たった1話のこの作品中には、生物界を展開する神とやらの視点における、「人間」という生物の、言うなら「ビジネスモデル」の正体が、嫌というほど描かれている。
人間と他の生物。
動植物その他すべて含めて。
その複雑な関係性は、人間というビジネスモデルの枠内で、とてつもない仕掛けをもたらし、それ故、人間という生物ビジネスモデルが成立っているのである。
もっとも、それは人間同士の間であっても、一緒やないか。
人間個人の個々のつながりばかりじゃない。
人間とやらの作り出す「組織」、究極には国家間にしても、同じではないか。
・・・ ・・・ ・・・・・・・
結局私ら人間様(皮肉付)も、他の動植物たちも、神とやらの作りしビジネスモデルの中で踊らされているだけかもしれない。
踊る阿呆に見る阿呆 同じアホなら・・・
阿波踊りの節ではないが、そんな中で、私たちは紙とやらの作りしビジネスモデルの中で踊るように生きているだけなのではなかろうか。
何とも鼻につく菜食主義者達の胡散臭さと傲慢さ。
何故そう思ってしまうのかのひとつの解がここにあります。
「原罪」という言葉の意味をちゃんと勉強し直す必要がある。
生まれた瞬間から死ぬそのときまで、誰も逃れられないからこそ「原罪」というのです。
結局、人は他の生物の命と未来を奪わずには1秒たりとも生きていられない生き物なのです。それを悔い改めたところで事態は何も変わりはしないし、救われることもない。
後悔し泣いて詫びながらそれでも食って生きる。人とはそういう生き物なのだ。今更自分の都合でそれを止めたところで、人に依存して生きる生き物たちは自力で生きる道なんて今更探せやしない。食おうが食うまいが、どのみち我々は運命共同体。死なば諸共の結末しか待ってない。
農業と言う切り口から、人が生きると言うことの意味を掘り下げる本書。
どなたにも、読んで大いに悔いて、泣きながら感謝して飯を食って頂きたい。
ちなみに、じゃあ死ぬわというのは最大の反則です。ひとりだけ死んで逃げるなど、神がいるとするなら許す訳がない。
このエッセイは白ねぎ農家な方によって記された、巧みなレトリックを用いたものだ。
あえて流れを汲むものを探すなら「フルハウス 生命の全容ー四割打者の絶滅と進化の逆説」という古生物学者がMLBと生命を語った著作になる。
簡単に記すと戦力の均衡により四割打者はいなくなった。
更に地球において最も繁栄しているのは「微生物」であるという内容だ。
肉食獣よりも草食獣の方が数は多い。よって種として繁栄しているのは草食獣である。という感じ。
前半部分はこれに該当する。
では農業、奴隷、鯨、信仰、命の定義という点はどうだろう。
実は大体結論が記されており、こちらは価値観の話である。
情報化社会になり激しく価値観がぶつかり合う世界では、もはや「自らの正義」は信仰であり生き方だ。
価値観の否定は「その人そのものの否定」という勢いで皆価値観を押し付け合う。
巧みなレトリックを用いたお薦めエッセイです。