つぶやきが呼んだもの

黒道蟲太郎

つぶやきが呼んだもの

 胸を張って言うようなことではないが、私は現在実家に寄生し、フリーターとニートの中間のような生活をしている。

 こんな暮らしをしていると、どうしても人間関係は疎遠になるものだ。かつての知人達は今や立派な社会人で、私ほど暇ではない。学生時代のように「遊ぼう」と気軽に声をかけられるわけもなし、そもそも遊びに行く金もなし。

 ゆえに、誰かと話したければ、手段はおのずと限られてくる。一日中ツイッターに入り浸り、フォロワーの誰かと話すか……そうでなければ、大学生をやっている私の弟に話しかけるか。

 大学の友人には『アオイ』と呼ばれているらしいので、ここでは弟のことをアオイと呼ぶことにしよう。


 アオイと私は、幼い頃からオカルト番組をよく視聴していた。UFO、UMA、心霊写真や都市伝説。それらはしばしば我々を震え上がらせ、夜中のトイレやカーテンの隙間に恐ろしいものを幻視させていたものだ。

 アオイは今でもオカルト番組を愛している。数は随分減ってしまったが、その手の特番が組まれていれば大急ぎでテレビの前に陣取り、不気味なナレーションと共に流れる恐怖映像を眺めているのだ。

 お前は今でも幽霊が怖いのか。私は一度、番組を見るアオイにそう問うたことがある。アオイは極めて真面目な態度でこう返した。


「当然俺だって、いつまでもこれで怖がれるほど純粋じゃねぇ。俺が見てるのはオカルト番組であると同時に、知らない世界を夢想して恐怖できた昔の俺なんだよ」


 私は結局、アオイと共にその番組を最後まで視聴した。




 そんなアオイは、ある日突然ひとつの『実験』を始めた。


 アオイは演劇部に所属しており、公演の練習期間中は帰りが遅くなる。夜更かし癖のある私は、他の家族が寝静まってからもリビングで彼を待つのが常であった。

 そんな私が、スマートフォンでツイッターを眺めていた時だった。私のタイムラインに、ひとつの奇妙なツイートが流れてきたのは。

 そのツイートには、一枚の写真が添付されていた。

 宵闇の中、街灯で青く照らし出されているそれは、田舎ならどこにでもあるような竹藪。薄暗くて気味が悪いこと以外は、何の変哲もないように見える。

 ツイートの本文に視線を遣ると、そこにはこのように書かれていた。


『お分かりいただけただろうか……竹藪の間からこちらを睨みつける霊の姿が……』


 なんと。それは気付かなかった。

 私は画像を開き直し、霊の姿を探すことにした。

 睨みつけるというからには顔らしきものがあるのだろうが。拡大したり縮小したりを繰り返しながら、隅から隅まで確認してみるものの、一向に見つからない。

 時代が時代なら、いわゆる『精神的ブラクラ』を疑ったかもしれない。普通の画像だと思って見ていたら突如画面が切り替わり、耳をつんざくような悲鳴と共に現れるのはグロテスクな画像。ひと昔前はよくあったタチの悪いイタズラである。

 もっともその画像は、いつまで経っても恐怖画像に変化する気配を見せはしなかった。では単に担がれたのだろうか。それとも、言われないと分からないほどのこじつけ心霊写真なのだろうか。確かにそのような写真は多いが。

 そう思いつつふと画像の投稿者を確認した、次の瞬間である。玄関のドアがガチャリと開き、アオイが家に帰ってきたのは。


「おい、何だこの写真」


 私は早速彼に問うた。この『心霊写真』の投稿者、アオイに。

 どうして気付けなかったか、先程の写真に写っていたのは、実家の近所にある竹藪だったのだ。「危険なので入るな」と大人が言っていたにもかかわらず、悪ガキがこっそり入りたがったあの竹藪。懐かしいものだ。


「アオイ、また適当言いやがったな」


 と、今は昔を思い出している場合ではない。私はアオイに詰問を続けた。ネットでも現実でも、アオイはしばしばこの手の嘘か本当か分からない発言を繰り返し、周りを困惑させている。私はまたそれに引っかかってしまったというわけだ。

 ところがアオイはこう返した。


「まあ待て。確かにその写真は何も写ってねぇが、俺は『嘘』をついたんじゃねぇ」


 真実でない発言をする行為について、アオイは『嘘』と『それ以外』を明確に分けている。発言の結果他人を悪い目に遭わせたいと思って言うのが『嘘』、そうでないものは『それ以外』。つまりアオイのツイートに害意は無く、何か明確な目的があってしたものだということだ。

 沈黙と視線で「聞かせてみろ」と訴えると、アオイは続けた。


「『』って分かんだろ」


 ……アオイの狙いが、私には何となく分かった気がした。


「兄貴も知っての通り、言葉には不思議な力が宿ってる。良かれ悪かれ、人の発した言葉というのは現実に少しずつ影響を与えていくんだ」


「お前はツイッターを使って霊を降ろすつもりか」


 アオイの得意げな反応は、私の予想が正解であることを示していた。


「もちろん、あの竹藪で人が死んだことなんか無ぇ……多分。でも俺は毎日竹藪を写して、『霊が写ってる』って文章と一緒にツイートする。すると言霊が因果を捻じ曲げて、居ないはずの霊がそこに現れる。やがて本物の心霊写真が撮れるようになる」


 私はフッと笑った。


「馬鹿お前、本当に幽霊が来たらどうすんだよ」


 幽霊なんて来るわけないだろ、とは言わなかった。相手の言葉を頭ごなしに否定しないのは、我々兄弟間における暗黙のルールである。


「あー、確かになぁ。街灯の下に女の霊とか立ってたら怖ぇよな」


 アオイは妙に納得したようで、うんうんと何度か頷いて考え事を始めた。




 その翌日のことだ。アオイが新たな『心霊写真』を投稿したのは。

 前回とは違う角度から写し出された、懐かしき深夜の竹藪。昨日と同じく、どこかで見たようなキャプションも添えられている。


『お分かりいただけただろうか……竹藪を横切りつつ、こちらを静かに観察する奇妙な存在。が我々の前に姿を現したとでも言うのだろうか……』


「何だこれお前」


 帰ってきたアオイを、私は早速問い詰めた。


「いや、霊が来たらフツーに怖いだろ。だからワオにしたんだよ」

「何がワオじゃお前は」


 ……ワオとは何か、少々説明する必要があるだろう。

 ワオとは、我が家におけるブギーマン的な存在である。子供の頃を思い出してほしい。いつまでも寝ないでいると、保護者からこう怒られなかっただろうか。「いい子にしないとお化けが出るよ」と。その『お化け』の部分が、我が家ではどういうわけか『ワオ』だったのである。

 ワオの外見やワオに出会うとどんな目に遭うのかについて、私の両親は具体的に説明をしたことが一度もない。それでも幼い私は、ワオの名を出される度に震えていたのを覚えている。


「誰にも通じねぇだろワオとか」

「とりあえず霊が出るよりはいいだろワオが出た方が」


 私は呆れたが、実際そうかもしれないとも考えていた。幽霊が出る、と言われれば良い気持ちはしないが、ワオなどという気の抜ける名前の怪物が出ると言われてもいまいちイメージが持てないし、むしろ滑稽さすら感じられる。

 この実験の行く末を、私は黙ってぼんやり眺めておくことにした。




『お分かりいただけただろうか……影に紛れてこちらを観察する、ワオの姿が……』


『お分かりいただけただろうか……画面左側に写る何かが駆け抜けるような残像……果たしてこれは、ワオの姿なのか……』


 その後も、アオイは毎晩律儀に『心霊写真』を投稿し続けた。


『お分かりいただけるだろうか……電柱の陰からこちらを覗き込むワオの姿が……』


『お分かりいただけるだろうか……道路の奥から伸びる、ワオの影が……』


 無論、どの画像にもワオなど写っていない。夜の闇が放つ不吉さを除けば、何の変哲もない風景の写真に過ぎなかった。


 変化が訪れたのは、アオイが投稿を始めてからひと月ほど経とうとしていたある日のこと。私のちょっとした行動がきっかけであった。

 私は『心霊写真』についていちいちアオイと語り合わなくなっていたが、それを継続していることだけは毎日確認していた。

 よく続くな。そう思いつつも、私は彼の試みについてツイートした。どうか理由を問わないでほしい。ツイッターが日常になった者は、特に意図が無くても考えたことをそのまま文字に起こしツイートしがちなのだ。


『私の弟が、毎日同じ場所で写真を撮り『霊がいる』とツイートすることによって霊を呼ぼうとしている。ただし霊は怖いのでワオを呼ぶことにしたようだ』


 このような意味の文章を書いたと記憶している。


 意外なことに、このツイートは少々拡散されてしまった。バズる、というやつである。『インフルエンサー』等と呼ばれる発信力の高いユーザーに捕捉・拡散されたツイートは、タイミングさえ合えばあっという間にリツイートされるのだ。

 結局このツイートは、四千回程度リツイートされたのだったと思う。単純にツイートを見ただけの人ならばもっと多いだろう。


 アオイのことを勝手にネタにした上、それが拡散されてしまった。若干の申し訳なさを感じた私は、その晩帰って来たアオイに素直に謝ることにした。アオイは別にいいよと軽く返した後に、こう付け加えた。


「でも、こうなるといよいよ危険な領域に突入したかもしれんな」


 私ははじめ、その言葉の意味が分からなかった。


「俺のフォロワーで、『心霊写真』に反応するのは大体身内だ。その中でやってる分にはまだアレだけど、兄貴のツイートで何千人が一気に知ったわけだろ、『ワオ』のこと」


 言われれば確かに。アオイは更に続けた。


「実はさ。あの写真で妙なことが起きてて」


「えっ」


「演劇部の後輩がさ、俺のツイート見てて。大抵馬鹿にされるんだけど。そのうちひとりに言われたんだよ。『』って」


「はぁ? だってお前」


「当然何も写ってねぇよ。でもそう言われたんだ。それもひとりじゃねぇ、何人も『そうそう、そうだったよね』って乗っかり出して」


 私は当然昨日の写真も確認している。隅から隅までじっくり見たかと問われれば自信が無いが、いつもの風景以外の何かは写っていなかったはずだ。

 問題の写真を再び見てみるが、やはり暗闇が広がるばかりでよく分からない。


「どこに写ってたって?」

「いや、部活中だから細かくは聞いてねぇけど」


 後輩がからかっているのではないか。あるいはシミュラクラ現象とかいう、目と口めいた三つの『点』があれば何でも顔の『形』に見えるというアレではなかろうか。

 そう考えることにして、その日はそれ以上深く追及しなかった。


 だが、おかしなことは翌日も続いた。


 ツイートが拡散されると、知り合いではない人からもリプライが届くことがしばしばある。大抵は「ワロタ」とか「すげー」というように「いちいち私に言う必要あるか?」と感じるような大したことのないリプライなのだが。

 よって、知らない誰かから長文でリプライが届いていると気付いた時、私はまずそういった『クソリプ』を警戒した。謂われも無い暴言だったらどうしよう。そんなことを考えながら恐る恐る内容を確認し……直後、ぎょっとすることになる。


『この竹藪の近くに水場はありませんか? ワオは水と相性が良く、水場では力を強めてしまいます。お気を付けください』


 確認するが、ワオとは我が家でしか知られていない怪物だ。そうであるはずだ。一度ネットで調べてみたこともあるが、怪物としてのワオに関する情報は全く出てこなかった。だというのにこのユーザーは、明らかにワオに関する知識を持っている。


 存在しない怪物を、何故知っているのか?


 私が咄嗟に思い出したのは、『鮫島事件』という都市伝説である。

 匿名掲示板『2ちゃんねる』黎明期、『鮫島事件』という陰惨な事件が起きた。ところが、具体的にどんな事件だったのか、誰も直接言及したがらないのだ。「死人まで出たからな」「あのスレを見た時のショックはすごかった」等と、事件について断片的に語る人はあっても、具体的に詳細を語る者はいない。「鮫島事件って?」等と訊こうものなら、「あの事件を思い出させるな」「本気でヤバいからよせ」等と即座に返されてしまうという。

 実のところ、『鮫島事件』という事件は起きていない。「鮫島事件って覚えてますか? ヤバかったですよね」と冗談を言い出した最初の者に、冗談好きのネットユーザーが「そうそう、ヤバかったなアレは」等と話を合わせ、それが続いた結果『詳細は分からないが、語るべからざる危険な事件』として知られるようになった。それが都市伝説の真相なのだ。


 このユーザーも、こちらのツイートに便乗してふざけているのかもしれない。『鮫島事件』に乗っかった2ちゃんねるユーザーのように、冗談好きなネットのヘビーユーザーだろう。私は直感し、そのユーザーのプロフィールを確認することにした。

 そのユーザーがどのような人物かは、プロフィールや最近のツイートを見ればおおよそ予想できる。ネット好きならツイート数も多いだろうし、ネットで流行っているものについて積極的に言及しているだろう。


 ところがそこに現れたのは、私の予想に反するものだった。

 あまりにも普通過ぎる。

 頻繁にツイートしているわけでもなし、フォロワーが大量にいるでもなし。政治ネタ、宗教・スピリチュアルネタ、アニメネタ、あるいは下ネタ……そういった変わったことは何も投稿していない。

 一日に数度日常をツイートし、時たまフォロワーと会話している。そんな、ごくごく普通の人。ネットに入り浸っているようにも、ツイッターでデマを流して喜ぶようにも見えはしない。

 偶然リツイートされた私のツイートを見かけ、偶然ワオについて知っていたから、親切でリプライを送った。その人物のツイートから判断するに、そうとしか考えられなかった。


 そのユーザーにリプライを返せば、ワオに関する情報を得られたかもしれない。それをしなかったのは、私の脳裏に不吉なビジョンが浮かび上がったからである。

 アオイの与太話というひとつの『点』に過ぎなかったものが、奇妙な『線』で繋がっていく。『線』がいくつも集まれば、何らかの『形』が描かれる。

 このユーザーが真面目に言っているのか、幽霊か何かと混同しているのか。あるいは私が騙されているのか。どれにせよ。『線』が『形』になり、むっくりと起き上がってこちらを向くのを、私は恐れたのかもしれない。

 私はこのリプライを放置し、アオイにも報告しなかった。




 それから一週間ほど後。

 十一月のある寒い夜だった。


 その日も私は、寝静まった家族の代わりに弟の帰りを待っていた。ラップでくるまれた冷たい夕食と共に、私はしばしスマートフォンを見ながらぼんやりしていたのだったと思う。

 私は突然酒が飲みたくなった。ビールでも缶チューハイでも焼酎でもウイスキーでも、何かあればとりあえずそれでいい。そう思ってキッチンを探索したが、そのどれも無い。

 衝動とは厄介なもので、「飲みたい」という火が一度灯ってしまったならば、それを揉み消すことは容易ではない。手っ取り早く消す一番の方法は、「飲みたい」という欲求を満たしてやることであろう。

 フリーターの上に酒飲みというのは本当にしょうもないな。自嘲しながらも、私は具体的に酒を飲むためのプランを考えた。

 この時間ではスーパーは閉まっている。とするとコンビニか。一番近い所で歩いて十分。確か今日の最低気温が六度。冷たい空気に耐えて往復二十分歩くか、衝動に抗うか。考えた末、私はジャージの上からコートを羽織って出掛けることにした。


 雪などは降っていないが、風が体を裂くように私の体をすり抜けてゆく。やはりジャージは失敗だったか。手早く行って帰らねば。私は裏道を通る選択をした。

 時刻は既に十一時。青色街灯で薄暗く照らし出される道に、私の足音だけが響いていた。

 街灯を青くすることが本当に犯罪を抑止するのか、私はいつも疑問に感じている。私に言わせれば、白く照らされた道よりはるかに薄暗く、そして不気味に感じられるのだが。

 とはいえ、そもそも犯罪者が日常的にウロついているわけでもなければ、完全な真っ暗闇というわけでもない。私は大して警戒もせず、コンビニを目指して早足で歩き続けていた。


 が目の前に現れるまでは。


 なぜすぐ頭の中で結びつかなかったのだろう。裏道を通るということは、竹藪の隣を歩かねばならないということだ。よりによって、あの『心霊写真』の竹藪を。

 ごうごう、ざわざわ。唸り声を上げながら、無数の竹が私を見下ろしている。ほんの一週間ほど前の私ならば、背景以上の何物にも感じぬまま隣を素通りしていたことだろう。


 ここにワオがいる? そんなはずはない。

 写真に何か写っていた? 何かの見間違いだ。

 言霊が何かを呼び寄せる? そんなことを信じるものか。


 背中の辺りから泡のように湧き出す非合理的な考えを、私は次々と潰していく。だが、蚊を潰した後に残る赤と黒の染みのように、思考の痕跡はべったりと背中に張り付いていた。


 落ち着け、あれはアオイが言い出した出鱈目だ。そもそもワオなんて居やしない。誰も会ったことがない。その証拠に、私もアオイも、誰もワオについて知らないじゃないか。姿も声も何をするのかも、どんな生態を持っているのかも……。


――』


 忘れようと努めたはずだった一週間前のリプライが、ふと私の肩に手を置いた。


『――?』


 水場。そういえば、ある。竹藪のすぐ裏に大きな池が。あそこに落ちたら大変だからこそ、大人達は我々子供に入らないよう警告していたのだ。



 画面の向こうにいた誰かが、耳元でくすりと笑ったような気がした。



 いや、いや、いや。私は必死に目を覚まそうとした。

 あのリプライが何だと言うのだ。どこの誰とも分からない人からリプライが届いたからといって、それがどうした。どれだけの信憑性があるというのか。ワオなんていうのは、我々家族が考えた想像上の存在に過ぎない。この竹藪になど、住んでいるはずがない。


 だというのに、どうして。

 今日の竹藪は、どうしてこうも私を見つめているのか。


 木々の間の闇から噴き出す、谷底を覗き込むようなぐらぐらとした不安感。私に覆い被さり喰らわんとするかのような重圧。冷たい空気に触れ悲鳴を上げる、背中と掌から噴き出す汗。

 これは、まるで――。


 私の思考を遮ったのは、ガサリという異音だった。


 間違いない。それは目の前から聞こえた。そう、この竹藪から。

 風に吹かれる風の音を聞き間違えたのではないか。そう信じたかったが、明らかに質が違う。ざわざわという笹の揺れる音に紛れ聞こえてくるのは、明らかに落ち葉や砂利を踏みしめる音。意思を持った何かがこちらに近付いてくる音。何かの、足音。


 ざくり、ざくり。


 私があの場から逃げ出せなかった理由を、今でも正確には説明できない。本当に怖い時は体が動かない、とよく言うし、確かにそれも半分正解だろう。とはいえ、それではもう半分が説明できていない。

 今思えば、あれは義務感にも近かったように思える。こちらへ近付いてくる何者かは、間もなく私の目の前に現れるだろう。それが通り一遍のものではないと、その時の私はほぼ確信めいて直感していた。

 それを終いまで見よと、理性を超えたものが私を縛っていた。アオイが、そしてお前が始めたことから、目を逸らしてはならないと。何者かが私に強制していたのだ。


 ざくり、ざくり。


 私の足が冷え切ったアスファルトと同化する中、それはゆっくりと、しかし確実にこちらへ近付いていた。ドッ、ドッという心臓の音が耳まで届く。体の末端が震えだす。それでも、瞼を閉じることも視線を逸らすこともできない。竹藪から、そしてそこから現れようとするものから、目が離せない。


 ざくり、ざくり。


 私の喉から、「い、い」と音が漏れていた。しかしそれは、池で溺れながら叫ぶように途切れ途切れで、具体的な声とはならない。


 ざくり、ざくり。


 青い光に照らされ、竹藪の闇にぼんやりと何かのシルエットが見える。

 人間ほど、あるいはそれ以上もありそうな体格。長い手足。竹をかき分けながら、ゆらりと現れたそれは、


「……兄貴?」


 人間だった。いや、より正確に言うなら、そこにあったのはよく見知った顔。大学帰りのアオイだった。


「兄貴何やってんだこんなトコで」


 危うくバランスを崩して倒れるところだった。「何やってんだ」はこちらの台詞であったが、「ああ、ああ」としか言葉が出てこない。背中の汗も、縛られるような感覚も、竹藪それ自体の重圧も。全てが拡散し元に戻っていく。


「兄貴お前また酒買いに行ってんな」

「……おう、ああ」

「とりあえず今日は帰れ、それどこじゃねぇ」

「ああ、ああ」


 確かに酒どころの気分ではなかった。体どころか精神の芯まで冷え切って、今すぐ温めたい気持ちだ。私はアオイと共に家路につき、暖房の効いた部屋でしばし落ち着くことで、ようやく平静を取り戻した。


「兄貴お前な、酒飲みすぎだって陰で家族に言われてんぞ」

「そうか、すまん」


 アオイと私はしばしそのようなつまらない雑談をし……そして、それからだ。アオイの先程の発言に、私が引っ掛かりを覚えたのは。


「アオイ、お前さっき『それどころじゃねぇ』って言ったろ。ありゃ何だ」


「そう、それだよ。


 アオイはそう言いながら、己のポケットを漁り始めた。


「やっぱこれ、シャレになんねぇことしちまったわ」


 やがてアオイがポケットから取り出したのは、彼のスマートフォン。


「アレから俺、結構踏み込んで調べてたんだよ。兄貴のツイートがバズってから。出るなら絶対今だと思って。前より竹藪に近付いて、中にも入って」


 アオイの表情は、興奮と恐怖が入り混じったそれであった。


「明らかに竹藪の雰囲気が変わってたんだよ。俺が実験を始める前は、あんな竹藪何でもなかった。でも今は違う。重苦しい空気で満ちてる。兄貴は感じなかったか?」


 アオイが口にするそれは、あの時私が竹藪に覚えた感覚そのものであった。


「そんで今日だ」


 神妙な面持ちで、アオイは続ける。


「俺が竹藪の中に入ってみたら、明らかに何かの気配があった。俺の知る限り、あの竹藪があんなにヤバい空気だったことはねぇ……で、何かが動く気配があった」


 暖房の効いた部屋が、妙にうすら寒くなっていったのを覚えている。


「どう考えても危険だと思った。俺はスマホを取り出して、音の鳴る方に向かってフラッシュ焚いて写真を撮った。それから逃げて、で、兄貴に会ったってわけ」


 そこでよく写真を撮ろうと思うものだ。その根性は褒めたかったが、今問いたいのはそこではない。


「結論を言ってくれ」


 私が答えを急かすと、アオイはスマートフォンをずいと差し出し、私にその画面を見せた。




「……




 それは、写真の端。地面近くに写っていた。

 竹の陰から顔を出しているそれは、何らかの小動物に見えた。体全体が妙に白く、薄ぼんやりと輝いている。顔には間違いなく目がふたつあり、カメラの方をじっと見ているようだった。


「――イタチじゃねぇの?」


 私はまずそう言った。姿かたちとして一番近いのは、確かにイタチだったと思う。


「兄貴はこれが白いイタチだっていうのか?」

「いるだろ白いイタチも、『ガンバの冒険』のノロイみたいな」

「じゃあイタチが光るか?」

「光らねぇけど。フラッシュの反射とかで光ったように見えるかもしんねぇだろ」


 珍しく、アオイの言葉をなるたけ否定しようとしていたのを覚えている。それでもアオイは力強く続けた。


「とにかく、俺が写真を撮った時、薄ぼんやり光るイタチなんていなかった。で、コイツが仮にイタチだとしてだ。なおまずいだろ。呼んじまったんだよを」


 動物霊。

 名前の通り、動物の姿を取った低級な霊だと言われている。『こっくりさん』で呼ばれるような霊も、狐の動物霊らしい。姿は個体によって様々で、狐であったり、狸であったり、蛇であったり……それから、イタチであったり。


「いや、でも」


 普通の生きてるイタチかもしれないだろ。そう言うのは簡単だったはずだが、私は不思議とそれ以上反論する気にならず、アオイの話を聞き続けた。


「兄貴なら知ってると思うけど。動物霊ってのは死んだ生物が化けて出るみたいな単純なモンじゃねぇ。神の遣いが堕落したヤツだったり。恨みを持って死んだ奴が集まって動物の形になったり。あと……生きてる人間の思いが集まったり」


 生きている、人間の、思い。

 私は頭の中で、ゆっくりとこの言葉を噛みしめた。


「『言霊』だよ、兄貴。俺が『ワオがいる』って言った。兄貴がそれを広めた。沢山の人間がそれを見た。ウン千人の思いが集まりゃ、それがイタチの形で――」


「よせ」


 私はようやくそこで弟を制止した。


「……アオイ、とにかく『心霊写真』はもう終わりにしよう」

「分かってる。マジモン呼んだとなりゃヤバ過ぎる」

「いや、マジモンかどうかは分からんが。とにかく危険だ」

「絶対マジモンだって。だからこそこれ以上は危ない。分かってる」


 それぞれの主張は平行線のままだったが、この試みを中止するという点において、私達の意見は一致した。

 私は結局、あくまで『普通のイタチ』説を崩しはしなかった。その一線を軽い気持ちで乗り越えてしまえば。声に出して認めてしまえば。今度こそ『線』が『形』と化してしまう。そんな気がしたからかもしれない。




「竹藪、何もいなくなったわ」


 アオイが私にそう告げたのは、彼が『心霊写真』の投稿を止めてから何か月も経ってからであった。


「俺さ、久々にあの竹藪に寄ってみたわけ。大学の帰りにさ。でもこれが何にも感じねぇの。ただ竹が突っ立ってるだけの、足場が悪い場所だよ。今写真撮っても何も写んねぇだろうな」


 よくもう一度足を踏み入れる気になったものだ。私は呆れたが、アオイはアオイで拍子抜けしたような顔をしていた。


「ネットの流行りって一瞬だし、みんなワオのことなんか忘れちまったんだろうな。だから折角集まってた意識も散って、ワオも消えちまったんだ」


 そうだな、とは言わなかったが。とにかく竹藪から奇妙な気配が無くなったことだけは確かだった。

 私は今も時々夜中のコンビニへ行くし、その際竹藪の前を通ることもある。それでも、あの晩のように押し潰されるような感覚は、ただの一度も覚えたことがない。


 あれから一度、母親に訊ねたことがある。


「小さい頃に『ワオが出るぞ』って言ってたろ」

「『ワオ』? フフッ、そういえば言ってたね」


 久々に耳にしたその言葉に、母は小さく笑い声をあげていた。


「ワオって、結局何?」

「ワオが何かって? さぁ、私もよく分かんない」

「小さい頃におばあちゃんから聞いたとか?」

「いや、そういうのでもなくて。完全に適当よ。お化けが『ワッ!』って出るよ、みたいなこと言ってたのが、いつの間にか『ワオが出るよ』になってた、みたいな」


 やはりそうだ。言い伝えの怪物ですらない。ワオはいなかった。いないものに名をつけ、私達を怖がらせていただけに過ぎなかったのだ。


「でもアンタ達、『ワオが出るぞ』って言ったら泣いて怖がってたねぇ」


 幼い子供だった私達を思い出したか、母は懐かし気に微笑んだ。


「アンタ達はどうだった?」


「え?」


 不意に問われ、私は思わず訊き返した。母は微笑んだまま、改めて問うた。


? ?」


 ……私はきちんと答えられなかったが、現在は何となく結論を出している。

 ワオは恐怖そのものだ。弟と共にオカルト番組を肩を並べて見ていた、幼い頃。あの頃確かに感じていた、知らない世界への恐怖。その全てがワオだった。私達は、怖いものという概念それ自体を恐れていた。


 アオイの撒いた『点』が『形』となろうとしていたのか、『点』の並びがたまたま『形』に見えただけだったのか。今となっては確実な結論は出せない。

 だがアオイの『心霊写真』が、カーテンやドアの隙間で眠っていたワオを目覚めさせ、私達の前に呼び出したのは間違いない。




 あの日、あの竹藪に、確かにワオはのだ。

 私は今もそう信じている。

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