駅前に立つ仕事

如月新一

駅前に立つ仕事

「そっちはいいっすね」


 ぽろっと言葉がこぼれてしまった。すると、隣に立っているオレンジ色をした、どこかの制服を着たショートカットの金髪女性は、目を泳がせた。私は慌てて、「すいません」と頭を下げる。


 額には汗が沸き、吐く息は熱い。視界がくらくらとし、吹いている風でさえ、生暖かい。私は手に質問用紙の挟まったバインダーとボールペンを持ち、駅前に立っている。


 何故、私がこんな辛い目に? 誰でも、生きていたらそんな疑問を持つことがある。その理由は大体同じだ。みな、こう答えるだろう。仕事だから、と。


 私は駅前に立ち、通行人に声をかけている。が、みんな私が初めから存在しないかのように、顔色一つ変えずに通り過ぎていく。


 この仕事、向いていないんだよな、と嫌気がさしてきたときに、隣で楽しそうにティッシュ配りをしている彼女を羨んでしまった。


「三十八度らしいですよ。体温より高いですね」


 彼女が、ニコッと笑う。右目のそばに二つ続いているほくろが、涼しげだ。私はそれを見てはっとし、どきりとする。柔らかい笑顔だった。


「変なこと言ってすいません」

「そちらは大変なんですか?」

「なんだか、相手にされなくて」


「これ、よかったらどうぞ」と彼女は、ティッシュを一つ差し出してきた。旅行会社のロゴと、『たまには、里帰りしよう』と説教臭いキャッチコピーがプリントされている。


「ありがとうございます」

「ありがとうございます、はこっちのセリフですよ。ティッシュ配るのが、わたしの仕事なんですから」

「あぁ、そうですね。すいません」


 すいません、ばっかりですね、と彼女は笑う。私の仕事は、謝ること、と言うのは言いえて妙だが近い気がする。謝り、声をかけ、質問に答えてもらう。たいした仕事の成果もあげられず、上司にも謝る。それが今の仕事だ。


「ティッシュ配り、楽しそうにされてますよね」

「実は、これ、初めての仕事なんです。父がとても厳しくて」


 彼女は何かを反芻するように俯いてしまった。私は、またまずいことを言ってしまったと思い、慌てて話題を変えた。「どうですか? 感想は」


「そうですね……目に見える優しさって感じがして好きです」

「目に見える優しさ?」

「ティッシュをあげちゃうんですよ! すごくないですか?」

「まぁ、でも勧誘のためでしょう?」

「でも、普通に呼び込むのとは違うじゃないですか」


 彼女の指差した先で、茶髪の男が店引きをしている。腰までズボンが下がっている男は、通りかかる女の子に馴れ馴れしく声をかけている。


 ティッシュ配りも呼び込みも営利目的なのかもしれないが、確かにティッシュの方が良いな、と私も同意する。


「あれは多分、ナンパだと思うけど」

「あれがナンパですか? へー」


 浮世離れした子だな、と笑う。釣られて彼女も頬をほころばせていた。その笑顔を見て、胸の奥がチクリと痛む。


「貴方のお仕事はなんなんですか?」

「謝ること、かな」私は咄嗟に、さっき思いついたことを口にした。

「世の中には、変な仕事があるんですね」

「ティッシュ配りが目に見える優しさなら、私は逆ですよ。目に見えない感情なのかもしれません」


 私の仕事は、善意で動くこともあれば、悪意で動くこともある。通行人や関係者に訊ねたことが、どう使われてしまうのかはあまり考えないようにしている。あくまで、クライアントが依頼してきた必要な情報を集めることに徹する。


 幼い頃から憧れていた職業なだけに、自分が特別な存在になったような気がしたものだ。


 だが、仕事をやっていけばやっていくほど、思う。私には向いていない。


 気配がして隣を見ると、彼女が催促するように両手を私に突き出している。


「お返しです。私が今度は、協力しますよ」


 彼女は今、楽しそうに働いている。彼女の笑顔を奪うような質問をしていいのだろうか。そう逡巡していると、バインダーを取り上げられてしまった。


 案の定、向日葵のような彼女の笑顔が凍りついていく。どうして、そう彼女の口が動いたように見える。


 プリントには『日高直美ひだかなおみ』という名前と、写真がプリントされ、簡単なプロフィールが載っている。写真の中の彼女は、まだ黒髪で眼鏡をかけている。が、右眼の下に二つ、涼しげなほくろがあることは変わらない。


 探偵は格好いい仕事ばかりではない。報酬と引き換えに他人のプライバシーを無視し、調査をし、人を探し出す。今回の相手は、財閥の家出娘だった。


「あの、わ、わたし」蚊の鳴くような声を絞り出し、怯えた様子で私を見てくる。


「私は、人を探しているんですよ。日高直美さんってご存知ですか? ご存知でしたら、このティッシュを差し上げて下さい」


 私は、さっき受け取ったティッシュを彼女に手渡し、立ち去った。私も、目に見える優しさをあげられただろうか。なんにせよ、やっぱり、この仕事は私に向いていない。


 事務所に戻ったら、「見つかりませんでした」と上司に謝らなくては。

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