洋菓子店密室殺人事件

吉岡梅

ヒントタイム

 探偵・秋尾小五郎あきおこごろうは憔悴しきっていた。犯人の目星はついている。被害者の二人の息子のうちのどちらかだ。大規模な設備投資を行い、通販部門強化を推し進めてきた兄と、頑なに昔ながらの店舗経営にこだわってきた弟。しかし、死体消失トリックを暴かねば、何れかを糾弾することはできない。あの新作スイーツ披露兼、後継者発表パーティという、衆人監視により堅牢に築き上げられた密室状況からどのようにして被害者を消し去ったのであろうか。


 その事ばかりを考えていると、いつのまにか自宅にたどり着いていた。これはいかんと頭を振り、玄関のドアを開ける。


美嘉みか君、ただいま帰りました」

「まあ、先生、おかえりなさい。今日もお泊まりかと思っていました」


 屋敷の奥から、妻の美嘉がいそいそと出てきた。


「そのつもりでしたが、そろそろ着替えをしないと、匂ってきてと周りに言われてしまいしまいましてね」

「ふふふ。相変わらずですね。それじゃあお風呂にしますか?」

「いえ、その前に何かお腹に入れたいです。軽いものでいいので、頼めますか」

「あら、どうしましょう。丁度今日、冷蔵庫を整理してしまったところで……そうだわ。良い物が。リビングでお待ちになって下さい」


 美嘉は、いつものように軽快な足音を立てて台所へと消えて行く。若々しく、小気味の良い音だ。慣れ親しんだリズムを耳にした秋尾の頬が、ふっと緩む。と、同時に張りつめていた緊張が解けたせいか、一気に疲れがやって来た。


 重い体を引きずるようにしてリビングへと入ると、ジャケットを脱ぎ、ネクタイを外して靴下を脱ぐ。テーブルに着き、ワイシャツの袖ボタンを外してまくり上げていると、台所の方からトントンと包丁を使う音が聞こえてきた。現金な物で、その音に反応してお腹がぐうと鳴る。秋尾は思わず苦笑してお腹を2~3回撫でた。


「お待たせしました」


 美嘉が、お盆に載せて持って来たのは、お茶漬けとお新香だった。漆塗りの木椀には、なみなみと注がれた出汁と共にご飯が盛られている。中央には昆布と種を抜いた梅干しがちょこんと乗せられ、刻み海苔とが散らされていた。木椀の脇の小鉢には、水なすの漬物が添えられている。


「ほう。お茶漬けですか。これは食べやすくてありがたい。なにより、きちんとが乗っているとは」


 秋尾が相好を崩して、いただきますと手を合わせると、美嘉は向かいの席に腰かける。両手で頬づえを突くと、夢中で木匙を動かしている秋尾の様子をにこにこと見守っていた。


「ふふふ。先生は、あられがないとお茶漬けを食べた気がしないのですものね。浮月楼ふげつろうで鯛のお茶漬けを頂いた時にまでそんな事を仰っていたので、よく覚えていますわ。良いお年をして、子供みたいなんですから」

「これは弱りましたな。内密にお願いしますよ。やあ、それにしても、これはうまい。しかし美嘉君、このお茶漬けのお米、今、出汁を注いだにしては、何やら妙にほろほろとしていませんか。まるで雑炊のように煮立てでもしたみたいな食感ですね」


 秋尾はポリポリとあられを噛み砕く音を立てながら、不思議そうに木椀を見つめている。


「さすが先生。実はそのお米、フリーズドライの物を使っているのです。今日は、ご飯を炊いていなかったのですが、良い機会なので使ってみようかと。やはり炊いた物よりも、ほろほろとしますので、お湯で戻したついでに、いっそお茶漬けにしてしまえばどうかしら、と試してみたのです」

「成程。いやあ、美味しいですよ。私は、お茶漬けはの方が好みですからね。それにしても、お米をフリーズドライですか。いろいろと便利になっているものだなあ」


 しげしげと木椀を見つめながら、秋尾は漬物に手を伸ばして口に放り込んだ。


「うん。このお漬物もシャキシャキで美味しいです。なに、今回の現場は人気スイーツ店なのですがね、そのおかげで、差し入れや茶菓子も甘い物ばかりで辟易していた所です。これはありがたい」

「まあ。それは良かった。でも先生、実はそのお漬物もフリーズドライなんですよ」

「えっ! こんな瑞々しくてシャキシャキな茄子がですか?」


 秋尾は改めて漬物を口へと放り込むと、確かめるように噛みしめる。そして目を丸くすると、美嘉の方を見て信じられないといった様子で首を振った。


「ふふふ。今はいろいろと技術が進んでいるみたいですよ。お漬物だけじゃなくて、お豆腐や、フルーツなんかも。そうそう、スイーツという事でしたら、最近はドライフルーツの代わりにフリーズドライしたものをそのまま利用したり、粉末状にして練りこんだりもしているそうですよ」


 美嘉の説明を頷いて聞きながらお茶漬けを掻き込んでいた秋尾であったが、急にぴたりとその手が止まった。


「スイーツ……フリーズドライ……粉末……まさか……いや、でも確かめる必要がありますね。美嘉君! ありがとう!」

「い……いえ。先生、どうしたんですか急に。ひょっとして、何か事件に関係する事を思いついたのですか」

「その通りです。さすが美嘉君。家庭に入っても助手の時の切れ味は錆びついていませんね。では、早速……」


 秋尾は、席を立とうと立ち上がったが、目の前の美嘉を見つめると、また座った。


「早速現場に、と行きたい所ですが、今はもう少し美嘉君の手料理をご馳走になりましょう。お風呂にも入らなくてはいけませんしね」

「はい。先生。少しはお体を休めて下さい」

「はい。そうさせて頂きましょう。恐らく犯人に逃亡の恐れはありません。現場に行くのはゆっくりでいいでしょう。そうだ美嘉君、久しぶりに一緒にどうですか?」

「現場にですか? ええ、先生のお手伝いができるのであれば、喜んでお供しますが……」

「いえ、お風呂の方です」

「まあ」


 美嘉は目を丸くして驚いたものの、くすくすと口に手を当てて微笑むと、こくんと頷いた。それを見る秋尾も、お茶漬けを頬張りながら、うんうんと頷いた。


 幸せな空気が、二人を包んでいた。

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