔術師みたいなものである。詐欺師と言い換えても良い」

 かつて記者が集まる席でそうぶち撒けたのは文豪・柴山寺ポポ太郎だった。彼は続けて、「木の葉が揺れ動く様で、読者を泣かせたり笑わせたり。まったく、厄介な職業だ」とも語っている。少々偽悪的にすぎる表現ではあるが、似たような話は他の小説家の口からもよく述べられている。

 つまり私は、著者◯◯が紡ぐ「描写」という魔力によって、まんまと炊飯器に感情移入してしまっているのだ。恐ろしくも見事な技術と称賛せずにはいられない。なぜならその後、上巻を全て見終わりそわそわと下巻を手に取るまで、私が本を手放すことはなかったのだから。


 さて、内容にもう少し詳しく触れていきたい。

 本書「炊飯器の恋とイワシの頭」は奇抜な登場人(?)物とその突飛な行動にばかり目がいきがちだが、その実、二十五年間に及ぶ壮大な純愛物語となっている。

 新製品として家に奉公しに来た炊飯器が奮闘しながらも、汚れたしゃもじとの惰性的な体の繋がりや、埃を被った丸型たこ焼き器のいびりに神経をすり減らしていく中、ゴミ箱からこぼれ出たイワシの頭の視線に気づき、恋に落ちる。

 恋敵であるカーディガンのボタンや、東都新聞夕刊社会欄の執拗な嫌がらせに業を煮やした炊飯器が家を飛び出し、ウミネコの口から吐き出されたオタマジャクシと共に海を渡ると決意するが、また苦難が待ち受けていて――。上巻の内容だけに留めているが、あらすじはこうだ。


 特筆すべきはやはり描写の妙技だ。ただ人間を物に置き換えた訳ではないリアルで緻密な描写は、イメージをし易くはあるけれど、ある種不思議な世界に迷い込んだ錯覚を誘う。

「錯覚」

 実はこのワードが重大なテーマとなっており、プロローグの時点から密かに仕掛けが施されているので、一度全て読み終えてからプロローグを読み返してみるとまた違った印象を覚える事になるだろう。

 炊飯器だけではなく、様々な「物」のリアルな本音に、読み始めた時には予想もできなかった深い感動を覚える。魚を食べられなかった人間は食べてみようかと心を改め、粗大ゴミとしていたガラクタをもう一度手に取り、まだ使えるかもと磨き始めるのはきっと私だけではない筈。そんな「心を操る魔力」が本書には確かに存在している。

 著者◯◯の新境地をしっかりと堪能して頂きたい。


 摩訶不思議な世界を構築し、見事に羽ばたかせて見せた著者◯◯が、次はどんな作品を生むのか――。


 作中のおたまじゃくしが言っている。

「未知なる世界って、なんだか尾ヒレがプルプルして口の下辺りが高鳴るの!」

 著者◯◯がさらなる未知の世界へと飛び込み、また驚かせてくれる事を想像し、尾ヒレが無い私も胸が高鳴る思いに駆られている。


解説:□□ □


※初版発行から二週間後、著者◯◯が不慮の事故の為亡くなりました。あとがきを差し替える案も検討されましたが、故人の遺志を尊重し、初版時のまま掲載させて頂きます。

 ▲▲社

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