そうめんとなすの揚げ浸し

鈴原晶

夏の昼かくあるべしと

 午前八時半。両親がそれぞれの車で仕事に出るのを見送ってから、私も一仕事するかって気分で台所に立った。夏休みなのに部活に課題に追われるばっかで、ようやく落ち着けると思ったらもう八月。暑さもひとしおだけど、まだこの時間は涼しい方だからエアコンはつけない。ずっと当たってると体冷えるし。

 まず小鍋に昆布と水を入れて火にかける。煮立ったら火を止めて花かつおを徳用の大袋からごそっと一掴み投入。柔らかい香りがふんわりと広がる。少し待ってから、ざるにキッチンペーパーを敷き、その下にボウルをあてがって出汁をこす。水滴を振り落としてからざるをどかしてみると、ステンレスのくすんだ銀を背景に澄んだ黄金色が揺れていた。

 取った出汁の半分を鍋に戻して、そこにみりんと醤油をどぼどぼとそそぎ入れる。火にかけて一煮立ち。甘辛い香りが立ってきて、なんかこれだけで料理してる気分になった。味見たら少ししょっぱい気もしたけど、つけ汁だしこんなもんで大丈夫だろう。あとは冷やせばそうめんつゆとして使える。いつも麦茶を入れてるのと同じ、上の方がくびれたガラスのボトルに注ぎ入れた。この容器使いやすいし、あと去年これやったら幹房みきふさが麦茶と間違えて飲んでて「マジでそんな人いるんだ」と感心したから、今年も同じ間違い繰り返すか実験っていうのもあった。

 半分残った出汁を鍋に入れて、さっきみたく醤油とみりんを適当に。ただしこっちは揚げ浸し用なので、薄めのさっぱりとした味付けにする。これも一煮立ちさせて、ボウルに戻した。

 粗熱がとれるまで待つ。リビングのソファにうつぶせになって、買ったっきり積みっぱにしてた漫画を読みながら、そういえば幹房が起きてこないなと思う。また夜更かしして小説読んでたんだろう。野球部のくせに……いや、野球部関係ないか。とにかく、あいつは本ばっか読んでる。そのくせバカ。特に数学はひどいもので、テストの度に前人未踏の点数に到達してる。得意の現文と世界史で打ち消すにしたって限度があるし、あれは明らかに限度を超えてる。なんでうちの高校受かったのかいまだに謎なんだけど、かなりの部分で勉強見てあげた私のお陰だと思う。あと一緒に教えた小野寺もか。幹房の勉強見てやるのは二度とゴメンだけど、小野寺がちょくちょくうち来て普通に同じ部屋いて隣に座ってるのは悪くなかった。というか正直、あのときは幹房あと二年くらい高校受験しててくれって思ってた。

 なんか昔のこと思い出したら、ソファにうつぶせのまま両手で開いた漫画を頭上に掲げて足をバタバタするっていう、人には見られたくない感じの発作を起こしてしまった。バタバタが収まった後、とっさに周囲を確認したけど、大丈夫、誰もいない。

 バカなことしてるうちにいい時間が経ってたから、台所に戻った。どっちのつゆももう湯気は立ってないし、容器はまだ熱いけど大丈夫。私は洗い桶に水を張って、冷凍庫から出した氷を浮かべた。冷たい水が気持ちよくて、中で手を開いたり閉じたりして遊んでたけど、すぐハッと我に返った。なぜか焦った気持ちでボウルとボトルに蓋を被せて氷水につけた。

 いよいよメインの食材の調理に取り掛かる。シンクの上、ビニールの袋に包まれてあるのは、黒々とした光沢もきれいな、ずんぐり丸い小ぶりのなすだ。包みを解き、とげに気を付けてざるに移した。

 好きな食べ物はいろいろあるけど、夏場に限れば、冷たくて汁気の多いものほど好きなものはない。今の時期食べられるそういうものと言えば、桃、トマト、それになすだ。

 まな板の上になすを乗せた。へたに包丁を当て、ぐるりと一回り。あとは指で軽く掃えばひらひらと額が落ちる。額が取れたら、次は包丁で縦に切れ込みを入れていく。なすを回しながら、少しずつ間隔を空けて一周するまで。最終的に茶せんみたいな形になる。全部のなすを同じようにして、下ごしらえ完了。

 次は油で揚げる。熱気がこもることは確定なので先回りしてエアコンをつけた。夏場の揚げ物になんの策もなく挑むのは無謀だ。

 フライパンに油を注いで火にかける。十分油が暖まったところで、なすを入れた。心地いい音ともに細かい泡が上がった。揚げ物は嫌いじゃない。カロリーさえ気にしなければ食べるのはもちろん好きだし、作るのだって油はねさえなければ楽しい。

 揚がり方が均一になるよう、なすを菜箸で突いてコロコロ回す。なすが油の上をぷかぷか浮かびながら回るのは、なんだかそういう生き物みたいで面白い。エアコンが効いてきて、ずっと火の前に立っていてもそこまで暑さは感じてない。なすに菜箸を押し付けると、ぐにゅっととへこんで細かい泡がたくさん出た。揚がったようだ。順番にバットにあげて軽く油を切ってから、熱いうちにボウルに落としていく。揚げたてのなすはどれも鮮やかな紫色をしている。見た目は大事。きれいな方が盛り付けたときに楽しいし、楽しければ楽しいだけご飯はおいしい。

 あとは粗熱が取れたら冷蔵庫に入れるだけ。これでお昼にはよく冷えて出汁をたっぷりと吸い込んだなすの揚げ浸しが食べられる。

 最後に片付け。大した量じゃないし、ぱっぱと終わらせる。鍋もまな板も洗って立てかけた。油は冷めるまで置いておこう。傷みも少ないし、まだ使える。

 私は清々しい気分でHDレコーダーに録りためたドラマをチェックしはじめた。一話見終えたとこで、なすの入ったボウルとそうめんつゆのボトルを冷蔵庫にしまった。油も冷めてたから、古い油を入れるポットに移した。昼間からゴロゴロしてドラマ見てると、気持ちがだれてくのを感じるみたいだったけど、久々の暇だし、いっかなってことにしてあらん限りのゴロゴロを尽くした。当然麦茶は飲んだし、アイスも食べた。夏にゴロゴロするってそういうことだ。

 仲間だと思ってた人に裏切られたり敵の重要人物が死んだりしてそろそろ佳境かなってとこで、リビングに幹房がやってきた。寝間着のまんまで、いかにも今起きましたって感じの緩慢な動き。時計見たら十二時近い。

「姉貴か……おはよ」

「もう昼だよ。いつまで寝てんの」

「小野寺先輩に借りた本、読んでから寝よって思ったら、日が昇ってて」

 幹房はおっきく口開けてあくびを一つ。だらしない。こんなのでも打席立つと女子からキャーキャー言われるというのが世の不思議だ。そんな打つわけでもないのに。やっぱ顔だろうか。あとスタイル? わが弟ながら精悍な顔つきをしてるし体格もいい。身長は今年ついに百八十の大台に乗ったそうだ。野球部だから坊主だけど、ファッションで通る似合い方してる。本ばっか読んでるのも「知的、ギャップがいい」とか、そういう評価になるらしい。ちなみに弟のことそう評してたあるクラスメートは同じくよく本読んでる小野寺のことを「根暗っぽい。友達いないのかな」とバカにしてたし、さらにその後で「えー、小野寺くんって、野球部の新崎くんと仲いいの? 今度紹介してー」と甘ったるい声をあげてた。幹房のことはどうでもいいけど小野寺困ってるし早く離れてって思いながら見てた。

 幹房はのたりと台所に行くと、冷蔵庫から牛乳出してグラスに注いだ。惜しい。麦茶なら早くも実験の結果が出るとこだったのに。

 幹房は立ったまま一気に牛乳を飲み干してから、

「そういえば」

 とキッチンカウンター越しに声をかけてきた。

「なに?」

 私はドラマ見ながら気の無い返事をした。なんか相棒キャラがバンバン死亡フラグ立ててる。結構好きだったのに。

「昼に小野寺先輩来るから」

「……え?」

 一瞬でドラマの内容が飛んだ。昼って……今十二時なんですけど。

 冷たいもの飲んで目が覚めたのか、幹房は来た時よりもしゃんとした歩みでリビングから出てこうとする。私は慌てて立ち上がってその背中に、

「昼って何時?」

 と聞いてみた。

「わからん。そろそろかも。来る前、一応連絡するって言ってた」

 雑にそれだけ言い残して幹房は洗面所に消えていった。小野寺のとこからうちまで歩いて五分とかからない。今幹房のとこに連絡来て、五分後には小野寺がうちのインターホン鳴らしてても、おかしくないわけだ。

 ここで私ははたと気付いて自分の服装を見下ろした。上はよれよれのキャミソール(かがむと見えてはいけないところが見える)。下は中学生のころからはいている部屋着のショートパンツ(お尻の肉がビミョーにはみ出てる)。

 着替えなきゃ。小野寺どころか家族以外の誰とも会えない。

 階段を駆け上って、自分の部屋に飛び込んだ。時間ないしすぐ決めるはずだったけど、あれでもないこれでもないを繰り返して十分程経過。ブラウスに黒のショートパンツ合わせた無難な格好に決まったころ、チャイムが鳴った。

 部屋出てモニター見たらやっぱり小野寺だ。私は間に合ったことに安堵しつつ、ゆっくり階段を下って、玄関のドアを開けた。

 視界が一瞬白くかすんだ。アスファルトの照り返しのせいだ。小野寺は門扉の向こうで暑さにだれてた。今日は気温はそこまででもないけど日差しが異様にきつい。帽子もかぶらず歩いてきたら、ああなる。

「入れば?」

 と一声かけたら、

「おじゃまします」

 と覇気のない声が返ってきた。

 小野寺をリビングに案内して、麦茶を出した。大きく一口飲み干したら、少し元気になったみたい。

「ゆかり、今日いるんだね。知らなかった」

「私も小野寺来るって知らなかった」

「そうなの? 前から決めてたんだけど。映画見に行くって」

 軽く呆れたけど、幹房にはよくあることだ。

 話してるうちに幹房がやってきた。いつの間にかちゃんとした格好になってる。Tシャツにジーパンのラフな服だけど、体格がいいので見栄えする。同じ格好を小野寺がしても線が細いからきっと似合わない。今日の小野寺は襟付きのシャツに七分丈の細身のパンツを合わせてた。特別おしゃれってわけじゃないけど、いい感じ。というか幹房と出かけるのに気合い入った服着てたら嫌すぎるから、それで正解。

「先輩、お昼食べました?」

 幹房は座ってる小野寺に向けて、軽い調子で話しかけた。

「いや、まだだけど」

「食べてったらどうです?」

 幹房、ナイス。

「突然来て悪いって」

 小野寺は戸惑ったように提案を断る。あれで結構遠慮する方だから、軽く背中を押すことにした。

「突然になったのは幹房のせいだし、小野寺が気にすることないって。それにお昼そうめんだから、二人も三人も手間変わらないし。食べてきなよ」

 小野寺はためらうそぶりを見せてから、

「じゃあ、お言葉に甘えて」

 はにかんだ笑みで答えた。

 それからの私の動きの迅速さときたら、どうしてバレー部でもこう動けないかなって感じだった。大鍋にお湯を沸かす間に幹房に大根をおろすよう命令すると、私はしょうがをすりおろし、みょうがと細ネギを刻んで、キュウリを千切りに。なんか忘れてる気がして、とりあえず冷蔵庫開けてみたら、忘れてるものに気付いた。玉子だ。薄焼き玉子を二枚作って、細く刻んだ。ここまでやったところでお湯が沸き始める。そうめんの帯を解いて、鍋に放った。泡が踊り、すぐの間に茹で上がる。引き上げたそうめんを流水でしっかり洗ってから、氷水を入れた透明なガラスの器に三人分を分けた。そこに幹房が大根おろしを持ってきてくれたので、朝作ったなすの揚げ浸しを小皿に一本ずつよそい、その上に大根おろし、しょうが、ネギを散らす。

 よし、完成。

 できた料理を三人でテーブルで並べると、大したものもないけど華やかに見えた。三人とも席に着いたところで口々に、

「いただきます」

 にぎやかな食卓。といっても話してるのはだいたい幹房と小野寺の二人で、私は会話に入れない。二人の話は趣味性が高すぎる。よくあることだけど、またかって気分になる。仕方ないので私は食べることに集中。無心でそうめんをすすった。つゆは、やっぱり少し塩辛い。でも食べてるうちに薄まってちょうどよくなる。みょうがは好きなので多めに入れる。錦糸卵は適当に作ったら焼き目がついてしまったのが残念だけど、味はいい。

 箸が進んできたところで、なすに手を出した。つかんでみると箸でさけそうなくらいやわらかい。なすの紫と大根おろしの白、ねぎの緑で見た目にも楽しい。

 お尻から思い切り一口。キンキンに冷えた出汁が中からあふれてきて、口の中が出汁の香りでいっぱいになる。幸せだ。

「姉貴、聞いてた?」

 と、突然幹房に呼ばれて現実に返る。

「聞いてない」

 どうせ私には関係ない話だ。

「ゆかりも一緒に映画行こうって話してたんだけど」

 いつの間にそんな話に。

「本当お勧めなんだよ。原作が今世紀最高のSFだから間違いないし、音楽も期待できそう。監督はちょっと他の見たことないからわからないんだけどさ」

「小野寺。私は小野寺がそういう話を熱心にするほど一緒に行く気なくすって、まずわかって」

「え、なんで?」

「そんな話したいなら幹房だけ連れてけばいいでしょ。私は幹房のおまけじゃない」

 言いたいことは言ったので私はなすを味わう幸福な時間に戻ることにした。小野寺が静かになったので、言いすぎたかなって思ってたら、予想外のことが起きた。

「じゃあ、今日はゆかりの好きな映画見よう」

「なんでそうなるんですか!」

 すぐさま幹房が抗議の声を上げた。

「三人で映画行くと、俺と幹房の趣味が同じだから、いつもゆかりを付き合わせることになるし、たまには逆にしようかなって」

 幹房がまた余計なこと言いそうだったから、私は小野寺の言葉を聞き終えると、すぐに答えを返した。

「それならいいよ」

「うん、そうしよう」

 小野寺はなにが嬉しいのか満足げな顔。幹房は嫌そうにしてたけど、むしろそれは望むところだった。


 食べ終わると、食器を洗うのは幹房の仕事。私と小野寺はソファにかけてぼんやりしてた。特別なことはないのになんとなく幸せな気分で、自然と頬が緩みそうになる。

「なんかありがと」

 思いついてそう言うと、小野寺は不思議そうに、

「いや、お礼言うのこっちでしょ。おいしかったよ。ごちそうさま」

「うん……」

 ご飯はどんなにがんばって作っても食べればなくなっちゃうけど、そうして聞けるおいしかったっていうシンプルな一言にはずっと残るものがある。また夏の間にこういう日があればいい。そのときは、なにか小野寺の好きなものを作ってあげよう。

 水の流れる音が止まった。食器洗いが終わったらしい。キッチンから戻った幹房がテーブルの近くでなにか探していた。

「姉貴、麦茶は?」

「もうしまった。冷蔵庫」

 教えると、またキッチンに引き返していった。

 さて、片付けも終わったし、日焼け止め塗ったら出かけようかな。ていうか、見る映画決めてない。なんにしよ。

 そんなことを考えていたら、台所から幹房の叫び声が聞こえた。小野寺が本気で心配そうな声をあげるのを聞いて、ちょっと考えた結果、私も小野寺の反応にならっておくことにした。

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そうめんとなすの揚げ浸し 鈴原晶 @roudoukirai

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