第44話 鎮魂歌
時は移り、少しだけ前の話です。
平成の頃。
ボクは九州の門司港にいました。
綺麗なお店がたくさんありました。
しばらくお店を見て回り、港だったので海の方に行き、そして歩行者専用の関門トンネルを見つけました。それを通って下関に着くと、そこは壇ノ浦の海でした。
行こうとしていたわけではなくて、気が付くといました。
飛行機で博多に行って、まさか壇ノ浦にいるなんて。
ボクが四国(屋島)にいたとき、どうして範頼兄ちゃんは九州にいたんだろうと思ったんですけど、思っていた以上に近かったんですね? 九州から歩いて行けました。壇ノ浦の戦いの時は関門トンネルなかったから無理ですけど。
アスファルトの道路になっている場所もありましたが、海は当時の面影がありました。岩と細かい茶色い砂利がしきつめられたような海岸は、記憶の中の景色と同じでした。
その時の仲間とのやりとりを思い出しつつ、赤間神宮に向かいました。道案内の看板があったので、それをたどっていくと着きました。
ずっと赤間神社だと思っていたのですが、赤間神宮でした。
たしかに、安徳天皇をお祀りしているのですから神宮です。
赤間神宮には安徳天皇や平家一門のお墓があります。
ボクが行ってもいいのか?
という場所です。
***
鎌倉時代の壇ノ浦の戦いの後、壇ノ浦の一帯は平家の怨霊に悩まされたそうです。船が沈められたり足を引っ張られたりということが頻繁にあったとか。さすがにこの頃は知りません。
でも、出てもおかしくないですよね。無念もいいところです。ボクもけっこう、皆さまに怨霊扱いされているみたいですけど。
ボクは怖くないですよ。
大丈夫です、怨霊ではありません、たぶん。
また話がそれてしまいました。
平家の方々は阿弥陀寺でお祀りされるようになりました。
この時、勅命が降りて阿弥陀寺にお金がつぎ込まれ、国家レベルな感じになったそうです。当時は陰陽師とかが政治の中心にいるような時代で、亡くなった人の祟りはとても怖がられていました。
ボクは怖くないですよ。
各地にボクの魂を鎮めようとする遺跡が残っているようですけど。
それは置いておいて。
天変地異があると、恨みを持って亡くなった方のせいにされたりします。
「ひどい」とは思いますが、でもそれによって、恨みの念に光が当てられます。
そして、『もう天変地異を起こさないでください』と、それを防ぐためにお祀りします。ひどいことしちゃったけど、亡くなった後はお祀りするから祟らないで、心安らかにお過ごしくださいみたいな感じです。
直実さんが敦盛くんに言ってたヤツです。
安徳天皇も、ホントはお亡くなりになってから『安徳天皇』と呼ばれるようになりました。便宜上、これまでの解説部分でもそうお呼びしていますが。
この阿弥陀寺が明治の廃仏毀釈などを経て赤間神宮になったそうです。赤間神宮には、安徳天皇や平家一門のお墓の他に耳なし芳一の像もあります。
耳なし芳一が平家の怨霊に琵琶でお話を聞かせたのが、現在の赤間神宮での出来事だったそうです。
ボクは耳なし芳一が怖くてたまりません。今、誰もいない部屋でこれを書いているのですが、外から物音がしたり、何もしていないのに缶からペコンという大きな音がしてびくっとしてしまいました。
それはどうでもいいです、すみません。
怖いと思うと、いろいろなことをつなげてしまうのでしょう。
***
安徳天皇や平家一門のお墓を建て、阿弥陀寺でお祀りするようになって、祟りと思えるようなことは減ったそうです。でも、まったくなくなったわけではなくて耳なし芳一のようなこともあったようです。
ボクは壇ノ浦の戦いの4年後に平泉で死にました。耳なし芳一はそれよりも後のことではないでしょうか? 憎い相手が亡くなっても、恨みの念は消えないようです。
耳なし芳一はボクにとっては悪夢のような話です。平家一門が、芳一を囲んですすり泣きます。目の見えない芳一の周りにたくさん集まり、壇ノ浦で船から海に身を投げる時になると、皆がむせび泣いたそうです。
ボクにとっても耐えがたい景色が脳裏に浮かびます。怪談として聞くと、生きた心地がしません。今も窓ガラスがピシっと鳴って……、もう嫌です。
すみません、話を戻します。
そして、ボクは赤間神宮の安徳天皇のお墓の前に来ました。
芳一が琵琶をかきならしたとされる場所です。
有名な耳なし芳一の舞台が現実にあって、そこに自分が立っていました。
ややふつうの歴史好きと化していました。
この時は恨みやつらみのようなものは感じられませんでした。ふつにお墓でした。怨霊に呼ばれて深夜に行ったわけでもなかったので。
昼間で明るくて、ふつうに神社でした。
神社にお墓っていうのも珍しい気はしますが。
その前で手を合わせました。
目を閉じると、白くて神々しい雰囲気がありました。
源平合戦は八百年以上、昔のことです。
お祀りもされていたので、浄化されていたのかもしれません。
以前、知人にちらっとこの話をしたことがあるのですが「たまたまです」と言われました。怖いことを言わないで欲しいです。泣きたい。
それもこそっと隅っこに置きます。
平曲をこの世に生きている人に聞かせるということが、供養にもつながるそうです。耳なし芳一は普段はそれを行っていて、あまりにも上手だったので当事者の怨霊まで聴きたがりました。
芳一はお坊さんではないような書かれ方をしていましたが、本人も気づかないうちに、平曲を語って怨霊の魂を鎮めていたのかもしれません。
何も知らない人たちに、娯楽として平家物語を聞かせる。
聞いた人たちは登場人物によりそい、感動して涙を流し、死を悼む。
ボクみたいに「えこ贔屓だ」などとは思わず、敦盛は若かったのに立派だったねと称賛する。嬉しそうに踊っていた人を矢で射るなんて義経はひどい奴だと勝者をなじる。自ら海へと入る平家の人々を憐れんで哀しむ。
それがきっと、供養につながります。
芳一の平曲を聴いた霊たちは、涙を流し、またその話を聞くために芳一を6日間通うように言います。自分たちが亡くなる話なのに、その話を聞いて、涙を流して、また話してくれと言っています。
『もうやめろ。そんな話はしないでくれ』ではなく、「また来てくれ」です。そして芳一を自分たちの世界に連れて行こうとします。
そう考えると、耳なし芳一はすごいお話です。
悪いことをした人が罰を受ける話ではありません。芳一は殺されず、生きてお金持ちになります。怨霊もこれ以上罪を重ねるわけでもありません。
そして、耳なし芳一を怪談として聞いた人もそれを楽しみ、少しずつ、恨みが浄化されていきます。
長い時間をかけて、少しずつ、少しずつ浄化されていたのかもしれません。
恨みを持つのは一瞬だけど、それを綺麗にするには、時間がかかります。
お墓の横に芳一の像ということは、芳一の平曲を聴いて、成仏してくださいという意味でしょう。
平家物語に興味を持って、何も知らない人たちが赤間神宮を訪れて手を合わせる。そこまで行かなくても、知って憐れと想うだけでもいい。
暗闇の中に、少しずつ少しずつ光が差し込む。
差し込んではまた暗闇になり、暗闇になってはまた光が入るを繰り返す。
何年も何年も。
そしてようやく八百年。
まだ八百年。
もう八百年。
いま、この瞬間も光が差し込み闇に覆われ。
それをずっと繰り返す。
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