第二話-7(最終話)

「あんたが作ったのか?」


 佐山の質問に、店主のじいさんは首を何度も横に振った。苦虫を百匹噛み潰したような顔に、こんな厄介事に巻き込まれたくなかったと書いてある。


「俺だよ」


 奥からのっそり、光る頭が出てきた。バット男の意識を一発で飛ばした力技といい、背中を覆った桜の花のもんもんといい、どこから見てもあちらの世界の人間なのに、本人は流しの料理人だと名乗った。


「まあ実費しかとらねぇから、趣味でやってるようなもんだが」


 おっさんはそれが癖なのか、額から後頭部にかけてをつるりと撫でた。


「久しぶりに会った兄貴のためにメシを作りたいって話だった」


 佐山は思った。偶然見かけたのか、人を使って探させたのかはわからない。熊田は自分がこのあたりによく食事に来ているのをとっくに知っていたのではないだろうか。そして、昔のように二人でテーブルを囲んで自分の作ったチャーハンを食べたいと思った。


「で……、自分の代わりにあんたに作ってほしいって?」

「俺の客は、ほかの誰にも頼めねぇわけありの連中が多い」


 おっさんはまだほとんど残っている佐山の皿を見た。


「すっかり冷めちまったな。ちょっと待ってろ。新しいのを作ってやる」


 おっさんが厨房に引っ込むと、すぐにまたあの佐山の胃袋をくすぐる音たちが聞こえてきた。


 ジャッ ジャッ


 豚バラ肉から取った脂に大量の刻みねぎとショウガを放り込み、一気に香り立たせる。まろやかな甘さを帯びた匂いが、たちまち鼻の奥へ広がる。

 

 ジャーッ!


 豚肉を炒めれば、漂ってくる匂いに何とも言えない香ばしさが混じった。

 再び大量のねぎと鰹節をひとつかみ。


 ジャーッ! ジャッジャッ!


 満を持して投入された白飯が、熱せられた鍋肌で弾ける。時には掻き回され、時には押しつけられてジリジリと焼ける。


 ジャーッ! ジジジジ ジャッジャッ!


 美味そうだ。早く頬張りたい。ちょっと行儀悪いが、大きくスプーンを使い、皿に顔を近づけ、メシを掻き込むようにして食べたい。

 でも……。

 テーブルで待つ佐山の顔が小さく強張った。熊田の思いのこもったチャーハンだとわかっても、呑み込んだとたん、すぐにまた味が変わってしまうのではないか。不味くなってしまうかもしれないと、不安がっている。


「おまちどう」


 新しい一皿が運ばれてきた。思わず身を乗り出し覗き込んだ佐山の顔に、ふわんと湯気があたる。


「チャーハンてのは、家で作ることも多い料理だろ。だから、人によっていろんなレシピを持ってる。使う飯ひとつとっても冷たいのががいいってやつもいれば、いや、あったかい飯以外あり得ねぇと言い張るやつもいる」


 熊田の座っていた席に、おっさんは腰を下ろした。


「熊田のオヤジのは、和風だがね。人によっちゃ、鰹節を使うなんざチャーハンじゃねぇって笑うだろうよ。でもなあ。長ねぎたっぷりには、やっぱり和風が合うんだよなあ」


 佐山はおっさんの講釈を聞きながら、スプーンを手に取った。


「いただきます」


 思い切って最初のひと口を食べた。

 佐山の目がふっと大きくなった。

「……美味い……」

 文句なく美味い。

 胃袋が喜んでいるのがわかる。

 佐山のスプーンは、たちまちち小さなパワーショベルに変わった。チャーハンの山を次々と切り崩しては、口に運びはじめる。

「美味ぇ」

 最後に投入された卵にはまだ少し濡れているような食感があって、それが飯粒にちょうどいい湿りけを与えている。パラッとしているのにパサついていないのは、この微妙な水分のせいか。

 美味いチャーハンを噛みしめているうち、佐山はなぜ熊田が中華料理屋の親父を演じたのか、わかる気がした。子供の頃の夢を叶えて料理人になり、まっとうに暮らしているもう一人の自分の人生を、ひと時だけでも味わいたかったのだろう。

 もう一人の熊田なら、たびたび佐山に声をかけ、今日のように一緒にテーブルを囲む時間を持ったに違いない。本当の兄弟のようなつき合いをしていたかもしれない。佐山にとっての熊田も、何かあった時は遠慮なく頼れる家族みたいな存在になっていただろうか?

 佐山はスプーンを止めた。

 今度は一匙一匙、ゆっくりと味わう。


『大丈夫ですよ。兄貴は変われたんだ。これからも頑張っていけますよ』


 言葉にはしなかった熊田の思いが聞こえてくる。


「美味い」

「そんなに美味いか?」


 おっさんが笑うと、真顔でいる時よりかえって凄味があった。


「なんででしょうね。最初に作ってもらったのと同じもん食ってるはずなのに、前よりも美味いんですよ」


 熊田と再会し、揺らされた自分の心がそう感じさせるのだろうか。ドラマみたいなこともあるもんだと勝手に納得しかけた佐山に、おっさんがそりゃそうだろうとまた笑った。満足げに小さく頷く。


「レシピをちょこっと変えたからな」

「え? 変えた?」

「心持ち、塩ッ気を足した」

「塩を?」

「この季節、炎天下で働くやつらには、いつもよりしょっぱめが美味いんだ。俺には難しいことはわかんねぇが、汗で出てった分を取り戻そうって身体が一生懸命になってんのかもしれねぇな」


 おっさんは佐山の右手を見、左手を見た。


「そいつが教えてくれたよ。汗水垂らして働いている手だ」


 佐山もスプーンを握った自分の手を見た。

 熊田も褒めてくれた、その手を。

 やがてスプーンの上の小さな山に、ポツンと一滴、透明なものが落ちた。

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