外伝6.過去のカドモス
ありえた過去。ハンニバルが「やり直す前」の歴史。これは、彼が見ることが無かったある日のことである。
――紀元前202年 秋 ザマ大平原付近 カドモス
「カドモスではないか」
「キクリス。お前もやはり、来たのか」
ハンニバルが陣取る野営地付近で二人は出会う。
彼らの主は「来るな」と強く二人に要請した。彼らとて、自らの主が何を言わんとしているのかは理解できる。
「ハンニバル様のお言葉が聞けぬのか、貴君は」
「それはお互い様だろう?」
馬を連ね、カドモスとキクリスはお互いに苦笑した。
分かっているさ。重々な……。
カドモスは心の中で独白する。
あのハンニバル様が来るなと何度も繰り返した。その意味は「自分に死ぬな」と言っていることを。
戦術の分からぬ自分に我が主君はいかに自軍に勝ち目がないのかを聞かせてくれた。
ヌミディア騎兵は敵の手に渡り、勇猛なケルト兵、イタリア半島の地で供に戦った古参兵……これら全てはもう我が主君の手元には無い。
マーゴ様、トール様もあの憎き蛇のような男に……。
だから、ハンニバル様は俺とキクリスを失いたくないと告げたのだ。来るなと告げたのだ。
「俺は死ぬことなど恐れてなどいない。戦場に立ったその日からな」
「言うではないか。私もだ」
カドモスは自分に言い聞かせたつもりだった言葉に、キクリスが応じハッして彼に目を向けた。
馬を止め、眼下に映る主君の陣地を見やる。
彼はザマの大平原が決戦の地だと聞いていた。その地で、我らカルタゴは最後の決戦を挑む……いや挑まされたのだと。
そも、この戦いに意味はない。ただ、カルタゴ元老院とローマを納得させるためのものだと主君は言った。
つまらぬ、意味のない戦いに来るなと。
つまらぬことなどない!
カドモスはそう強く思う。
「戦場に我が主君が馳せ、俺がいないなど、まして、負け戦だと断言され……」
「行かぬわけぬはいかぬよな。カドモス」
「そうだ。ハンニバル様は俺……いや俺たちのことを分かっていない。俺たちの望みを分かっていないのだ」
「おうさ。カドモス。我らは主君と共に在り、主君の盾となることこそ本望。我らがおらぬ場で、主君に先立たれるなど」
「我慢ならぬ。そうだろう? キクリス」
「そうだ。私は、いや私たちは、最後までハンニバル様に迷惑をかけてしまったな。主君の気持ちを裏切ったのだから」
「だが……抑えきれぬのだ」
そう。抑えきれぬ。
我慢しろと主君は言った。だが、戦う場所も分かり、自分には馬もある。行くことができる。
それを、座して待てなど酷すぎるものだろう。
申し訳ありません。ハンニバル様。
カドモスは心の中で主君に再度謝罪し、手綱を引く。
馬が嘶き、走り始めた。
彼と並ぶようにキクリスも続く。
◇◇◇
自然と集まっていた。
来たのはカドモスとキクリスだけではなかったのだ。
イタリア半島で供にした古参の兵が続々と野営地に馳せ参じている。
数は多くない。
馬を持ち、イタリア半島から海を越えカルタゴの「ザマ」まで来ること自体難しいことなのだ。
制海権はローマにある。
軍資金も無い。
主君の元に馳せ参じたい。その気持ちだけで、彼らは全てを投げうってここまでやって来たのだった。
その中には、ハンニバル右腕であり、彼を崇拝する黒髪の美丈夫の姿もある。
「マハルバル。貴君も来たのだな」
「はい。畏れ多くも。主の意思をまもれず……」
カドモスが声をかけると、マハルバルは秀麗な顔を歪ませうつむいてしまう。
「なあに。我ら三人でハンニバル様の幌へ行こうではないか。きっと我が主君は分かってくださる」
「はい!」
馬から降りたカドモス、キクリス、マハルバルの三人はハンニバルの幌の前で立ち止まる。
彼らは主君の前でどのような顔をすればいいのかと悩み、三者三様の顔でここから進めずにいた。
「ハンニバル様!」
口火をきったのはマハルバルだった。
思い切った彼の一言に対し、幌の中から主君の声が返ってくる。
「この声は……マハルバルか」
「はい。マハルバルです! ハンニバル様の戦いにご一緒させていただきたく、馳せ参じました!」
主君が幌を開け、三人の姿を見たハンニバルは目を見開く。
三人へ一人一人目をやった彼は、苦笑しながらも彼らを中へと導くのだった。
◇◇◇
この後のことは、今となってはハンニバル唯一人の記憶の中だけにある。
カドモス、マハルバルは彼の目の前で倒れ、キクリスもまた彼を逃がそうと突撃しその後の消息は不明。
ザマの地でハンニバルはローマの将軍スキピオ・マイヨルに完膚なきまでにやぶれたのだ。
それが、やり直す前の史実――。
※打倒ローマのやり直し2巻が6月15日発売となります。書籍版2巻もどうぞよろしくお願いいたします!
打倒ローマのやり直しー最強の将ハンニバル、二度目の包囲殲滅陣 うみ @Umi12345
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