【本編完結】のじゃ姫! 信長様と天下布武~現代知識で未来を変えろ~

里見つばさ(旧 風間つばさ)

第一部 鳳雛編

プロローグ 一五四五年那古野にて

 アパートまで、二十秒といったところで、何も見えなくなった。

 立ちくらみか? 参ったな。目の前が真っ暗じゃないか。

 いや、立ちくらみとは違うような。


 徐々に視界が明るくなるにつれて、辺りの風景にピントが合ってくる。

 カッと陽射しが降り注ぐ田舎の田んぼ道。舗装されておらず、土が踏み固められたみちだ。蝉がせわしく鳴いている。

 ところが、この景色に全く見覚えがない。


 思い返す。一人暮らしのアパートで、大学の課題のレポートを作成をしていた。息抜きにコンビニまで歩いて、軽食と飲み物を買った。

 帰り道でアパートが見えてきて……記憶はそこで途切れている。


 ここはどこだ?


 辺りを見回そうとすると違和感を覚える。焦って自分の胴体を見れば灰色の着物。羽織姿だ。しかも刀を二本差している。

 デニムにTシャツだったおれが着物と刀。紛れもない武士の姿だ。受験に失敗はしていないが立派な浪人といった風情で、全く笑えない。


 連想したのは『時代劇村』とかいうテーマパーク。

 いや、違う。

 テーマパークのような小さく狭い作り物ではない。

 絶賛大混乱中のおれの背後から悲鳴が聞こえてきた。


「あわわぁあ! どくのじゃあっ!」

 咄嗟とっさに振り返ってみると、少年が乗った馬が迫ってきている!


 まずい、ぶつかるっ!


 避けたつもりが、無様にも大の字に倒れ込んでしまった。

 受け身をなんとか取れたのは不幸中の幸いだ。


「あ、痛たた……」


 上体を起こした目に映ったのは、パッカパッカと、こちらに馬を返してくる少年。

 彼も着物姿に赤い鞘の刀を差している。


 なにが起こった? どうして?


あいまぬの。大事だいじないか? しかし、ヌシがいきなり飛び出してくるのも悪いのじゃ」

 少年が騎乗のまま声を掛けてきた。

 甲高い声だ。

 混乱しているせいか頭が痛む。少年に答えた。


「少し頭が痛む」

「なんと、頭が痛む! 由々ゆゆしき事態かもしれぬ。しばし、待っておるのじゃ」

 少年は身軽なこなしで馬から下りて、手綱たづなを道端の木に括り付けて馬を固定する。そして、飛ぶように道の脇を流れる小川に駆け下りていった。


 そうか。水を汲みに行ってくれてるんだな。

 ほどなく小走りで戻ってくると、少年は不安げな眼差しで、湿らせた手拭いとヒョウタンを差し出してきた。

 だんだんと、混乱から覚めてきて、脳が働いてきた。


 周囲をいくら見回そうと、現代文明の欠片かけらすら見当たらない。少年の姿や話し方、遠くに見える板葺きの家屋。

 間違いない。ここは断じて現代日本ではない。

 いわゆる転移とかタイムスリップの類なのか?

 少年や家屋から想像するに中世だな。


「手拭いで頭を冷やすとよい。気が進めばこれを飲むのじゃ。単なる水だが」

 心配そうに覗き込む少年。小学校高学年ぐらいだろうか。整っている顔立ちだ。美少年といっていいだろう。

 この少年だけが頼りだ。現状を教えてくれ。頼む!


「ありがとう。少し記憶が曖昧なんだけど……ここはどこだい?」

 差し出された手拭いで顔を拭いながら、意を決して訊ねる。

「だいぶ落ち着いたようだな。ここは尾張国那古野なごや(愛知県名古屋市)なのじゃ。分かるか?」

 日本語が通じるのは助かるし、場所が変わっていないも良かった。

 おれは名古屋市の大学に近いアパートから通っているのだから。


「それから……今年は何年だい? できれば日付も」

 余りにも不自然な質問だが、背に腹は変えられない。

「うむ。天文てんぶん十四年七月二十日のはずなのじゃ」

 天文と言ったな。天文十四年といえば、西暦一五四五年。

 日本の中世史専攻なので分かる。


「ありがとう。助かったよ」

 おれの無事にホッとしたのか、安心顔ではにかむ少年。着物の仕立てからすると、裕福な武士の子だろう。

 帯代わりに着物を腰縄で締めている。ショートパンツのような半袴はんばかまといい、随分ラフな格好だな。

 いや、少年の格好より、一五四五年といえば戦国時代真っ只中じゃないか。まずいな。

 下手をすると生命の危険すらあるぞ。


 戦国時代の武士は、通常は小者こものといわれる従者じゅうしゃを連れている。おれは、一人でふらついていて、不審者扱いされても不思議ではない。というか、客観的にいって不審な武士そのものだ。

 危険極まりない状況だ。いつ斬られてもおかしくない。

 不審者という状況から、早急に脱しなければ大変なことになる。うまい手を打たなければ、文字通り命取りになってしまうぞ。


 幸いコミュニケーション能力は、塾講師も無難にこなせたし、まずまず自信はある。

 戦国時代と言葉が多少異なるはずだが、四の五の言ってられるか。

 まずは、この少年と仲良くなって、少年の親の伝手つてを利用するべきだ。


『きみは一体?』と問いかけようとしたところ、記憶に引っかかるものがあった。甲高い声で話す少年……縄の帯……ヒョウタン……赤い刀……那古野……。

 まさか! 織田信長か?

 電撃のような緊張が走った。唾をゴクリと飲み込んでたずねる。


「あ、あなた様は、ひょっとすると、織田弾正忠だんじょうのじょう家の?」

「左様。尾張のうつけ、と呼ばれている織田きつじゃ」


 やっぱりだ。幼名ようみょうは織田吉法師きっぽうし。戦国の風雲児、織田信長だ。記憶によれば年齢は十二歳。

 この少年が信長なのか。感慨深い。

 おれは、タイムスリップだか憑依だか分からないが、一五四五年に飛ばされてきてしまった。

 そして、戻る方法は現時点で分からないし、現代に戻れる可能性すら怪しい。


 決めたぞ。この少年信長についていこう。信長様についていこう。

 現代に戻れる方法を見つけるまでの身の安全は確保できるだろう。

 仮に戻れなくても、現代知識を利用すれば、天下人となる信長の元で大出世も可能なはず。

 ならば、このチャンスを最大限に活かすんだ。


「吉様はうつけと見せかけねばならぬ理由があるから、うつけのふりをするのでしょう?」

 少し言葉づかいが怪しいかもしれないが、分かったふりで応対してみよう。

 信長は、少年時代は周りに理解されず、うつけと呼ばれていた。

 天才は周囲には理解されにくい。

 こう言えば、おれの考える信長ならば分かってくれるはず。分かってくれ!


「何ッ!?」

 鋭い目で睨む。ガキとはいえさすが信長。目力や迫力は半端ないぞ。

 訂正。ガキというより美少年だな。

 目が大きく、まつ毛も長くスッキリとした二重の綺麗な顔立ち。さすが、戦国時代一の美女と名高いお市の方と同じ血筋だ。


「ヌシはワシのことを……理解できるのか?」

 怪訝そうな表情だ。

「はっ!」

 もちろんノーはない。生命の危険から逃れる正念場だ。


「では聞くが、尾張の戦をなくすにはどうすれば良いのじゃ?」

 よし。食いついてきた。おれの知っている信長ならば、正解は分かっているぞ。


「されば、民をやすんじ富ませ、商人の助力を得ます。そして、武力をもって不要な秩序を破壊し、新しき秩序を創り出す。まずは大義名分を得て、織田大和守やまとのかみを除き、守護(斯波義統しばよしむね)様を操れば良いかと!」

 史実で信長が行なおうとした戦略だ。

 どうだ? 正解だろう? 信長くん。


「ワハハ。ワシのことを理解できるのじゃな。名を申せ」

 やっぱり正解だった。良かった。

 それらしい言葉づかいで返答しよう。

それがしはカズマと申します」

「気に入ったのじゃ。ワシに付いて来るのじゃ」

 うまくいったようだ。第一関門突破と言ったところか。


 信長は能力がある者を出自を問わず重用していた。会ったのが信長でなかったら、こう上手くは進まないだろう。

「はっ! 喜んで」

「名を与える。ヌシはこれから左近と名乗るのじゃ」

 どこから、左近が湧いてくるの?


「へ? 何ゆえ左近と?」思わず訊ねる。

「それはな……左近に右近やら、四天王やらが家来にいれば、強そうで聞こえが良いのじゃ」

 厨二病かよっ!

 年齢が年齢だし、ドヤ顔をしている信長に楯突くのは愚かだな。

 短気で苛烈なエピソードも残っているし。


「ありがたき幸せにございます!」

「爺も心配しているので城に戻るのじゃ。ふむ……左近はそうだな、是非もなし。ワシの後ろに乗るのじゃ」

 馬に乗った経験はないけれど、どうやら身体が覚えているらしい。自分でも驚くほど簡単に騎乗できた。

 いいのか。仮にも嫡男ちゃくなんなんだし、普通は何人もお供が付くよな。

 思っていたら大声が聞こえてくる。

きつさまぁあ、探しましたぞお!」

 これまた騎馬少年が駆け寄ってくる。信長の近習きんじゅうだろうか?


「おう、カツか! 許せ」

「この池田勝三郎かつさぶろう、平手様に叱られてしまいます。して、そちらの御仁ごじんは?」

 怪訝そうな視線のガキは、信長の乳兄弟の池田勝三郎かつさぶろう恒興つねおきだろうか。


「カツ殿。某は左近カズマです。以後お見知りおきを」

 とりあえず、挨拶はしておこう。

「カツよ。見所があったのでこの左近を拾ったのじゃ」

「しかし、平手様になんと……犬猫じゃありませぬよ……」

「それは、カツの縁者としてじゃな……」

 信長と恒興が話しているのは、おれの素性の口裏合わせといったところか。

「風の噂でオウミに拙者の従兄の……滝川左近とやら……」

「それでよい。さすが、カツなのじゃ」


 作戦タイムが終わって恒興が話し掛けてきた。

「左近殿。拙者は池田勝三郎かつさぶろうです。貴殿は、近江国おうみのくに(滋賀県)出身の、拙者の従兄――滝川左近将監さこんのしょうげん一益かずますということになりました。

 しかとお願いします。くれぐれも、きつ様のお役に立つように」


 なるほど、織田四天王の滝川一益たきがわかずますというわけか。

 大出世コース確定だろう。これでひとまず安泰だ。

 しかし、一益さん本人がいたら、どうするんだ? 歴史が変わってしまうぞ。


 だが、よく考えたら、おれがこの時代にいる時点で、既に歴史が変わっている。是非もなしだ。

 よしよし、おれの戦国時代生活はかなり明るいぞ。


 ここで、恒興の後ろに乗り、那古野城に向かうことになった。

 もちろん、この時代の城に天守閣はない。

 門番を蹴散らすように城内に入るや、少年信長は辺りに響き渡るような声でわめく。心なしかご機嫌の様子。


「爺! 遠駆けから戻ったのじゃ! 左近を拾ってきたぞ」

 初老の武士が駆け寄ってきた。もり役の平手政秀ひらてまさひでだろうか。年齢の割に、総白髪なのは、ストレスが多いのだろう。

 爺は一瞥いちべつをくれるが、予想に反して警戒感は少ない。

 池田恒興はおれを下ろすと、どこかに馬を走らせていった。逃げやがった、間違いない。


「それはそれは、よろしゅうございました。しかしながら、吉姫様きつひめさま、本日は和歌の修練のはずでしたな!」

「されど、すっきり晴れていて遠駆け日和なのじゃ。ほら……左近だって」

 肩を落とす信長。

 ちょっと待った。今、平手爺は『吉姫』と呼んだよな?

吉姫きつひめ様! 明日の和歌の修練は四刻(八時間)いたしますぞ」

「和歌の修練は退屈過ぎるのじゃ」


 なんてことだ。信長が姫だなんて。

 嘘だろ? いや、嘘ではない。確かに信長は自分が男だとは言ってなかった。

 しかし、参ったぞ。

 信長が男ではなく姫だとすると、美少年ではなく美少女だな。信長ちゃんだ。

 信長ちゃんは、美少女でかなり好みではある。しかし、一二歳の小学六年生はさすがに守備範囲外だぞ。


 五年ぐらい出世しながら、信長ちゃんが無事に育てば充分守備範囲になる。

 しかし、知っている歴史とは違う……まずい。カンニングできないおれは、出世どころか生命も危ういかもしれない。守備範囲だとか言っている場合ではない。

 非常にまずいことになった。


 呆けているおれに、平手爺がニヤリとしながら耳打ちをしてきた。

「左近殿。ということで、あいまぬが、姫様のワガママにしばし付き合ってくれぬかのォオ?」

 逃げられないか? 無理だ。爺といっても戦国武将。イエスしか選択肢はないぞ。ヤクザ並の迫力だから。それに逃げられたとしても、不審者扱いだ。ここで、何とかするしか選択肢はない。

「かしこまりました! こ、光栄の限りでございます!」と返答するのがやっとだ。


 あの織田信長が姫だと!? どうする?

 この日、滝川左近と名付けられたおれの戦国時代が始まった。

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