子猫のくしゃみ
彼女は、首を傾げた。
「どうしたの?」
それどころじゃなかった。
――――ひっぷし!
あ。
それは僕のくしゃみだった。
恥ずかしくて、ちょっと顔を背けた。
そして、ふと、僕も彼女も、気づいた。
「君、意地でも出てこなかったのにねぇ?」
僕の脚は、白線の向こうを踏んでいた。くしゃみの衝撃だ、と僕は考えた。
「初めて、こっちまで来てくれたでしょ?」
僕は、そろそろともう一歩を踏んでみる。
何も無かった。
僕の住みかと、何の変わりもない地面があった。それで、少し安堵して、少女の足元に近づいた。
「はじめまして、子猫くん」
彼女は“猫じゃらし”を置いて、僕を撫でてくれた。
触られるのは怖かったけれど、撫でられるのは案外悪くなかった。
「意地っ張りだったね」
彼女は、意地の砕け散った僕に笑いかける。いや、意地だったのかな。単に僕が無知だっただけな気がした。
彼女は「そろそろ帰らないと、夕飯が無くなっちゃうからね」と立ち上がった。僕はそんな少女を見送ろうと思った。
てけてけと、僕は翻るスカートの後ろを歩いた。
「見送ってくれるんだ?」
彼女がにやりとする。僕もにやりとしてみる。伝わったかなぁ……。
***
僕は道を渡りきったところで立ち止まった。彼女は振り返って、言った。
「また遊んでくれるでしょ?」
いつも遊んでくれてありがとう、と彼女は何かを投げた。これが姉ちゃんの言っていた“ご馳走”なのかと思った。
セーラー服の襟に縁取られた彼女はとても美人だった。それくらい、猫である僕にもわかった。
踵を返して、彼女は遠ざかる。少し寂しかったけれど、僕は幸せだった。
眠たくなって、帰ろうと僕は彼女に背を向ける。
兄さん、夜行性じゃないの? と妹にからかわれるだろうと思った。
それでもいい。
僕は“英雄”になれたのだから。
“英雄”になるのに必要だったのは、大仰な修行なんかじゃない。
ほんのちょっとの、小さなきっかけだった。
子猫のくしゃみ 月緒 桜樹 @Luna-cauda-0318
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