5. The best of the best day in my life.
意識が追いつかない。
バス停のすぐ横にあるログハウス風の建物に入り、外向きのカウンター席に座らされた。そこでやっと手が離れた。
店員を呼びつけた小吉が何かを注文してから、自分もいつもと同じ注文に、「アボカド追加」を付け足した。なんだか、自分が自分ではなく、他人を操っているような気分だ。
「キョロ子?」
「ん?」
心配そうな小吉の顔が真横にあった。
いつの間にかテーブルの上にはアボカドバーガーアボカド追加にオニオンリングフライが殺人的な香りを放っていたのに、混乱した頭はそれすら感知できていなかった。
口の前にかざされたオニオンリングフライを齧る。噛む度に口の中に響く音すら美味しい。
僕の両手はだらりと垂れ下がっているのに、一つ目を食べ終わったら二つ目が口に近付いて来た。当然齧りつく。
今度は半月状のフライドポテトが近付いてきたので
「あっつ! 冷ましてよ小吉」
芯の部分が熱々だった。
「やっと我に返ったか」
「おお……ごめん」
またトリップしていたのか。こんな現実、受け止めきれない。
「ほら、俺が十円ハゲ作ってまで稼いだ金で買ったんだ。冷めないうちに食え」
口が上手く動かないので、首を縦に振ってから、上下が別れたハンバーガーを一つに重ね、長い爪楊枝を差し込んで崩れないようにする。それを少し上から押してから掴みあげて、口へと運ぶ。
「ちょっと! 包み紙!」
「へ? おお……!」
スカートにソースとアボカドの欠片が落ちていた。
ハンバーガーを取り上げられて包み紙に入れられてしまった。なんで包み紙に入れるというプロセスを忘れたんだ僕は。
「あらぁ、紺色で良かった」
まあ、後で手洗いはしないといけないだろうけど。
「良くないよ! ワイシャツ!」
「え? うわぁ」
ワイシャツが大惨事だった。これも母に怒られそうだから自分で洗わなければ。
「あ、大丈夫。大丈夫だから」
「何が大丈夫だよ! すいませーん!」
店員さんがシミ取り用のソーダ水を持ってきてくれるまで、小吉に胸を触られてしまった。
いや、正しくは拭いてもらったんだけど、それだけで脳がふやけるような気分になって使い物にならなくなる。
無遠慮に触られたりするのが嬉しい反面、こんな関係で良いのだろうかと、少しだけ不安にも襲われる。
ただ分かる事といえば、過分だということ。過分な幸福に自分がついて行けていなかった。嫌になってしまう。
あと一ヶ月もしない内に、独りで父の帰りを待つだけの生活が待っているかもしれないのに。
「うまいか?」
「え? ん、んまい」
シミはたっぷり残っていたが、気を取り直して久々の高級ハンバーガーを齧り続け、数分で喰らい尽くした。
それから、席を立ってトレイを返して、それから、どうしたんだっけ。
「おーい聞いてるか?」
脳はふやけたままだ。
小吉の声で我に返った。今自分が何をしているのか一瞬分からなかったが、どうやら国道の脇を歩いているらしい。
このまま歩き続ければ、海沿いの防砂林の横を走る道に当たる。今の所はまだ、我が家と呼べる家がある道だ。
ここまでに至る記憶が一気に蘇ってきた。そうだ、歩いて帰りたいと小吉にせがんだんだ。
「あー、うん、聞いてない」
盛大にため息を吐かれてしまった。
片手は汗ばんでいた。握られっぱなしだからだ。先程までは握られるだけで心臓が破裂するかと思っていたが、今は落ち着いた。
人はそれほど歩いていないが、車はたくさん通る。
でも他人の視線なんて、小吉が気にしない限り、気にならない。繋いでいる手の力を抜いても、離れなかった。
小吉が強く握ってくれていた。
小吉のもう片方の手には、僕と小吉の傘が二本。傘まで持たせて何をしているんだろう僕は。
でも、この状態を崩したくないから、何も言えない。
「だから、あれはどこまで終わった?」
「あれって何?」
無粋な質問だよそれは。思い出したくもない事を。
「だから……いや、いい」
察してくれたのかな。でも、そこまで優しくしてくれなくていい。
「あと一時間もあれば終わると思う……後はお母さんにサインしてもらっておしまい」
「そっか」
素っ気ない。
そう思ったのは一瞬だけだった。
僕の手を握る力が少し強くなった。
少しは寂しいと思ってくれているのかな。だとしたら嬉しい。
「父さんに付いていくの?」
「うん」
明瞭に答えた。それ以外の選択肢なんてない。それ以外を選ぶほど、僕は愚かな子供でもなければ、自分の人生に責任を持てる程大人でもなかった。
せめて、あと二年。
高校さえ出ることが出来れば、僕は自分で決断することも出来たかもしれないのに。
一応英語は出来るから、就職先くらいあると思うのは甘い考えだろうか。
「本当に?」
「え? うん」
小吉の手が少し緩んだ。
「本当にそれでいいの?」
急になんだろう。普段なら、僕を惜しんでくれているのかと嬉しくなってしまうところだけど、小吉の表情は険しかった。
「考えておいて」
何を考える必要があるのか分からない。
小吉は僕をここに残してくれるような力があるんだろうか。
例え母が許してくれても、僕は父を振り払ってここに留まることなんて出来ない。
そのことを小吉も分かってくれているはずなのに、どうしてそんな事を今更言うんだろう。僕の事を心配してくれている事だけは分かる。それだけでも嬉しい。
小吉の手は離れなかったが、僕の手を掴む力は緩くなってしまった。
僕から力を入れることは出来ない。そんな権利は僕にない。
明日、僕はあのバインダーを家へ持って帰る。父が望んだ通り、家族を壊すために持って帰るからだ。
小吉が少し僕の顔を覗き込んでから、また強く手を握ってくれた。
間違いない。今日は人生最良中の最良の日って言って良いかもしれない。
神様。僕に少しの間、小吉を与えてくれてありがとう。
しかも、一緒に連れ立って歩いても文句を言われない兄妹という設定付きで。
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