子猫釣り

 日が、落ちて。

 都会の街の外れとはいえ、夜空には小さな星は見えない。見えるのは、せいぜい3等星くらいまで。


 生温なまぬるい風の中で、僕は塀に登って、傍のバイクを眺めていた。


 さわり、と風が僕を撫でて、ふっ、と覚えのある微かな――人間には知覚できないような――香りが流れてきて、脚に靴音を感じた。



 ――――彼女が来た!


 塀を飛び降りて(怖かったけど!)、いつもの位置にスタンバイする。道のぎりぎり一歩手前、待っていたのがバレないように、つん、と澄ましてみながら。


「なぁに澄ましてんのよ!」


 また姉ちゃんが余計なことを言った。まったくもう! なんなのさぁっ! 僕は小声で叫んだ。

 姉ちゃんは、にやにやして続けるのだ。意地悪な言葉を。


「半人前の子猫くんは、澄ましても笑われちゃうわよ?」


 むかぁぁっ、と頭に血が上る。み゙ゃあ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙。顔からぷしゅー……、と湯気が立つみたいだった。



「――珍しい。喧嘩してるの?」


 声が

 間違いなく、彼女のご登場だ。待ってた! と言うのは、姉の手前できなかったので、みゃあ、と鳴いてみせた。


 タイミングを外されたせいで、凛々しく澄まして居られなかったのを、少しだけ悔やんだ。それで、どうなるわけでもないけれど。


「可愛い」


 彼女が微笑んだ。ご挨拶だね、僕は格好良いって言われる方が嬉しいんだ。女の子じゃないんだから!

 それで、引っ掻く素振りをしてみた。当然彼女に届くわけもないので、僕の脚は虚しく空を切り裂いた。


少しの間が空いて、


「――そう! ご飯持ってきたの! 食べるよね?」

そう言って彼女は、少し遠くに視線を移す。


「君も食べる?」


 視線の先には、姉ちゃんがいた。問われて姉ちゃんは、ふいっ、と顔を背けた。


「うーん……全部君のものになりそうだね」

 彼女は苦笑していた。風が少女のセーラー服のスカーフを揺らす。鞄からスティックパンを取り出して――そのプレーンのスティックパンが、僕は好きだった――。


 千切った。


 そして、投げた。


 僕の足元にそれは落ちて。


 美味しそうな香りが――――。


 僕は容赦なくパクついた。当然だ、誘惑が強すぎたんだから。

 ちらりと姉ちゃんを見ると、何を考えているのかわからない顔をしていた。隙を見て、僕のパンを奪いに来そうだ。


 ぽい、とパンが飛んできた。大きかった。ちらりと姉ちゃんを窺って、僕は、パンを姉ちゃんの影に持ち去る。


「隠れちゃうの?」


 少女が笑った。

 うん、隠れるの。誰に取られるかわからないもの。僕はそう言った。



 しばらくパンを貰って、僕は満腹になって、手をつけるのを止めた。


「満腹なら、遊ぶ?」


 少女は、完璧に居座る気だ。少なくとも、あと15分くらいは。真っ暗なのに、帰らなくていいの? 僕は思った。




 ――――あ。


 虫だ、と思った。無意識に、それを目が追った。脚が伸びる。――ぱしっ。あーあ、捕まらなかった。


 いや、騙されない! この虫は、あの子が動かしている偽物なんだ、騙されないもの!

 ――ぱしっ。あれ、脚が動く。あれ、あれ、あれれっ――――?


「お、釣ーれた」


 にこっ、と彼女は花の開いたように笑んだ。酷いやつめ! ――ぱしっ。遊んで、くれるのは、嬉し、いんだけど! ――ぱしっ。


「あーあ」


 姉ちゃんが呆れたように溜め息を吐く。待て、姉ちゃんだって、目で追っているじゃあないか! ――ぱしっ。


 遊んでいるうちに、僕は、込み上がる不快感に気がついた。

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