The Summer Vacation in Paris

The Summer Vacation in Paris

 爽やかな初夏の、金曜の夜。

 吉野と岡崎は、いつものカクテルバーでグラスを傾けていた。



「……なあ、岡崎」


 吉野は、ここ最近ずっと岡崎に言おうと思っていたことを、勇気を振り絞りとうとう口にした。



「ん?」


「——お前、覚えてるか?

 2年前の、バレンタインの頃。

 俺たち、ここでチョコレート交換しただろ。

 俺が、リナからもらったベリーのチョコをお前に渡して、お前はパリ出張の土産にスモーキーなフレーバーのチョコを俺に買ってきてくれてさ」



「——ああ。そうだったな」


 懐かしそうな顔になった岡崎を横目で見つめつつ、吉野は何となくグラスをカラカラと弄んで何かを言い淀む。



「……で。

 それが、どうかしたか?」


「——いや。

 その時にした約束……お前、忘れちゃってんのかなーと思って」



「……」



 そこへ来て、岡崎も俄かにドギマギと俯いた。

 そして、微かな躊躇いを振り切るように、どこか無愛想に答える。


「——忘れてない。

『お前が彼女と綺麗に別れたら、一緒にパリ旅行に行ってやる』……って、俺が約束したやつだろ」



「ん、それ。


 ……そろそろ、どうかなって」




「——……」



 何か甘酸っぱいような、微妙な沈黙が二人の間にしばし流れる。



 ——やがて岡崎が、僅かに染まった頬をぐっと上げた。

 意を決したように、小さく呟く。


「…………

 まあ、行ってやらんこともないが」



「……ほんとか?」


 吉野は、主人からオアズケを解かれた大型犬さながらに、ぱあっと嬉しげな顔になる。



 ——そして、改めてお互いの気持ちを確かめ合うように、はにかむような視線を結び合った。




『行ってらっしゃい。——素敵な旅を』


 カウンターの隅で静かにグラスを磨きつつ、マスターは口元だけで微かに微笑んだ。





✳︎





 それから、約3カ月後。



『飛行機酔いする事もなく、昨夜無事にパリに着きました』


 冷房の効いたレストランの席にやっと座り、ふうっと汗を拭くリナのスマホにそんなメッセージが届いた。



「あ!ねえ、順からだわ!!

 はあーーー、よかったほっとした何事もなく到着したみたいで!!……って飛行機酔いとかするわけないでしょ二人とも仕事で乗り回してるんだしっっ!」


 リナはメッセージを読みながら、嬉しそうに微笑んだりブスくれたり忙しい。


「よかったですね、無事到着して!

 でも、そういうメッセージになっちゃう気持ちわかりますよ〜。あんまり幸せ全開にするのは流石に照れちゃうんじゃないですか二人とも?」


 そんなリナの横で、片桐も嬉しそうに微笑んだ。



 お盆休暇に入った三日目、リナと片桐は近くの複合型ショッピングモールで映画&買い物デートを楽しんだ。

 のんびりと午後を過ごし、通りがかりに見つけたイタリアンでピザとパスタをオーダーしたところだ。


 冷え冷えのグラスビールが片桐に、モスコミュールがリナの前に運ばれる。

 二人でグラスに手を伸ばすと、カチリと小さくぶつけ合った。



 吉野と岡崎は、この休みを利用してパリへバカンスだ。

 二人とも普段は有休などそっちのけのハードワークが当たり前になっており、こんな風にのんびり休暇を楽しむのはほぼ初めてなのではないだろうか。



「えー、そうかなあ。私なら嬉しさ全開のメッセージとか写メとか友達にじゃんじゃん送っちゃうけどなー」

「そこは女子と男子の違いですって。それに彼らはほら、中でもトクベツなんですし……ムフフフフっっっ!!!」


 そこにきて、片桐は何やらニマニマと嬉しげに口元を緩めた。


 どうやら片桐も、何気に腐男子の要素を多分に持っているようだ。吉野と岡崎の仲睦まじさを目を細めて幸せそうに眺めるその顔を、リナはこれまでも幾度となく目撃している。



 美味しそうにグラスを傾ける片桐を、リナはじっと見つめる。


 ほんと変わってるわよねー。片桐くん。

 でも……この人だから、私はこうして自分の幸せを手放さずにいられるのよね。


 互いの手を離すことなく、あの二人がこの先も歩いて行けるように、手を差し伸べるキューピッド。

 こんなにも重要かつ美味しい任務を手放す気なんて、私にはないもの。

 普通の彼氏だったら、「あんなイケメン達につきまとって、お前は一体どういうつもりだ!?」とかなんとか、きっと絶対に怒り出す。

 私のこんな行動を理解してくれて、大らかな気持ちで一緒に応援してくれるのは、間違いなくこの人だけだわ。


 そこで初めてリナも、届いたモスコミュールで喉を潤す。

 その爽やかな甘さは、今のリナの気持ちにぴったりだ。



「……ちょっと。

 さっきの一言で終わり?何か写真とかないのー?」


 続けてメッセージが送られてくるでもなく静まってしまったスマホの画面に、リナはぶうぶう不満を漏らしつつ、そのまんまのセリフを躊躇うことなく吉野に送信する。


「ああっリナさん!せっかく水入らずのラブラブ旅なんですからそういうワガママは……」

 そう嗜める片桐の台詞が終わらないうちに、新たな着信音が響いた。今度は画像だ。


「おーーっ!ここエッフェル塔?ってか岡崎さんかわいいー!!♡♡」

 リナが思わず歓声を上げる。


 吉野が岡崎の肩を抱き寄せ、無理やり一緒に写したショットらしい。

 突き抜ける青空と高く美しい塔をバックに、吉野はニカッとイタズラ小僧のような笑みを浮かべ、半ば強引に引き寄せられた岡崎は完全に嫌そう……というかむちゃくちゃに照れている。


「あはははっ!……もー、まるでDKの修学旅行ねこれ……

 ほんと、いつになっても全然変わんないんだから」


「……そうですね。不思議なくらい、何も変わらない二人ですね。

 こういう彼らだから、僕もますます応援したくなるのかもしれません」

「それ。私も全く一緒」


 写真を見つめ、そんな言葉を交わしながら、リナと片桐はふっと微笑み合う。


「……ん?岡崎さんの腕時計……

 初めて見た。こんな綺麗な時計、今までやってたかしら?」


 写真に写った岡崎の左手首に光るシルバーの腕時計に、リナがふと目を留めた。


「……あ、これ。

 多分吉野さんの会社のブランドの時計ですよ。確か2年前の3月頃に発売された商品です。

 シンプルで品が良くて、僕もすごく欲しかったんですけど、ちょっと手が届かなくて諦めたんですよねー……だから、よく覚えてます」


 写真をじっと覗き込んだ片桐が、そんなことを言う。



「……2年前の、3月……」


 リナは、何となく記憶を手繰った。



 ——確か、その頃は、まだ自分も彼らと親しい間柄にはなっていなかった。

 吉野の親友だという岡崎の説得を受けて吉野と別れた後、今度は岡崎の方に心を奪われてしまった、ちょうどその頃だ。



 もしかしたら——

 その頃には、既に二人の間には、何かが始まっていたのかもしれない。



「——この時計にも、何か二人だけの特別な意味があるのね、きっと」


 そんなことを独り言のように呟き、リナは温かな微笑を浮かべた。




『ったくこんなガキみたいな写真でほんと済みません!パリ土産たくさん買っていくので楽しみにしててください!』


 恥ずかしさを慌ててフォローするようなメッセージが届く。

 岡崎らしい、律儀なコメントだ。


「あはははっ、二人の夫婦漫才っぷりが目に浮かぶわね!

 うーん……しかし、あっちばかりイチャイチャされてるのもなんだかシャクだわね……よしっ」


 リナは不意に片桐の首に両腕を回すと、ぐいっと引き寄せる。


「はい片桐くん、スマイル〜〜!!」


 慌てたように赤面する片桐と頬を寄せたところに自分のスマホを構え、撮ったショットを手際良くデコレーションしていく。

「あわわわ……リナさんそれ送るんですか!?」

「当たり前よっ♪

『こっちも今ラブラブデート中なんだからねーっ♡♡』……っと♪」

 そんなコメントと共に、何とも賑やかに楽しげな一枚を送信した。


『おー、これは邪魔したな、悪かった!』


『じゃあ、リナさんと片桐さんも素敵な休暇を!』





「——……」



「……え……

 あの、リナさん……!?な、泣いちゃってます……!?」


「……泣いてなんかないし!

 ただ、二人とも立派に育ったなーって思っただけよ!」


 一瞬潤んだように見えた瞳をぱっと輝かせ、リナは片桐に向かって美しい笑顔を綻ばせた。



「さあ、5日間なんてあっという間よ!二人が帰ってきたらまたキューピッド活動が大変なんだから。片桐くん、今のうちに思い切りのんびり静かな時間を楽しんでおきましょっ♡♡」


「……はい、そうですね!

 キューピッド活動、僕にできることがあれば何でも言ってください。どんなことでもお手伝いしますから!」

「うん、そうするね♪

 それから……二人が帰国するまでに、私たちも……いろいろ……ね♡

 取り敢えず、その敬語を卒業しようか洋輔くん♡♡」



「……あっ……

 えっ……えーっと……?


 ……それ、ほんとですか??」


「じゃなくって!

『僕ももう待ちきれないよ、リナ』って……私を見つめて囁いて」




「…………」



 クスクスと幸せそうに微笑むリナに、片桐は真っ赤になって俯いた。







 ——そんなこんなで。

 真夏の空は、涼やかな闇に移り変わってゆく。



 遠くで、打ち上がる花火の華やいだ音がいくつも響く。




 それはまるで、これから始まる彼らの幸せを祝福する、高らかなファンファーレのように。








−Fin.−


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