今日、風と征く

七町藍路

今日、風と征く

 県境の山脈を抜けると、線路は大きく弧を描く。眼下に広がる平野は夕暮れに染まり、まばらな明かりが輝いている。雑木林の間を縫うように走ってゆくと車窓が少しずつ開けてくる。殺風景な十二月の田畑の向こうに家々が増えるにつれ、身支度をする音が車内に響くようになった。座席の背もたれで乱れたポニーテールを杏里紗は手櫛で整える。海へと注ぐ大きな川に架かる橋を渡る途中、振り返ると遠くに連なる山の端に、一基の風力発電機が見えた。山に突き刺さるように建てられた風力発電機はゆっくりと動いていた。

 線路は市街地へと続く。まもなく到着するという車内アナウンスが流れると、乗客たちはそれぞれの荷物を手に降車ドアのほうへと歩いていった。駅に着いた特急列車から降りる乗客に混ざって、赤いキャリーバッグを引き摺りながら杏里紗もホームに降り立った。

 年の瀬が迫る師走の駅は普段よりも人が多い。家路を急ぐサラリーマンや学生に加えて、都会から帰省してくる人たちが大きな荷物や土産物の袋を手に通り過ぎていく。杏里紗の赤いキャリーバッグは雑踏の中でも目立つ。少し派手かもしれないが、大学生の杏里紗には年相応の色合いだ。改札を抜ける頃、乗ってきた特急列車が発車する音が背後から聞こえた。座席の三割にも満たない乗客を乗せて、列車は南の果てを目指す。終着駅は同じ県なのに、とても遠い地のように感じた。杏里紗が降りた駅は県庁所在地にあり、半島の西半分を占めるこの県の一番北にある。海と山に囲まれた陸の孤島のような県だと言われていたし、杏里紗もそう思っていた。一度でも外に出てしまえば、生まれ育ったこの土地も、ゆっくりと朽ちていくただの地方都市のひとつでしかなかった。まるで公園の片隅で忘れられた遊具のようだ。かつての賑わいは今では過去の栄光でしかなく、錆び付き、色褪せ、埋もれ、ほかの遊具で楽しそうに遊ぶ子供たちをひっそりと眺めているだけだ。

 杏里紗は高校生たちの楽しげな会話の中を潜り抜け、バス停を横目で見ながら、タクシー乗り場を通り過ぎ、送迎用のロータリーに向かった。人を待つ車の列の中に、すぐに一台の赤い車を見つけた。夜が迫る黄昏の中でも分かる、澄んだ赤い色。杏里紗が後部座席のドアを開けると、運転席でスマートフォンを触っていた母親の葵が顔を上げた。

「おかえり」

「ただいま」

 後部座席にキャリーバッグを詰め込みながら杏里紗は答えた。葵はスマートフォンをバッグに仕舞うと、カーナビの目的地を自宅に設定した。杏里紗は後部座席のドアを閉め、今度は助手席のドアを開けて車に乗り込みドアを閉める。この車の色とドアを閉める音が杏里紗は好きだった。エンジンをかける音を聞き分けることも出来る。しかし、この車は近いうちに買い替えることが決まっている。新しい車は別のメーカーの水色の車だ。車に詳しいわけでも、特にこだわりをもっているわけでもなかったが、愛着のあるこの赤い車と別れることは、とても寂しいことだと杏里紗は感じていた。杏里紗がシートベルトを締めると、車はゆっくりと動き出した。赤は、特別好きな色というわけではないのだが、なぜか無性に心惹かれることがあった。

 車は駅前の大通りを西へと走る。街路樹とオレンジ色の街灯が続く。道行く人も車も、皆が急いでいるように思えた。もうすぐ一年が終わる。この季節はいつもあわただしく時間が過ぎていく。だから杏里紗は時々、大切な何かを置き去りにしてきたのではないかと不安になる。大通りをしばらく走ると左手に城が見えてくる。空襲で焼失し、その後再建されたものだ。小高い丘のような山の上に建つ、どこかずんぐりむっくりとした独特の風貌をしたこの城は、街のあちこちから見える。電車に揺られて川を渡っていた時にも見えていたはずだ。春になれば満開の桜、夏には祭、秋には紅葉、元日には天守閣から初日の出を見ることができる。市内に住む子供は幼稚園や小学校の遠足でこの城を訪れるのが定番であり、杏里紗も例外ではない。城の堀に沿うようにして左折すると、道路は国道になる。流れすぎる景色をぼんやりと眺めながら、杏里紗は今度のことを考えていた。

 夢も希望もない。目標もなければ理想もない。こうはなりたくないという思いはあっても、それは単なる消去法で残った選択肢というだけのこと。将来はいつも不明瞭で、まるで暗い夜道を歩いているようだった。いつ消えるとも分からないぼんやりとした街灯に照らされた薄暗い道。見渡してみれば他にも道は分かれている。けれどもいつも、一番安心な道を選んだ。無難な道だ。大きな刺激がない代わりに、大きな挫折もない。

 自分には「なんとなく」という言葉がお似合いだと杏里紗は思う。周りに合わせて生きてきた。他人に容易く流されたりはしないと思っていたのに、いざ振り返ってみれば結局はいつも、誰かと同じように歩いてきた。そこに強い意志はなかった。置いていかれるのは嫌だという思いだけで、何とかしがみついてきたのだ。けれども今、同調すべき人を見失って、杏里紗は風のない水面でふらふらと浮いている一枚の落ち葉のようだった。

 情けない話だ。杏里紗は心の中で溜息をついた。平凡な家族と人生、何一つとしてつまずく要素のない、ありがちな話だったはずだ。それなのに、周りの皆が出来ていることさえも自分には出来ていないと思うと、杏里紗はとても惨めな気持ちになった。たとえ落ちこぼれのレッテルを貼られることになっても、誰かの、特に家族の足手まといにはなりたくなかった。家族の失望が、何よりも耐え難かった。はっきりした原因があればよかったのに。どうしてこんな風になってしまったのかが分かっていれば、どれほど楽だっただろうか。理由を尋ねられても困る。理由を一番知りたがっているのは、ほかでもない杏里紗自身だった。

 南へと続く国道を途中で曲がれば、閑静な住宅街が広がる。国道から一本でも中に入ると、街灯の数は少なく、慣れていない人からすればホラー映画のようだろうと杏里紗はいつも思っていた。家に着くころにはすでに日は沈み、空は真っ暗になっていた。星が見える。キャリーバッグを持って家に入ると、玄関で猫がニャアと鳴いた。杏里紗が小学校に上がる年に建てた家は、レンガ造りのような外観で、内装も洋風に統一されている。幼い頃によく遊んでいたドールハウスを思い出す。不満はないが、時々、畳のある日本家屋が恋しくなることがあった。杏里紗が持って帰ってきた荷物のにおいを嗅ぐと、猫は顔をこすり付けた。この猫をチェシャと名付けたのは、拾ってきた杏里紗だった。チェシャは満足したのか、チリチリと首輪の鈴を鳴らしながらリビングへと入っていった。ブーツを脱ぐのに少々手間取ったが、杏里紗は洗面所へと入る。杏里紗が手を洗い、うがいを済ませる頃には、葵はすでにキッチンで夕飯の支度を始めていた。荷物を整理している間、チェシャは杏里紗に寄ってきたりもしていたが、すぐに飽きたのか、座布団の上で丸くなった。キャリーバッグの中からお土産にと買ってきた和菓子を取り出してリビングのテーブルの上に置く。キッチンから揚げ物をする音が聞こえてきた。自分のスマートフォンを充電器にセットし、杏里紗はキッチンへと向かった。年末で忙しいのは杏里紗の父親も同じで、きっと今日の帰りも遅いのだろう。夕飯を一人分だけ別に取っておく。

 夕飯を食べ終えると、リビングでテレビを見ながら過ごす。特番ばかりでつまらないので、録画しておいた映画を見ることにした。温かい紅茶を用意して、葵とチェシャと杏里紗の二人と一匹は炬燵に入った。チェシャは炬燵の中で丸くなり、ぬくぬくと心地よさそうに目を細めていた。会話をすることは苦痛ではなかったが、会話をしないこともまた苦痛ではなかった。

 心の距離感というものは本当に厄介だと杏里紗は思う。たとえ家族であったとしても、触れられたくない場所というのは心の中に必ず存在している。やましいことがあるから隠しておきたいわけではない。ただ、知られたくないのだ。抱える悩みや本音や、あるいは曖昧な感情は、人目につかないところでそっとしておきたい。「何でも話してね」と言われても、本当に何もかもを話せるわけではない。他人に伝えられる段階まで、時間がかかるものもある。心を許す、許さないということではなく、自分の中で納得のいくように整理が出来ているかどうかなのだろう。

 杏里紗は紅茶を飲んだ。「言葉にしなきゃ伝わらないよ」なんて、軽い言葉だ。言葉に出来ずに思い悩むその過程をすべて否定しているように聞こえる。揺れ動く心を簡単にさらけ出せるほど、杏里紗のプライドは低くはない。杏里紗の高いプライドは壁のようだった。守っているのは弱い自分自身などではないと杏里紗は思っていた。プライドの一番深い奥にあるのは、答えを出すために思い悩んでいる自分自身の心だ。一人で考える時間がほしい、誰にも邪魔されずに、しっかりとゆっくりと考えたい。そんな気持ちがプライドという壁になっているのだ。傷つきたくないわけではない。ただ、考える時間がほしいだけ。けれども、他人の言動が壁の隙間から突き刺さる。そうして悩む心が揺れ動かされると、杏里紗はとても不安になった。自分の心はこのままどこへ行ってしまうのだろうか。その先を思うと、杏里紗は余計に心を閉ざしたくなる。心の平穏なんて、いくら待っても訪れはしない。

 少年たちは秘密基地に集う毎日よりも少しだけ遠くを目指して旅に出る。歌を口ずさみながら、森を抜け、線路を歩き、沼を渡る。いつもとは違う冒険が彼らをゆっくりと大人に近付けていく。青春映画の金字塔だ。懐かしい眩しさではないけれども、彼らの日々に思いを馳せれば、胸を締め付けるような感情が杏里紗の心の中に芽生えて弾け消えた。

 映画を見終えると杏里紗は持って帰ってきた荷物を二階にある自分の部屋へと運んだ。薄い花柄の壁紙とカーテンの室内はひんやりとしていた。窓際のベッドの上の棚には埃を被ったぬいぐるみたち。壁際の本棚にはジャンルの定まらない本。大学の教科書もゲームの攻略本も高校時代の地図帳も、ハードカバーの本と一緒に並べられていた。その中で一冊だけ、宮沢賢治の絵本が飾られるようにして杏里紗のほうを向いていた。杏里紗はそれをそっと元の場所に戻した。杏里紗は赤いキャリーバッグを開けると中に入っていた洋服を取出しタンスへ仕舞う。

「やっぱり電車は混んでいたわね」

 不意に背後から声をかけられたが、杏里紗は振り向かない。振り向かなくても分かる。声の主がベッドに座る気配がした。陽気な鼻歌が聞こえてくる。さっきの映画の主題歌だ。

「ねえ、杏里紗。駅前の女子高生たちの話を聞いた? 二次関数なんて懐かしい話よね」

 名前を呼ばれて杏里紗はようやく振り向いた。思った通りの人物がベッドに腰掛けている。人物、と言うべきなのか、杏里紗は少しだけ悩んだ。

 妄想だ。ただの妄想だ。

 杏里紗を見つめてニコニコと笑顔を浮かべているのは、紛れもなく杏里紗の妄想だった。アリスと名付けたこの妄想は、杏里紗と同じ容姿で、まるで意志があるかのように振る舞う。アリサとアリス。単純なことだ。

 アリスはいつも影から現れる。妄想のくせによく喋り、よく笑い、よく泣く。どんなに勝手な行動をしても、それは単なる妄想に過ぎないことを杏里紗は理解しているが、この妄想が消え去ることはなかった。アリスが現れるようになったのはいつ頃だっただろうか。杏里紗にはもう思い出せそうになかった。少なくとも小学生の時には当たり前のように存在していた。杏里紗が成長すると、アリスも成長した。杏里紗が髪を切れば、アリスも髪を切り、杏里紗が転んで怪我をすれば、アリスも同じ怪我をしていた。

「数学は難しいわね。ベクトルもログも忘れてしまったわ。杏里紗は覚えている?」

 正直に言うと、杏里紗はこの妄想に辟易していた。一人にしてほしい時に限って現れてはコロコロと表情を変えて話をする。相手をするのが面倒な時に放っておくと、すぐに意見を求めてくる。そんな時にはとてもイライラする。しかし、それが単純に一人の時間を邪魔されることに対する苛立ちではないことくらい、杏里紗にも分かっていた。

 この妄想は、とてもキラキラしている。羨ましくなるほどに煌めいている。少女漫画のキャラクターのようだった。泣いても笑っても、キラキラとしたオーラが出ている。絶望という言葉からは程遠い存在だった。妄想のくせに。杏里紗の中で黒い感情が渦を巻く。

「今日は何?」

 棘のある言い方で杏里紗が尋ねるとアリスは笑った。

「用事がなければ会いに来てはいけないの?」

 うまく言い返す言葉が見つからずに杏里紗は黙った。アリスは気にせずに話を続ける。

「強いて言うなら、杏里紗の顔が見たかったから、かしら。杏里紗はすぐに塞ぎ込んでしまうから、こうして私とお話をしないと、口が無駄になってしまうわよ」

 煩いなぁ。そう思いながらも杏里紗はアリスの隣に座った。

「ねえ、電車から風力発電は見えた?」

 アリスが目を輝かせて尋ねてくる。杏里紗は頷いた。あの風力発電機は、あそこにあると知らなければ見つけることは出来ないだろう。わざわざ探す人もいない。アリスは変なものが好きだ。風力発電機や飛行機、イモリや爬虫類、夜行列車、消防車。そういった「普通」の女の子とは少しずれた好みをしている。

「いつか南のほうへ風力発電を見に行きましょうよ。たくさんあるのでしょう?」

 アリスの言葉に、杏里紗は頭の中で国道を南に走った。南を目指して走ると、山々の尾根に風力発電機が並んでいるのが見える。段々畑の上に、海の見える丘に、一定の間隔を保って設置された大きな風車たち。ゆっくりと翼を回しながら、山を繋ぐように建っている。ああ、そこは風が吹いているのね。連なる風力発電機を眺めるたびに、杏里紗はそう思うのだった。静かな水面でただ風を待っているだけの杏里紗には、山稜がとても羨ましい場所に見えた。

 風が吹けば進めるかもしれない。そんな期待が杏里紗の中には残っている。きっかけがあれば前に進めるのだと、それさえあればきっと人と同じように生きていけるのだと。けれども心のどこかでは、無理なことだと諦めていることもまた事実だ。風が吹くわけがないし、吹いた風に乗れるかどうかも分からない。その水面は川へと続き海に注いでいるのだろうか。広い湖かもしれないけれど、本当に小さな水溜りにすぎないのかもしれなかった。どこへ行ったって、同じ。一生懸命世話をしても咲かずに枯れてしまう花があるように、たくさんの転機があったとしても変わることのできない人生もあるはずだ。それが自分の人生ではないと、否定することなど出来なかった。杏里紗は溜息をついた。

「ほら、溜息。溜息をつくと幸せが逃げてしまうのよ」

 アリスが横から文句を言った。

「それとも、溜息をついたくらいで逃げてしまう幸せなんて、そんな幸せは必要ないと思うかしら?」

「幸せは可動式なの?」

 心の中で芽生えた単純な疑問を杏里紗がぶつけると、アリスは首を傾げた。

「どうかしら。人が進んで行くだけなのかもしれないわね。幸福も不幸も、ずっとそこにあるだけ。私たちが見つけられるか、辿り着けるか、拾えるか。ただそれだけのことなのかもしれないわ。杏里紗はどう思う?」

 アリスはキラキラとした瞳で杏里紗に尋ねた。その眼差しが嫌いだ。杏里紗は思う。アリスはいつだって、楽しそうで、充実して、まるでこの世界の綺麗なものだけを集めて出来ているみたいだ。そんなことを考えると、杏里紗は自分の心がチクリと痛むのを感じた。その痛みを無視し、アリスの問いも無視し、杏里紗は立ち上がった。妄想なのに、ただの妄想のくせに。杏里紗は冷たい瞳でアリスを見た。

「もうたくさんよ」

 杏里紗がそう言うと、アリスは少しだけ悲しそうな顔をした。けれどもすぐに頷いた。わずかな罪悪感に目を逸らすと、いつのまにかアリスはいなくなっていた。アリスはいつも消えるようにいなくなる。晴れていく霧のように、砂漠の幻のように。そういう時にはアリスが人間ではなく妄想であることを思い出す。そしていつも、また妄想を相手につまらない会話をしてしまったと少し後悔する。アリスがどこへ行ってしまうのかを杏里紗は知らなかったが、しばらくすればまた現れ、杏里紗の気も知らずに他愛もない話を始めるのだ。

 思い返してみれば、杏里紗にはいつも劣等感が付きまとっていた。何をしても、ある程度の成果は出るものの、それで終わり。杏里紗には自分自身に対する自信がない。何をしても一向に駄目なことと、何をしても中途半端なことの、その違いが杏里紗には分からなかった。秀でたものがないのならば、それは大した意味を持たない。せめて人並みにと思いながらも、心の奥ではずっと誰かよりも上を思い描いていた。愚かな自惚れであると杏里紗は自覚していたが、それでもなお、もしかしたら自分は特別なのかもしれないという期待はいつも劣等感の奥底にあった。杏里紗を置いて先に進んで行く友人たちを眺めながら、ただ停滞するだけの自分が嘆かわしく、杏里紗の自信は、杏里紗でも見つけられないほどに小さなものになっていた。

 友人をつくるのは昔から苦手だった。杏里紗は決してクラスで独りになるタイプではなかったが、率先して輪の中心になるタイプでもなかった。人気者の陰に隠れるようにして周りに合わせてやり過ごしてきた。親友と呼べる人のいない希薄な友人関係だったが、それでも独りになるよりはマシだと杏里紗は思っていた。いつか自分よりも仲の良い子が出来て、それまで友達だと思っていた子が自分から離れていっても、杏里紗には綻びていく関係を修繕することは出来なかった。どうすればよかったのかさえ、今でも分からない。そういうものだと自分に言い聞かせれば、諦めることが出来た。友人を奪われたとは考えなかった。自分が至らなかっただけのこと、そう捉えれば、薄れていく関係も離れていく心も、何ひとつ不思議ではなかった。

 誰かにとっての一番になることはもうやめよう。そんな風に考えるようになったのは一体いつの頃からだっただろうか。悲しくて仕方がない。寂しくて仕方がない。けれども怖くはなかった。それだけが杏里紗にとってせめてもの救いだった。

 きっと、感情を押し殺そうと思い始めたのも、その頃だっただろう。

「馬鹿みたい」

 杏里紗は溜息をついた。吐いた息は白くなり、冷たい部屋に溶けて消えた。もし白くなった息が幸福だとしたら、幸福とはなんて脆く儚いものなのだろうと杏里紗は思う。溜息をつけば逃げるのなら、幸福を捕まえることなんて無理だ。杏里紗は自分の部屋を後にした。背後にアリスの気配を感じたが、杏里紗が振り返ることはなかった。階段を下りると正面にピアノが見える。杏里紗はそれを横目で見ながらリビングへと入った。ピアノを見ると、心の奥深くに仕舞い込んだ感情が微かに揺れるのを感じる。

 杏里紗が音楽を習い始めたのは幼稚園の頃だった。英会話や書道など、他にも習い事をしていたこともあるが、音楽が一番長く続いた。中学受験をするときも、高校生になってからも、結局、大学受験の前まで音楽教室に通い続けた。大学に入学して一人暮らしを始めると次第に音楽から遠ざかっていった。理由はいくらでもある。アパートに楽器を持ち込めないこと、大学でサークルに入らなかったこと。音楽を中心に動いていた杏里紗の生活は大学進学を機に変化し、鈍った腕ではピアノが弾けると誰かに言うことさえ後ろめたく感じた。杏里紗にはピアノしかなかった。音楽しかなかった。因数分解も文明開化も炎色反応も源氏物語も、音楽の前では霞んで見えた。勉強机よりも、ピアノに向かっているときが一番集中できる時間だった。白と黒の鍵盤で音を奏でると、まるで世界を創り出しているようだった。クラシックも映画音楽も、何でも出来た。どこへでも行けた。世紀の大発見があっても、異常気象が騒がれても、有名人が来日しても、世界のどこかで戦争が始まっても、それでもピアノを弾いているときは杏里紗の時間で、そこには杏里紗一人しかいない、杏里紗だけの世界だった。音楽の道に進んでおけばよかったと今でも後悔することがある。自分程度の人間には出来るわけがないと思っていても、その一方で憧れはいつも心に陰を落としていた。

 好きなことを仕事にしている人は、ほんの一握りしかいない。誰もが折り合いをつけ、妥協し、かつての夢を忘れてしまうために、忙しい日々を送っているのだ。息が詰まりそうなほどに早く過ぎ行く季節の中で、取り残されるように感じる毎日の中で、杏里紗は心を固く閉ざした。ほんの少しの隙間から渦を巻いて入ってくるすべてが、杏里紗にとっては重苦しいものだった。周りが当たり前のように生きている世界が、杏里紗には辛くて仕方がなかった。他人からしてみれば些細な出来事も杏里紗にとっては深い傷になった。大きな傷ではないけれど、見えにくいところまで続く深い傷だった。その傷に触れられることが嫌だった。心に簡単に入ってこようとする他人が、杏里紗は嫌いだった。しかし、脆くて弱い自分自身のことが本当は一番嫌いなのだ。夢も目標も見失った漫然とした日々が、杏里紗をより一層惨めな気持ちにした。

 杏里紗が実家に帰ってきたのは、年末だからでも何でもなく、ただ逃げ帰ってきただけだった。大学に入って一人暮らしを始めた杏里紗だったが、次第に大学から足が遠のき、一人暮らしの狭い部屋に引きこもるようになっていた。毎日が同じことの繰り返し。パソコンに向かうか、本を読むか、テレビを見るか。食料品を買いに行く以外、他人との交わりを断って過ごしていた。インターホンやスマートフォンにかかってくる電話の着信音に心が怯えていた。カーテンの隙間から見える景色は、まるで遠い世界のように思えた。何をしても、どこに行っても、そのすべては自分とは違う世界の出来事であるかのような気分になった。自分はどこにもいないのかもしれない。合成写真のように、浮き出ているのかもしれない。人が多い場所に行くとそんなふうに感じることがあった。

 孤独を感じるにつれ、理由の分からない喪失感が次第に大きくなっていった。何も失ってなんかいない。杏里紗は流れていく人波の中で立ち止まって考えた。失うものなんて最初から何もなかったはずだ。崩れてしまうのが惜しい友人関係などなかった。諦めがたい夢もなかった。縋り付くものもなかった。杏里紗には何もなかった。失うものが何もなかったから、守るべきものもない。だからこんなにも弱いのだ。

「嫌なことでも、乗り越えなきゃいけないのよ」

 リビングでぼんやりとテレビを見ていた杏里紗は葵の言葉で我に返った。葵はダイニングから杏里紗を見ていた。飽きるほどに聞いた言葉だ。葵は呪文のようにこの言葉を繰り返した。杏里紗に言い聞かせているのだろうけれど、杏里紗にはそういうふうには捉えられなかった。杏里紗に向けた言葉であるのは確かなのだが、心のどこかでは葵自身に向けているのではないかと杏里紗はいつも感じていた。葵もまた日々を忙しく生きる人間の一人で、数えきれないほどの妥協を繰り返して生きてきたのだ。杏里紗の心が病んだ一因が自分の子育ての失敗にあると思い悩む姿は、杏里紗の気分を重くした。自分は失敗作なのだろうか。けれども自分は作品ではないし、あらゆる物事を自分自身が取捨選択したから、今の自分になったのだと杏里紗は思う。

 どうにかしなければいけないことくらい、杏里紗にも分かっている。このままではいけないことくらい、杏里紗にだって分かるのだ。しかし、その先に進むことが出来ないままでいた。そのことがどうしようもなく苦しかった。苦しくて息が出来ない。風が吹いてすべて吹き飛ばしてくれないか。深呼吸をしても、少しも楽にならない。うまく息が出来ない。

 葵の言葉は正しいのだと、杏里紗は分かっている。けれどもそれは一般的には正解であっても、杏里紗のための答えではないのだ。

「つらいことがあっても、みんな頑張っているのよ」

 だったら、何。それが何だと言うの。みんなが頑張っていたとしても、それは杏里紗が今のこの状況を乗り越えられる理由にはならない。周りと一緒に歩いて行けずに取り残されているのだから、みんなが嵐の中を進んでいたとしても、杏里紗にはそこに辿り着くことが出来ない。正攻法ではどうにもならないのだと杏里紗は感じていた。自分のための答えが必要だ、自分のための目的地が必要だ。みんなが嵐の中を船で進むのなら、杏里紗は風に乗って空を行く。あるいは嵐とは反対の方向を目指すかもしれない。そうでもなければ、二度とこの場所から動けないような気がした。

 停滞というものは楽ではあるものの、同時に怖いものでもある。流れる季節も、過ぎ行く時間も、移り変わる世界も、自分が止まってしまえばただの通行人と同じ。興味を失えば気にならなくなる。一方で、取り残される恐怖が心を侵食する。自分が立つ場所が、ただの点であるということが、どうしようもなく杏里紗の心をかき乱した。何も気にせずに生きていくことなんて不可能だ。杏里紗の足元でチェシャがニャオンと鳴いた。

「たとえば」

 いつのまにか杏里紗の隣にはアリスが座っていた。杏里紗がアリスを見ると、珍しくアリスは真っ直ぐに前を見つめ、杏里紗のことを見ないままに声を出した。

「明日、世界が終わるとしたら、杏里紗は明日という一日をどう過ごす?」

 ありふれた質問をアリスは口にした。杏里紗はアリスの横顔を見つめたまま答える。

「分からない」

「杏里紗が死んでも私は生き残るかもしれないわね」

「そうかもしれないし、違うかもしれない」

「私一人だけが残るの。地球がなくなって、広い宇宙にポツンと独りぼっち。息を止めて目を閉じて、ひとりぼっち」

 アリスが何を言いたいのか、杏里紗には分からなかった。横顔からは何の感情も読み取れない。アリスが今何を考えているのかが、杏里紗には分からなかった。

「たとえば」

 アリスはまた、もしもの話を始めた。

「私が杏里紗で、杏里紗が私だったら。私たちはどうなっていたかしら」

 杏里紗は返事をしなかったが、そんなことは気にも留めずにアリスは話を続ける。

「ちゃんと学校に行っているかしら。前向きな性格だったかしら。ゆで卵を食べられるようになっているかもしれないわね。恋人がいるかもしれない。自分に自信はあるかしら。今日も一日、楽しい時間を過ごせたと感じているかしら」

 アリスの瞳には何が映っているのだろうか。杏里紗はぼんやりと考えた。この妄想は、時々何を感じ、何を思っているのか分からなくなる。

「でもね、杏里紗。あなたは勘違いしている」

 そう言うと、アリスはようやく杏里紗のことを見た。強い意志が込められた瞳が揺らぐことなく杏里紗を捕らえる。瞳に映った杏里紗は不安そうな顔をしていた。

「私はあなたの妄想よ。所詮は、ただの妄想。他の人には見えない。聞こえない。でもね、杏里紗には見えているはず、聞こえているはず、もう分かっているはずよ」

 アリスは一呼吸おいて、またすぐに口を開いた。

「杏里紗が見たもの、感じたもの、聞いたもの。その全部を集めて私は出来ているの。私はあなたよ。私は、杏里紗よ」

 アリスはそっと杏里紗の手を握った。その手の感覚は、妄想だ。けれど、このぬくもりを知っている。

「ねえ、杏里紗」

 握られた手に込められる力が強くなる。

「いつかきっと、風車を見に行きましょうね」

 優しく囁かれたその言葉に、杏里紗は泣きたくなった。悲しいわけではない。胸に込み上げてくる感情の名前を杏里紗はずっと忘れていた。どこに忘れてきたのだろうか、杏里紗は思い出せない。杏里紗がそっと目を閉じると、繋いでいた手のぬくもりが消えた。目の前に暗闇が広がる。

 深い海の底のような闇の世界。人の心はまるで海のようだ。沈んで行けば暗く冷たい水の中で何も見えない。見回しても見上げてみても、一筋の光も差し込みはしない。それなのに水面は穏やかに広がり、別の世界のように晴れ渡った青い空を映している。空が遠いと杏里紗は思う。見上げるだけの青空があまりにも遠くに感じられて、手が届かない眩しさがもどかしい。他人から見れば静かな海も、見えないところでは黒く渦巻いている。その深淵を他人には見せたくない。もっと、深いところへ。深海で息を潜めて誰にも見つからないように自分を隠すことは、どれほど愚かなことだろうか。けれども杏里紗には他に方法がなかった。絶望するほど悲しいわけではないけれど、心が黒く濁っていくのを感じる。吐き出す泡も光を反射することはない。

 自分よりも不幸な人は世界中に何億人といるだろう。明日の命さえ分からない理不尽な状況から抜け出すことの出来ない人は、きっと数えきれないほどだ。遠い国にいる誰かのことを杏里紗は時々想像してみる。彼らに比べれば、杏里紗の抱える悩みや痛みなど、些細なものにすぎないと自覚はしている。しかし、杏里紗は思うのだ。彼らの傷は彼らのもの、杏里紗の痛みは杏里紗のものだ。単純に比較してほしくない。そもそも測る目盛も基準も違うのだ。贅沢な悩みだと叱られても、それでも、痛いものは痛い。他人からしてみれば傷すら付かない物事も、杏里紗には大きく傷を残すことだってある。彼らの傷を杏里紗が経験することはないし、その痛みを知ることも出来ない。分かち合えない痛みが、苦しくて仕方がなかった。今この状況から抜け出すことが出来たのなら、風吹く日が杏里紗にも訪れるだろう。

 でも、水の中では深呼吸も出来ない。見えない明日が怖い。自分が本当にここにいるのかさえ、杏里紗にはもう分からなかった。

 風車を見に行きたいとアリスは言ったけれど、南に見えている風力発電群までどうやって行けばいいのだろうか。杏里紗は考える。そこはどんな風が吹いているのだろう。これからどうやって生きていけばいいのだろうか。こんな世界が、こんなにも容易くて、そして生き難い世界だとは思ってもみなかった。心がざわつく。揺れ動く。

 故郷と呼べるほどの愛着があるわけではないが、逃げてきただけであったとしても、杏里紗は生まれ育った場所に帰ってきた。どこよりも心が落ち着く場所だ。杏里紗が自分と向き合える場所だ。落ち着くということは安心できる場所ということであり、それは同時に甘い場所だということも意味する。いつかここから出ていかなければ、杏里紗は今のまま何ひとつ変わることが出来ないだろう。この場所にいれば、自分の心を決定的に打ち砕くような出来事に遭遇することはない。しかし、心はある一定の強度から成長することもない。故郷は大切だが、そこは帰る場所であって、戦う場所ではないと杏里紗は理解していた。安心と安全に浸かって、このままでは慢性的に、何もかもが中途半端なまま終わってしまう。そんな人生を、本当に望んでいるのだろうか。

 違う、そうじゃない。

 杏里紗は自分の手を見つめた。この手は今まで何を作ってきただろう。そして、これから何を作り、残せるだろうか。小さな痛みを掻き集めて、その痛みで自分自身を縛り付けていた。たとえどんなに小さくても、傷は傷だ。痛みは痛みだ。杏里紗は手をぎゅっと握りしめる。いつかこの痛みに慣れてしまう日が来るだろう。その日が来る前に、ちゃんと傷付き癒す方法を学ばなければならない。きっと今がその時だ。これを逃してしまえば、大きな困難のない人生を送ることになるだろう。それは杏里紗にとって、大きな喜びのない人生と同じだった。対になるものがないのなら、意味がない。悲しみがないのなら、喜びもまた、どこにもないはずだ。杏里紗はそう思っていた。

 乗り越えなきゃいけない。葵はそう言った。乗り越えられるだろうか。杏里紗は自分に問いかける。大丈夫よ。想像の中でアリスが笑う。

「学校に行けなかった、空白の二年。杏里紗は大学生活を二年も棒に振ったのね。だけどきっと大丈夫よ。その二年は人生を棒に振った二年間ではなかったわ。いいえ、それだけじゃない。杏里紗にとって必要な二年だった」

 想像の中のアリスはいつものようにキラキラと輝いていた。飛び切り美人ではないけれど、その笑顔はきっと人から好かれる。大袈裟なほどコロコロと変わる表情は、自分の気持ちをきちんと人に伝えることが出来る。自惚れじゃない、ちゃんと、自分の魅力を見つけないと。きっとまた、見失ってしまう。

「考えてみて。これからのこと。どんなに眩しい未来の中にもきっと、とても悲しい出来事だって待ち受けているはずよ。そんな時には、杏里紗の二年を思い出してね。私には分かる。今ほどつらい日々はもう二度と来ない。これほど思い悩み苦しむことなんてもうないわ。もう、ないの」

 心の海は荒れる。大きな嵐が近付いている。いつもは静かに見える水面も、寄せては返す波も、徐々に力強い渦を巻き始める。青空は灰色に染まり、遠くで雷の音がする。

「ほら、嵐が来るわ」

 アリスは風車の麓に立っていた。これはただの空想だ。海を臨む丘の上に建てられた風車の下で、アリスは広がる海を眺めている。そんなアリスの後姿を杏里紗は見ている。杏里紗と同じ黒い髪が強い風になびく。台風のような風だ。吹き飛ばされそうなほどの風が吹き付けてくる。何度でも言うが、これはただの妄想だ。それでもアリスは力強く嵐を見つめて立っていた。けれども杏里紗は、アリスが嵐に飲み込まれてどこかへ行ってしまいそうな気分になった。自分の手の届かないどこか遠い場所へ。

「アリス!」

 風の音に負けないように、杏里紗は名前を叫んだ。アリスは少しだけ振り返った。

「アリス、行かないで」

 ごうごうと風が唸る。強い風の中で息が苦しい。ああ、そうか。強すぎる風の中では息が出来ないのだ。

「お願い。どこにも行かないで」

 杏里紗の声はアリスの元へ届いたようだ。アリスは微笑んだ。

「私は杏里紗よ。杏里紗の心で出来ているの。羨ましく思う必要なんてない。悲しむ必要だってない。憧れる必要もないの。私は杏里紗よ。杏里紗はとても、とっても素敵な人になる。私が約束する」

 アリスの声は、激しい風の中で、まるでアリスが立つその一点だけが晴れ渡っているかのように、とても穏やかで優しい声だった。杏里紗は泣きたくなった。そうだ。杏里紗は思い出していた。悲しいわけではない。つらくもない。苦しくもないけれど、胸が締め付けられそうで、涙が溢れてくる。ほんの少しの優しい痛みが弱い心に突き刺さる、この感覚。杏里紗は知っていた。本当はずっと覚えていた。

「風が吹いているわ、杏里紗」

 そう言うとアリスはまた海のほうを見た。杏里紗もつられて海を見る。激しく波打つ水面。しかし、海底は穏やかなのかもしれない。黒い雲が雨や雷を連れてくる。それでも海の底は、ただ静かにその時が来るのをじっと待っている。答えを求めていても、目的地を探していても、本当の心はすでに決まっている。だから一歩を踏み出すために必要なのはいつも背中を押してくれる誰かの声援と、心の奥深くに仕舞ったままの自信だ。杏里紗はゆっくりと歩き始めた。アリスの隣に立つと、温度のない、けれども温かな手が杏里紗の手をそっと包んだ。

「明日のことなんて分からない。将来のことも見えない。自分がどうしたいのか、まだ結論は出ない。けれど、少しだけ楽しみになった」

 杏里紗はそう言うと、繋いだ手に力を込めた。アリスが握り返してくる。

「よかった」

 アリスのほうを見なくても、アリスが笑ったのが杏里紗には分かった。杏里紗も不器用に笑った。そのあとしばらくの沈黙があった。先に口を開いたのは杏里紗。

「どっどど、どどうど、どどうど、どどう。宮沢賢治は風をこんな言葉で表現した」

 そうね、とアリスが答えたので杏里紗は続けた。

「ドはきっと始まりの音。だから、風の音は始まりを告げる。私はそう思う」

 アリスがまた笑った気配がした。本棚の絵本を一冊だけ向きを変えて置いていたのは、アリスだろうか。それとも杏里紗自身だったのだろうか。それは分からないけれども、今ならはっきりとその理由が分かる。好きだったから。本も音楽も、杏里紗を形作ってきた何もかもが、愛おしくて仕方がない。忘れたくなどない、置いて行ったりしない。

 黒い雲が荒れ狂う海を見下ろしながら近付いてきても杏里紗の心は満たされていた。これからのことを考えると胸が震えるけれど、今までのような嫌な感じはもうない。二年もかかってようやく、杏里紗は自分の心の一番奥まで手が届いたのだ。優しく触れて、引っ張り上げる。失ったようにも思えた自信や覚悟が少しずつ杏里紗の感覚に戻ってくる。迷ったとしても、もう平気。また歩いて行ける。乗り越えられるよ。杏里紗は自分を一番心配してくれているだろう母親に思いを馳せた。何もかもがうまくいくわけではないし、すべての不安がなくなったわけでもないけれど、それでも杏里紗には十分だった。

 春を待ちわびる今日、私は風と征く。この嵐を抜けて、この海を越えて。

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今日、風と征く 七町藍路 @nanamachi

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