第45話 まとめ
「『平家物語』を加害者が解説してみた」は、古典や歴史などを分かり易くするために書きました。小難しいことをつらつら並べるのではなく、古典っぽい物や歴史っぽい物を楽しんでいただけたらいいなと思っています。
古典は何を言ってるのかわからない苦しみを与えられるだけの物ですが、大昔の人たちはこれを楽しんでいました。だから面白いはずなんです。それを
また、歴史は年号や起きたことだけを記憶するだけでは面白みはほとんどありません(数字から周期性を見つけて研究とかいうのは面白いかもしれませんが)。でも、歴史には数えきれないほどの人の想いが詰まっています。表に出る人はほんの一握りです。数えきれないとてつもない物が積み重なってつながって
ちっちゃなちっちゃな
間違えることもあります。
人間だもの。
歴史的事実とかそういうのは置いておいて、ボクが平家物語(フィクション)の場面にいたらどう動いただろうかという感じにもなっています。
景時と逆櫓でもめたという話も、その時は景時は範頼兄ちゃんと九州に居たみたいだし。ただ、思っていた以上に四国と九州が近かったから景時が怒ってすぐに九州に行っちゃった可能性もあります。
「前に出るな」「
平家物語を読んでみて、なんか当時と違う感じもしました。
800年も前の話だから、ボクの記憶も怪しいです。
覚えてるわけないじゃん。
こんなに細かく。
ここのつじつまが合わないから、きっとこうだったんだろうという感じにフィクション等を足していったら、すごく長くなった気がします。 ※読み返すの嫌かも。
同じ源平合戦に行っていた人だって、源氏と平家でも見方は変わるし、ボクやその仲間でも変わると思います。
「(ホントは怖いけど)突っ込め!」と言うボクをフォローしながらついて来てくれた仲間の気持ちはボクにはわかりません。わかんないけど、ありがとうです。
ボクの行動はともかく、ボクの無事を喜んでくれる人たちでした。
探偵物とかでもよく言いますよね。
『正解は人の数だけある』とか。なんかそんな感じの言葉。
感じ方なんて、人によって違います。
そういう人間たちが戦っていた源平合戦。
それをなんとなく感じ取ってもらえたら嬉しいです。
人が人を殺すのがどういうことなのか。
歴史の教科書には簡単に書いてあるけれど、そこにいた人たちが何を考えていたのか。現在の関門海峡を見て、1185年の壇ノ浦の戦いを想像してみる。
『戦い』という言葉がどういう物なのか。
それを想像してみる。
言葉はただの
歴史からいろいろ想像ができます。
だって、同じ人間がしてきたことです。
そんなに小難しく捕らえず、テストの時とかに、ちょこっとだけでも使っていただけるだけでもいいなと思います。
***
聞いた話ばっかりでもどうかと思ったので、ちょっとだけボクのことを話します。
京都の鞍馬山に行った時です。
鞍馬山は、ちっちゃくてかわいらしかったボクが修行に出されたお寺です。
現在もちゃんとお寺があります。地味になくなっているお寺とかもありますから、残っているということはすごいことだと思います。
草むらになっちゃってるとことかもあります。ホントにマジで驚きました。忘れたい過去というか、歴史に消されちゃったみたいな。でも地元の人はそれを覚えていて、
京都の叡山電車で出町柳駅から鞍馬駅まで行きました。
そこから歩いて山を登って、本堂をお参りして御朱印をいただいて、天狗さんがいるという奥の院に向かいました。
本堂までは石段できつかったのですが、奥の院に向かう道には木が茂っていて、珍しい植物もたくさんで、空気が清々しくて、天狗さんの力が満ちているようでした。
天狗さんがいてもおかしくありません。
登りだからかもしれませんが、本堂まではキツイんですけど、その後ろの山はひょいひょい行けます。もしも天狗さんがいても、姿を見せてはくれないだろうと思いつつ、山道を進みます。妙な気配はありました。飛び立つ羽音とかスマホがピカピカ光る怪電波とか。鞍馬山はボクにとってそういうお山です。でもそれは置いておきます。
ボクのお気に入りの山道に入る前に、鞍馬山霊宝殿があります。もちろん入りました。1階に鞍馬山の植物や昆虫の説明があって、2階は特別展か何かをしていて、そこにはボクの刀も飾ってありました。なかなか楽しく見学できました。
そして3階の仏像奉安室に行きました。ここはそれまでの展示と違っていて、大きな部屋に大きな仏様がたくさんありました。仏様に手を合わせ、歩き疲れていたので一休みしました。ほどよく休みやすい場所で、座ったところに観光客が自由に記入してもいいノートが置いてありました。
何気なくペラペラとページをめくっていると、手が止まりました。
「義経さんとそのお友達たちが幸せになっていますように」と書いてありました。
女性なのか、細くて優しい文字でした。でもはっきりと書かれていました。
それを見ただけで背中がぽかぽかして、幸せな気持ちになれました。
涙が出そうなくらい嬉しかったです。
源平合戦の頃は、ひどい目にあったし、ひどいこともしてしまいました。でも、800年以上経ち、顔も見たことがない人が、ボクとその仲間たちの幸せを願ってくれていました。
それを見た時、『供養とはこういうことなのかもしれない』と思いました。
わだかまりみたいなものが、すっと消えるような気がしました。
ボクはずっと、供養は死んだ人のためではなく、生きている人のためにするものだと思っていました。生きている人の罪悪感を減らすための気休めだと。
だって、死んだ人には何も伝えられません。
伝わっていたとしても、この世に居るボクはそれを知ることはできません。
敦盛の最期で直実さんは敦盛くんに「供養をします」と言っていたけれど、それが何になるのかと。生きている敦盛くんにはそれが伝えられます。でも、死んでしまった敦盛くんは、それが本当に行われたのかはわからないのではないかと。
敦盛くんに直実さんの供養が伝わったのかはわかりません。
直実さんが本当に供養をしたのか、そもそも本当に直実さんが敦盛くんを討ったのか。
それはわからないけれど、『敦盛の最期』として物語を残し、800年も人々を感動させた敦盛くんには、その人々の想いは何か善い作用を及ぼしていたらいいなあと、からめ手の大将は思います。そんな資格はないのかもしれないけれど。
当事者がとやかく言うのは「お前が言うか!」になるのかもしれません。でも、そういうことを何も知らない人がお祀りをしたり、優しい言葉をかけてくれるだけで恨む気持ち、悔しい気持ち、やるせない気持ちが、浄化されるのかもしれません。
ボクは嫌な感情がスッと消えました。
***
供養というものは難しいことではないのかもしれません。
特別な修行を積んでいる必要もないのかもしせません。
憎い相手が不幸になったとしても、恨む気持ちは減ったりしません。謝られたとしても、本当に怒り心頭になっていたら赦せるものでもないと思います。
亡くなった人の仇を討ったとしても、亡くなった人が戻ってくるわけではないのです。
哀しみは消えません。
苦しみはなくなりません。
やられたからやり返したとしても、それですっきりするわけではありません。
攻撃されたから反撃しても、嫌な思いをしたから仕返しをしても。
自分の手が血に染まっただけです。
匂いがまとわりついてきて、気が狂いそうになります。
見えない何かがボクを追ってきます。
見えないから逃れられないのです。
実際は何もなかったのかもしれません。
罪の意識が己をさらなる闇に堕としただけかもしれません。
自分では上がれないような場所に、自分から入って出られなっただけかもしれません。
特別な人が救い出してくれることもあるかもしれません。
そういうこともあるかもしれません。
でも、どこにでもいる普通の人が物語を知って、言葉をかけてくれるだけでいいのかもしれません。長い時間をかけて、そういう言葉がたくさん降り積もって、そうすれば、恨みなんて消えて、キラキラしたものに包まれるのかもしれません。
ほんの少しの人でも、物語を楽しんで寄り添ってくれたら、きっと少しずつ善い方向に行けるのではないかと思います。
おそらくボクはそうやって、ここにいるのだと思います。
総大将になり英雄と言われ、物語の主人公になって、長い年月をかけて、凍った心を溶かされて。
平家物語は、
物語を知って、それを楽しむだけでいいのです。
人によって堕とされた魂は
人の想いによってしか救われないのかもしれません。
『平家物語』を加害者が解説してみた 玄栖佳純 @casumi_cross
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