少年の日の甘やかな記憶、二度と拭えない感情

>少年はスクリーンに映しだされる女優を指差して言った。

>――あれは僕なんだよ。

不可思議なシチュエーションが、あらすじで提示される。
ミステリー? ファンタジー? SF? 興味を覚え、読み始め、止まることなく読みきった。

主人公は語り手でもある岸沼。炭鉱町に暮らす比較的裕福な少年。
そして彼が夏休みの他に客もいない映画館で出会ったのは、同級生の葛城だ。貧しく、映画館で雑用をして日銭を稼ぐ彼は、しかし美しい声の持ち主で、冒頭の不可解な台詞を口にする。
無声映画。弁士もいない。外国の映画だからストーリーもわからない。だが葛城は女優の台詞を生き生きと吹き替えてみせる。彼に導かれ、岸沼はその映画を毎日少しずつ観進めていくことになった。

無声映画を観る。白黒の画面に映る異国の女優の美しさに魅せられる。そして同時に葛城の声を聴く。彼の紡ぐ声と物語に心惹かれる。岸沼を捉えたのは、果たしてどちらか。
奇跡のような時間にはやがて終わりが訪れる。結末は苦い。けれど彼らにとって一生忘れがたい出来事となったのは……その苦みがそこまでの甘美さをより強く引き立てたからなのではないか。そんなことを思った。

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