書き下ろし

太平天国の外側から見た男 洪仁玕の先見性

「ふう……邪教ふぜいが、手こずらせてくれたものよ」


 自らの部隊を率いて大乱を戦い続けてきたそう国藩こくはん総督は安堵のため息をつく。


 この戦いで中華――清朝が失ったものは計り知れない。

 太平天国軍は劣勢の中でも死を恐れず果敢に挑んでくる、統率の取れた部隊だった。使い物にならない八旗軍などよりよほど軍隊らしかった。

 この反乱がただ民衆を異教で惑わせただけのものだったならば、13年も長期化することもなかっただろう。


 南京はかつて宋でも都となり栄華を極めた都市である。

 そんな一大都市が、今はどうだ。

 見渡す限りやせ細った老人の死骸が転がっているではないか。

 

 女子供でも遊びのように殺し尽くし、略奪をほしいままにしている我が陣営――どちらが賊なのかわかったものではない。モンゴルが宋を滅ぼした時も、おそらくはこのような凄惨な光景だったことだろう。

 見るに堪えない。


「……ちょうよ。ここまでやる必要があるのか――と言いただけな目だな」


 何も言わずとも我が意を読み取る。

 我が軍隊の指揮官であるのが、この曽国藩。


 そして私、ちょう烈文れつぶんはこの方に仕える身。


 意見具申することはあれど私情は挟んではならない……身の程はわきまえているつもりだ。総督は私の立場もわかった上でこのように続けた。


「……だが、反逆者はひとり生かしておけばのちの災いとなる。ここで手心を加えてしまえば、第二第三のこう秀全しゅうぜんが現れることになりかねん。我が国こそ天から中華を治めることを許されたただひとつの国。異国の神の言葉を聞けると称して国を割ることはいたずらに外患を招くことと変わらぬ。そんなことを許してはならぬのだ」


 まるで、自分に言い聞かせるようにも聞こえた。総督自身も、この略奪をよくは思っていないのだろう。だからこのように正当化もせねばならない。


 我が主の言わんとしていることもわかる。

 こういったことは我が国の歴史ではよくあることだし、反乱者の芽を摘むために住民を皆殺しにするのは基本中の基本――常道ですらある。



 だが、本当にこんなことで、すべてが解決するのだろうか? 

 第二第三の洪秀全が、本当にこれで根絶できるのか? 

 

 長きに渡って我が国を苦しめてきた太平天国を滅ぼした。本当ならば諸手を挙げて祝うべき事柄であろうが……どうしても、心が晴れないのだ。


「……戦いは、これで終わったのでしょうか? 私には、もっと大きな災いが起こる気がして、ならないのです。それこそ、我が国の根幹を揺るがしかねないもっと大きな……この国はもう長くない――そんな気がして、ならないのです」


 偽らざる、正直な心境であった。このような心情の吐露を、総督はたしなめた。


「……趙よ。その発言、私の心のうちだけに留めておこう。中央でそのようなことを言えば、貴君の首が飛ぶことにもなりかねん」


「……申し訳ありません」


「そんなことよりも、趙よ。私に報告があると聞いているが」


 ――そうだった。

 天京の城内で、面白い書物を見つけることができたのだ。

 促されて私は、総督にその掘り出し物を差し出す。


「これは……本か? なるほど太平天国、やはりただの賊ではなかったか」

「はっ、そのようで。先にこの内容に目を通させていただいたのですが……実に興味深い内容が記されておりました」

「ほう……」


 総督は、戦乱を免れ綺麗なままの本に目を通す。

 賊のものだろうと当初はどこかタカを括っていたようなところもあった総督だったが、読み進めるほどにめくる手は速くなっていった。


「……信じられん。やはりただの賊の寄せ集めではない」


 総督も驚かれているようだ。

 それもそうだろう。この本に書かれている内容は、我が湘軍しょうぐんなどが推進している『洋務運動』とほぼ変わらない――いやそれどころか、それよりもさらに進んだものだからだ。



 西欧の文化や科学は我が国を凌駕りょうがしている部分もある。

 それをありのまま認めた上で利用していこう、というのが我が総督の考えるところであり私も同感であるのだが――ここには鉄道の整備をはじめ新聞の発行、アメリカを模範としたシステム作りなど、非常に先進的な案が多く盛り込まれている。

 これは我々が今後活動する上でも、大いに参考にすべき内容なのである。


「太平天国にもこのように柔軟に物事を考えられる人物がいたとはな……いったい誰の手によるものだ!?」

こう仁玕じんかんによるものです」

「洪……なるほど洪秀全の一族か。確か初めは香港にいたと耳にしたが」

「左様でございます」



 そう、この本を書いたのは洪仁玕。

 なかなかに興味深い男である。


 初期の信者であったが太平天国軍に合流できず、香港で医者や教師をするかたわら『洗礼』というものを受けて正式なキリスト教徒となったらしい。


 洗礼は洪秀全が受けたくても受けられなかったものである。

 そうした経緯から洪秀全よりもより異国の教えに忠実であったと類推できる。


「この者、太平天国の外側で西欧文明にも触れる機会が多々あったようで、ほかの大臣よりも切実な危機感を持つに至ったのではないかと思われます」

「……なるほど。これら改革の数々……先に実現されていれば、たしかに我が国も危うかったのかもしれん」


「さらに、こちらの書物では西洋との対等な立場での連携が主張されています。彼らがイギリスなどの諸外国と手を組み我が国を包囲するという未来もありえたのです」


 このあたりの連携は失敗したようだが、我が軍が西欧の支援を受けることができなければ、今頃このように蹂躙じゅうりんされているのはこちら側だった可能性すらあったのだ。


「……我が軍の勝利は薄氷を踏むようなものであったのかもしれんな」

「私も、そう思います」


 反逆者の立場でなければ我々の同志として手を携えることもできただろうに……

 残念でならない。



 太平天国すら鎮圧にまごついているようでは、西欧に勝つことはできない。

 それはアヘン戦争等々、屈辱的な敗戦を見てきた我が主も骨身にしみてわかっているはずだ。我が国は、今よりもっと、もっと強くならなければならない。


 洪仁玕、お前の思いは我々の糧とさせてもらうぞ。


 清国未曾有の危機的状況を乗り越えるため。

 お前の成し遂げられなかったこと、我々が、成し遂げてみせる――

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清末の天啓 太平天国興亡記 コミナトケイ @Kei_Kominato

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