EP. The right decision is within me or within the future.
僕も父も、何も分っていなかった。
恥ずかしい程、何も分っていなかった。
父と母が結んだ家族という繋がりが、どれほど強くて、どれほど脆くて、互いに守らなくてはならないものか。
父は結婚を単なる恋愛の延長と考えていて、僕も僕で、兄になってくれた人によこしまな想いを抱いてしまって。
一体僕は今まで何を考えていたんだろう。
最初からあんなバインダー捨ててしまえば良かったのに。
あんなバインダーを送りつけられる前に、僕が一人で渡米してでも父をとっ捕まえて母の前に引き摺って来れば良かった。
こんな物のために、母と小吉をどれ程消耗させてしまったんだろう。
あれから、父からの連絡があったのは二時間ほど後。ニューヨークの隣の州にある空港からだった。
日本へ戻れる便のキャンセル待ちの列に並んでいたんだそうだ。
そこまでして帰って来るなんて、父にしてはなかなかの行動力だった。
ちゃんと、母のことを諦めていなかった。
そして、翌々日。
「はーあ。みんなでニューヨーク行きたかったなぁ」
小吉のベッドは相変わらず居心地が良い。
手を伸ばせば届く距離に、ベッドを背もたれにして小吉が座っているのはとても心地よい。
「家族旅行なんていつでも行けるでしょ?」
「へ? あ、うん」
まったく、僕の感覚もよく分らない。家族という言葉を聞くと、目や耳が熱くなって、上手く話せなくなってしまう。
二年前から使い始めたばかりの言葉で、しかも今になてやっと正しい意味を知ったからかもしれない。
「なら温泉旅行でもいい……白髪発見」
小吉の後頭部から白髪をプチッと抜く。
「痛いよ。自転車で行ける距離にいくらでもあるよ?」
ああ、そうだった。素敵な我が初めての故郷。初めての故郷って変な言葉。
「そろそろ新幹線着く時間だね」
早合点を重ね、財産分与書類を送りつけてきたことを知った母の怒りは尋常ではなかった。
そして、それを隠していた僕と小吉も、正座と小遣い停止の憂き目を見た。
今、父を新幹線の駅へと迎えに行っているが、駅前のホテルの部屋を取ったから帰りは明日になるんだそうだ。
残念ながら色気も何も無く、ちょっと厳しいお説教をするため。父の性格は高校の頃からよく知っているんだそうだ。
本当に情けない。
世界一情けない父だと思うよ。
息子を振り回しすぎた挙げ句に十円ハゲを作り、それについて母に思い切り怒られて口を利いてもらえなくなったというだけで、この失態は取り戻せないと判断してしまったのだ。
「お、いっぱいあった」
「痛いって。全部抜く気?」
「うん」
もう増えることはないとは信じたい小吉の白髪はしっかり摘み取っておきたいとい。いや、こうしている間、小吉のベッドに居られるからだ。
携帯が震える。せっかくの兄妹水入らずの時間になんだ。
「あ、お父さん着いたって。早く会いたいなぁ。どんな顔して帰って来るかな?」
自分の娘が変わったことにもっと気付いて欲しい。
「なんだかんだで父さんのこと大好きだね。今まで父さんに反発したこと無かったの?」
「え?」
言われてみれば、昨日が初めてだった。
父に刃向かったのも、父に強い怒りをぶつけたのも、父を突き放したのも、全部。
僕は自分が思っている以上に、父に全てを託していた。僕自身は一体何をしたいのか、何を求めているのかなんて、一度として考えたことは無かった。
父に付いていく。それが僕の全てで、それ以外に何もなかった。
小吉と母に出会うまではずっと。
「小吉はあるの? 母さんに反発したこと」
「そりゃあるよ。うちもお父さんいない……いなかったからね」
心臓が少しだけ痛んだ。
僕は元々母を知らなくて、小吉は元々父を知らなかった。
でも僕には反抗期というのだろうか。そんな時期は無かったと思う。
毎日父さんが家に帰って来る時程、嬉しいことなんてなかった。
「でも、今はすごく良かったって思ってるよ。父さんのことは好きだし……その、目が大きくて可愛い妹が出来て」
思わず、息を飲んだ。
そんな風に、特徴を褒める言い方をするのはずるい。
「ほ、ほう、気に入った?」
なんて質問をしているんだ僕は。
「そりゃもう。白髪抜き機能は余計だけど」
「へぇ。ならベッド独占機能はいいんだ」
「良くないって!」
僕の中で、小吉がただの兄ではなくなってしまう。この気持は少々困りものだ。これからも一緒の家に住むのに。
「あ、旅行は無理だけど明日の放課後することは決めた」
「うわっ」
突然こちらへ倒れてきた小吉の顔に驚いてしまた。
「な、何するの?」
「お前のベッド買いに行く」
「え?」
なんだか嫌な気分になってしまった。
ベッドは欲しいけど、この部屋でくつろぐ口実が減ってしまうではないか。これはどうしよう。
「あそうだ、ダブルベッド買おうよ」
「買おうよってどういう意味だよ? 金持ちの兄者も流石にベッド代は出せんぞ」
全く。察しの悪い兄だ。
「だからここに置くんだってば」
「え? このベッドどうすんだよ?ていうかそんなバカでかいベッドいらないよ!」
まったく。常識にとらわれている小吉は僕の意図を理解してくれないらしい。
「一緒に寝るし」
「え!? そんなに夜眠れないの?」
「うん」
小吉が体ごとこちらへ向く。
心配そうな目でまっすぐ見られると、ちょっと恥ずかしい。
「だって昨日も八時間しか眠れなかったし。目覚ましの一分前に目が覚めちゃったし」
「妹者、それは快眠というのではなかろうか?」
「既存の価値観に囚われてはならぬよ兄者」
「だからって高校生の兄妹が一緒に寝るなんて有り得……」
もう、うるさい。うるさいから小吉の口を無理やり塞いでやった。僕の口で。
本当に困った関係だ。兄妹だけど兄妹ではなくて、一つの屋根の下で、どんな姿を見ても、別の感情が山のように生まれては募っていく。
小吉の良いところを挙げればキリが無いけど、一緒に住んでいるから、悪いところもたくさん知っている。
パンツに手を突っ込んで尻を掻いたり、歯の隙間に詰まった食べかすを変な音を立てながら取ろうとするし、歯を磨きながらオヤジくさくえづくのに。
でも、どの行動も小吉なら許せてしまう。
だから――
「おーい、キョロ子?」
現実に戻されてしまった。
「俺また鼻毛出てる?」
当然、途中から僕の妄想だった。
「行くよ! あの下が収納になってるベッドとプラケースも買うからね! あと鼻毛は出まくり!」
父に似て、僕も屁たれだ。いや、分を弁えているんだ。
突然口で口を塞ぐなんて事は、とびっきりの美少女が自分を美少女だと認識出来ていて、しかも相手が自分にベタ惚れだと分かっているから出来る事なんだ。
「今日はもう寝ようよ……ここで寝てもいいから」
「え?」
「えってなんだよ?」
おかしい。
唐突に今まで簡単に甘えられていたのに、それがおかしいと感じてしまった。
駄目だ。これは駄目だ。もうしばらく兄妹でいさせてもらおう。
だって、やっと僕と小吉は兄妹に戻れたんだから。
でもこの兄妹とは気持ちも素直に従うなり、断ち切るなりしないといけないことも分かっている。
なんだか、片手が温かくなった。
「ふえ?」
「ふえってなんだよ?」
そんな声くらい出てしまうよ。突然手を掴まれてしまったら。
指と指が自然に絡まる。
どうやら二人揃って、また新しい狭間に迷い込んでしまったらしい。
兄妹という関係と、また別の関係の狭間。
これは今までよりずっと厄介だ。
でも、この狭間から二人一緒に抜け出せる時は、きっとやって来る。いや、やって来させる。
その時を最高の状態で迎えてみせる。こうして二人指を絡めたままの、最高の状態で。
狭間にたたずむ僕達は アイオイ アクト @jfresh
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