第5話
春になって、先輩たちと知り合って一年がたった。
ずっと憧れていたのは、誠実そうでしっかりした要先輩だった。それがいつの間にか、一番苦手なタイプだったはずの樹先輩に心惹かれてしまった。
でもこの想いは封印すべきもの。私にはあんな風に軽い恋愛はできないから。
なんでこんな人が気になっちゃうんだろう。心は頭で考えるようには動いてくれない。先のない恋なのに。……だから私は絶対に好きになったりはしない。
新歓パーティーでみんなが酔いつぶれた後、酔い覚ましに窓から見えていた夜桜のところまで歩いていった。
あの時声をかけてくれたのは、真っ青な空の下の桜並木だった。
月明かりに照らされた幻想的な桜並木は、昼間の桜とはずい分違った趣を見せる。その小道にふわりふわりと花びらが舞う。
そろりと手を伸ばしてみると、まるで意思を持っているかのようにそれは舞い踊り、するりと手をすり抜けてゆく。零れ落ちる花びらの奥に樹先輩の姿を想像して、切なくなる。
ふと気づくと、その樹先輩がいつの間にかすぐそばに来ていた。
これは、夢? そう思って首を傾げると、
「舞い落ちてくる花びらを掴んだら幸せになるっていうジンクス、知ってるか?」
なんて言うから、夢のようなひと時を終わりのないものにしたくて、この夢の空間では気持ちを打ち明けるのも許されるような気がして──舞う花びらに向き合った。
この花びらを掴めたら、想いを告げてみようと心に決めて。
一生懸命手を動かしたけれど、どんくさい私の手の内に、中々花びらはおさまってくれない。
「もっとゆったりしないと君が起こす風で逃げちゃうよ」
捕まえられずにじたばたしている私に、優しい先輩がアドバイスをくれる。
そうか。私自身が風を起こしてるのか。
今度はそろりと手をあげて、ひらひら舞う桜をそっと見つめる。そうしてしばらく待っていると、さぁっと風が吹いて一度に花びらが舞った。そのとき私の手にも舞い込んだのが見えたので、反射的に手のひらを閉じた。
「掴めました!!」
嬉しくて嬉しくて、思わず先輩のもとに駆け寄った。
そうして「ほら」と手を開いて見せたその時、私の掌から白い蛾が飛びたち、周囲を舞う花びらに紛れていった。
「ふぎゃ~あ!!」
飛び出したモノに驚いて思わず奇声を発し、慌てて両手をパンパンッとはらう。虫が大嫌いな私は半分涙目で掌をこすり合わせた。だって嫌いな虫の中でも蛾は特に嫌いなんだもの。見ると掌には鱗粉がまだ残っている。
気持ち悪いよぉ~、と手を見つめていると、
「ぷ、っくっくっく。ぶわぁっはっはっは」
先輩が、我慢できない~っというように吹き出した。
「やっぱお前、最っ高だな」
酷いよ、先輩。思わず睨みつけてしまう。そんな私の頭に手を置くと、先輩はそのままくしゃくしゃっと髪を掻きまわした。そしてくいっと胸に引き寄せられた。
一瞬思考が停止した。
顔の前には先輩の胸。何事が起きたのかと。
あったかくって大きくて。
そうして固まってしまっていたら、頭上から先輩の言葉が降ってきた。
「好きだよ」
と同時に頭の上に先輩の息がかかる。
え? っと、キス、された? 何が起こったの?
先輩が? まさか?
夢のような出来事に、頭がついていかない。これは、ほんとに桜が見せた夢?
「つき合って、くれないか?」
惹かれはじめてはいたけど、絶対に好きになんてならない……なってはいけないと思ってたのに。降ってきた言葉が「好きだよ」だったから。誰にも言ったことがないっていう言葉だったから。「つき合って」の言葉に思わず頷いてしまった。
夢なら夢でも構わない。私は小さく頷くと、想いを伝えようと意を決して顔をあげた。
「先輩。私も先輩のことが好……」
それなのに、その続きは言えなかった。
唇を塞がれてしまったから。
誠実な人が好きだったはずなのに。
初めてのキスは夜桜幻想。
桜月夜に酔いしれて、踏み込まないと決めていた人への恋に踏み込んでしまった。
桜月夜に酔いしれて 楠秋生 @yunikon
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