7. Say what you say as clear as you can.

 急いでスマートフォンを拾い上げてライトを消したが、不安は消えなかった。

 携帯は繋がらない。

 どこかに身を隠せる場所は無いからここで身を小さくしているしかない。

 足音が近付いて来る。明らかに一人だけでは無いということは、小吉ではないかもしれない。

 口を思い切り押さえて恐怖の声を抑える。ここに来ないでと願うしかなかった。しかし、部屋の小さな扉が、無情にも開く音がした。


「キョロ子、いる?」

「小吉……?」


 驚かさないで欲しい。

 小吉ともう一人、誰かが持った懐中電灯の明かりは、真っ暗な空間を照らし出した。


「ごめん、ありがとうこんな時間に」


 多分、小吉と仲が良い生徒会所属の人だ。この部屋の存在が発覚してしまった。

 もう使わないし、もういなくなるから構わないのだけど。

 その人物は倉庫の中を懐中電灯の明かりを当てつつ見渡し、一つため息を吐くと、外で待ってると言い残して、ドアの向こうの真っ暗闇へと消えてしまった。

 懐中電灯を置いて行ってしまったけど、あんなに真っ暗な階段で怖くないんだろうか。


「ちょっと手伝って」

「え? 何を?」


 小吉が部屋へと押し込んだのは、四角い金属の箱のようなものだった。


「それ……何?」

「ん? 知らないの?」


 小吉はコンセントを挿しつつ、携帯で誰かを呼び出していた。電波が悪いのに繋がるのかな。

 あ、違った。僕が着信しないように携帯の電波をオフにしているだけだった。


「あ、父さん、見える?」

「え? お父さん?」


 カメラ通話アプリ越しに眠そうな父が映っていた。アメリカの東海岸にいるとしたら、まだ早朝だ。

 何かを話しているけど、父の声はこちらへは聞こえなかった。


「ごめん。お前の努力台無しにする」

「へ……?」


 大理石のバインダーを小吉が掴むと、最初の数ページを力づくで破り取ってしまった。

 体に、震えが走った。


「し、小吉……!?」

「え? 何? 聞こえないよ父さん」


 小吉が機械の上に破り取ったページを置くと、小気味よい振動音を立てて紙が吸い込まれていく。体に震えが走った。

 大きなシュレッダーだったのか。

 紙が吸い込まれていく度に、恐ろしい程の爽快感が駆け巡る。

 今まで苦しめてきた全てから開放されたような気分にさせられた。


「ごめん……こんなことして。ずっと考えて、これしか思いつかなかったよ」


 僕の方を見て、小吉は暗い顔になってしまった。


「あ、違うよ、これは鼻水が止まらなくて!」


 そうだった、泣き腫らしてどうしようもない顔になっていたんだ。


「ほら、父さんと話しなよ」


 小吉から携帯を受け取り、茫然とした父が映った携帯を見る。


 僕の世界には、父しかいなかったんだ。

 この人に頼って、この人に縋って生きていくしかなかったんだ。

 でも今は小吉がいて、母がいて、自分の気持ちも変わった。


「お父さん、娘は高校生になったんだよ。知ってた?」


 ここ数日で調べた事だ。きっと父は何が言いたいのかさっぱり分からないだろう。


「バイトしようと思ってさ。申請すれば出来るんだって」


 条件あるよと、外の生徒会の人からツッコミが入った。家族の会話を聞かないで欲しいな。


「お父さん、あのね」


 これから僕は父に言いたい事を全て言う。今がこの頃合いなんだ。

 父がどれ程僕のことを考えてくれているか、大事にしてくれているかも分かっている。とても不器用だけど。仕事の仕方も不器用だ。本当は上手く調整すれば頻繁に帰ってこれるのに、それが出来ない。

 僕はそんな不器用な父が大好きだ。大好きだからこそ、言わなくてはならないんだ。


 うまく口が動きそうにないので、バインダーから紙を何枚か破き、適当にシュレッダーの投入口に置くと、スムーズに紙を食べていく。

 小さく息を吐いて、吸い込む。


「お父さんいなくても、大丈夫になったよ」


 画面越しに分かりやすく絶望してくれている。言われるのが嫌ならこんな事言わせないようにして欲しい。


「お父さんさ、日本だと十五歳になってから三月三十一日を過ぎると就業可能になるんだよ? 自分でお金稼げるんだよ?」


 高ぶった感情が止まらない。こんな事今まで無かったのに。

 何度この画面の中の人物に引っ越すと言われたら、お友達にさよならを言わないと思う程度だった。

 ネットで適当に繋がっておけば、まあ寂しくないと自分に言い聞かせていた。

 でも母と兄が出来た今、僕自身を嘘で塗り固めた上で寂しくない、辛くないと思い続けていただけだという事に気付いてしまった。


 今だって、嫌ってもいない父にこんな言葉をぶつけてしまっている。

 吐き気のような感覚に襲われ、口を抑えた。

 今まで塗り固めてきた自分の嘘と、飲み下してきた言葉を抑えるのはもう限界だった。


「大丈夫?」


 小吉の手が背中に置かれるだけで、緊張が和らぐ。多分、父の手では、こんな風に気持ちがほぐれる事はない。


「お母さんにお願いするの。バイトしながら生活費払って、おうちで生活させてもらって、高校出たら就職するの。一人で住むの」


 お父さんはきっと、自分の声がこっちに届いていない事に気付いてもいないだろう。


「県営の雇用促進住宅ってね、収入に応じてなんだけど、家賃一万円くらいからなんだよ。色んな条件あるんだけど、入居出来ると思う」


 ひとり暮らしって出来るのかと調べていた事が脅迫に役立つとは。

 本当は一人でなんて住みたくない。

 母と小吉と一緒にいたい。家族一緒がいいんだよ。

 シュレッダーが音を立てて紙を食べていく。


「だって今のお父さんとは、一緒にいたくないから」


 父の口が止まった。やっと少し理解してくれたかな。僕の言いたいこと。


「もしね、もしもだけど、お父さんとお母さん選ぶ権利があるならね……小吉を選ぶよ」

「お、俺を選んでどうするんだよ?」

「い、いいもん小吉でも!」


 こんな時に思い切り言い間違えてしまった。けど、構うもんか。


 バインダーのページをまた破り取ってひたすら投げ込む。画面をシュレッダーの方に向ける。父が焦りに焦って何かを言っているけど、知ったことか。

 僕の言いたい事を聞いていろ。


「今……今すぐJFK行って一番早い飛行機に乗れよ!」


 完全に混乱をきたした顔の父がキーボードに指を踊らせている。

 どうやら音声がこちらに届いていない事にやっと気付いたようだ。


「父さん! この期に及んですぐには無理ってなんだよ!」

「ふぅ。小吉、大丈夫だよ」


 バインダーはほぼ空になっていた。

 はぁ、なんて気分が良いんだ。


「お父さんそこ前から借りてる家でしょ? スカースデールの。今から行くから待ってて」


 何を言っているとテキストで言われても、僕は至って真面目に言っているんだけど。どうせ無理だと思っているんだろうな。

 自分の携帯を取り出す。


「お母さん、ごめんなさい帰り遅くなって。今お父さんと話してるんだけどさ、お父さんがもしもの時用に渡してるお金あるよね? みんなでお父さんとっ捕まえて連れ戻そうよ、うん今すぐ! 帰ってすぐエスタ取ろうよ。火曜日くらいまで急いでお休み取れる? ……やった! さすが母者!」


 資金及び保護者確保完了。

 絶対に逃がさん。


「お父さん、チケット取ったらメールするね。空港まで迎えに来て。あと髪切ったの気付けよ! お母さんも美容院行ったばっかりだから褒めろよ!」


 初めてだ。父これ程わがままをぶつけたのは。


「一回だけ、一回だけでいいから! 娘の言うこと聞いてよ! 一時間……一分でいいから、母さんと話してよ! 許してくださいって言えよ!」


 酷い目眩を覚えて、通話終了と思しきボタンをタップした。

 父の顔が映っていた携帯を小吉に返す。

 いきなりアメリカ行くから休むと言ったら、友達や先生はなんて言うかな。


「無茶苦茶だなぁ」


 言いたいことを全部言えたからか、その反動で体に力が入らなくなってしまった。

 ふらつく僕の体を受け止めてくれた小吉が、頭を撫でてくれた。

 無茶苦茶なのは大事な書類をシュレッダーにかけた小吉の方だよ。

 小吉が、大好きだ。僕の世界一の、兄という存在を超えて、大事な、とっても大事な人。




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JFK: ジョン・F・ケネディ空港の略。ニューヨーク都市圏最大の国際空港。


スカースデール: マンハッタン島グランドセントラル駅から電車で30分程の場所にある村。1980年代~1990年代にかけ、日本人が多く住み着き、日本の植民地と呼ばれた高級住宅街。


エスタ: アメリカの電子渡航認証システム。アメリカへ入国する際には必ず必要な事前審査。

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