最終話「もしもし?こちら――」

 あれから数年の月日が過ぎた。

 オーレリアは、多忙の中で成人し、それからもずっと女王として働き続けた。

 戦後の復興は容易ではなく、蹂躙じゅうりんされた王都の再建は苦難の連続だった。

 だが、誰もが決して逃げなかった。

 逃げずに戦った民が、オーレリアを支えてくれた。

 終戦と海軍の解体と、そして復興と。

 それは振り返れば長い道のりで、走っている時はあっという間だった。


「では、陛下。お忙しい中で大変に恐縮ですが、インタビューを始めさせていただきます」

「ええ、よしなに」


 今、オーレリアは迎賓館げいひんかんの一室に座って、マスコミの対応をしていた。

 今日は記念すべき日で、世界にとっても素晴らしい一日になるだろう。

 そっとピンマイクをフェイ・リーインがつけてくれる。

 旧友との再会に、思わずオーレリアも笑みがこぼれた。


「立派になられましたね、陛下」

貴女あなたもです、リーイン。何年ぶりでしょうか」

「この場所が候補地から開催地になった時以来です」

「そうでしたね」


 今日から、この地球上で平和の祭典が始まる。

 戦争で戦う者たちが命を賭けた、この地で始まるのだ。

 鍛えて研ぎ澄ました命と命とが、誇りを賭けて競い合う祝祭である。

 その開会式を一時間後に控えて、特別なインタビューが始まった。

 スタンドの上のカメラを回しつつ、再び座ったリーインが質問をぶつけてくる。


「では、オーレリア女王陛下。まず最初に……再びウルスラ王国は軍備なき国に戻ってしまいましたが」

「ええ。この国は軍隊を持ちません」

わずかな期間でしたが、強力な海軍を組織、編成して戦った……その戦力は、完全に破棄されたとみなしてよろしいのでしょうか?」

「国連の査察を常に受け入れてまいりました。この地に兵器は存在しません。また、その疑いを感じるあらゆる組織や人間に対して、ウルスラ王国は真実を持って対応しています」


 そう、栄光の王立海軍は一年も経たずに解散し、その構成員は大半が国を去ってしまった。機動戦闘機モビルクラフトは、それ自体は勿論もちろん資料すらも残さず消えてしまったのだ。

 オーレリアが全幅の信頼を寄せた、円卓騎士の少年と共に。

 期待通りの答に苦笑しつつ、リーインは質問を変える。


「陛下もニュースで御存知ごぞんじかと思いますが、先日中国のウイグル自治区にある施設で武力衝突がありました」

「存じています。……強制収容所であったとか」

「中国政府はその報道を否定していますが、軍の守備隊は全滅したそうです。それでも、死者が出なかったのは驚きですが……この件に、陛下もウルスラ王国も関与していないと?」

勿論もちろんです」

「ロシア領内でのハイジャック犯鎮圧、中東の紛争、そして……日本でのクーデター未遂事件。今回のウイグルでもそうです。……機動戦闘機を運用する部隊が展開していたという報道もありますが」

「ウルスラ王国は一切関知しておりません」


 本当の話だ。

 すでにもう、ウルスラ王国には軍がない。

 しかし、かつて王立海軍だった者たちがなにを始めたかは、ずっと見守ってきたので知っている。繋がりもなく、資金供与などもない。

 ただ、信頼と信用とだけが、まだ蒼穹そうきゅうの騎士たちとオーレリアを繋げていた。

 恐らく、あの少年は悩みに悩んだ末に……機動戦闘機というオーバーテクノロジーの管理に責任を持つ一方で、それを用いた世界への干渉を始めたのだ。


「ただ、私はそうした行動を取る者たちのことを知っています」

「でしたら陛下、教えて下さい。今も機動戦闘機を使って暗躍する、彼らは」

「――

「は?」

「こういうのは確か、正義の味方というのでしょう? わたくしにはわかります」


 真顔でそう言ったら、リーインは面食らった顔で瞬きを繰り返した。

 だが、彼女は笑って言葉を続ける。


「国家に属さぬ軍事力が独立して存在し、しかもそれが既存のあらゆる戦力を上回る……危険なのでは?」

「わたくしが見る限り、彼らは国家で処理しきれぬ事態に介入しているように思えます」

「正義の味方というのなら、その善意を担保たんぽするものがありません」

「ええ。ですがリーイン、彼らは見返りも要求もありません。貴女が善意だと想っている彼らの行動原理は……それは、そうですね。強いて言うなら、。ヒロイックなロマンチシズムでしょう」

「危険ではありませんか?」

「彼らを危険と見る者はまず、己になにか非がないかを問うてみるのはどうでしょうか」


 リーインは肩をすくめてみせたが、その顔は「そりゃそうね」という笑みに彩られていた。

 オーレリアにはわかる。

 妖精からゆずられた剣は湖にかえされ、それでも少年の手には選定の剣が残った。そして騎士たちは……アヴァロンを星の海に見送り、まだこの世界にいる。

 禁忌きんきの力を誰にも渡さず、自分が正しいと思えることに使って証明し続けている。

 この世に、理不尽と不条理を押し付ける国家がいれば、それを正す。

 その所業が悪行として歴史に記録されても、翼に誇りを誓って飛び続けるのだ。


「話は変わりますが、陛下……百年前に新型爆弾を投下した各国に対し、あらゆる賠償行為の権利を放棄したそうですね」

「ええ。先日、我が国に被爆した方々の子孫が存在することを公表しました。それは、復興と並行して彼らへの補償が進み、亡き父が道筋をつけてくれていた事業が軌道に乗ったからです」

「被爆二世や三世、さらにその子孫……その全てを、ウルスラ王国が面倒を見ると」

「国民を守るのは国家の務めであり、存在理由です。先王は被爆者をおおやけにして各国に賠償を迫るより、静かな生活と十分な補償を与えて守ることを選びました」


 この地に百年前、呪いが振りまかれた。

 外宇宙から飛来した宇宙船という秘宝に目がくらんで、人の欲が悪意となって炸裂したのである。それは一瞬で大量の民を蒸発させ、生き残った者たちの未来をも奪った。

 オーレリアの父は、オーレリア以上に復興への苦難を強いられただろう。

 その中で、百年の不可侵条約を取り付け、軍隊のない国を成功させた。

 浮いた軍事費は、観光業を栄えさせ、多くの被爆犠牲者をも救ったのだ。

 隠蔽いんぺいとも取れる徹底した情報規制は、犠牲者たちのためだったのだ。


「現在、被爆者の子孫たちをむしばむ遺伝病も、治療法が確立しつつあります。その過程で、研究が間に合わず亡くなった方のためにも、国を上げて引き続き守っていきましょう」


 納得したようにうなずき、リーインはカメラを止めた。

 それでオーレリアも、ほっと一息ついて椅子から立ち上がる。


「本日はありがとうございました、陛下」

「いいえ、こちらこそ感謝を。リーイン、次は是非プライベートでいらっしゃいな」

「ええ、是非ぜひ。でも、陛下は本当に強くなられました」

「強くあらねば、国も民も守れません。それに……」

「それに?」


 思わず笑みが零れて、オーレリアはふと浮かんだ言葉を口にした。


「わたくしを最後に、ウルスラの王家もやがて役目を終えるでしょう。ただ、次の時代をようやく迎えるにあたっては、その主役たる民に少し高いハードルを与えたいのです」

「……まさか、国の民主化を?」

「いずれは、の話です。その時、わたくし一人でやれる以上のことを民が全員でやらねばなりません。王国の時代のほうがよかった、などと言わなくていい未来を望んでいるのです」


 その時、部屋のドアがノックされた。

 オーレリアの「どうぞ」という声に、顔に大きな傷がある老人が入ってくる。


「陛下、そろそろ時間ですぞ。マスコミのお嬢さんも、そろそろよろしいかな?」

「わかりました、バルドゥール伯爵はくしゃく。ではリーイン、また後ほど」

「はい、陛下」


 九死に一生を得たパルドゥールだったが、意識が戻った時には戦争は終わっていた。

 そして、目に入れても痛くない彼の愛娘まなむすめは国を去ったあとだった。

 それでも彼は「あやつめは殺しても死なんのですわ」などと笑っている。

 幼馴染おさななじみの親友リシュリーもまた、オーレリアの元を去って何年にもなる。

 英雄たちは戦争の終結と同時に、伝説だけを残して消えてしまった。

 あれから何度も映画化され、テレビドラマや小説になり、ウルスラ防衛戦争は世界中の軍事大学で学ぶ必修科目になっている。


「パルドゥール、着替えます。その間に、リーインを案内してあげてください」

「かしこまりました、陛下。という訳じゃ、お嬢さん。貴賓席きひんせきへ……特等席ですからな、期待してくだされ」


 一礼して、リーインがパルドゥールと出ていった。

 一人になると、オーレリアは一つ大きな溜め息を零した。

 だが、これからが大仕事なのだ。


 ――ウルスラオリンピック。


 ようやく経済が安定し、各国との国交が正常化されつつある今だからこそ、五輪をこの地に招いた。観光業が主産業であるウルスラ王国にとって、またとないビッグイベントでもある。

 オリンピックの本来の理念を顧みれば、ウルスラ王国ほど相応しい国はない。

 だが、その輝かしい喧騒は、オーレリアが一緒に迎えたかった少年には届かないだろう。


「エディン、貴方あなたは今どこを飛んでいるのですか? ……ふふ、貴方という人はやはり、この小さな国に収まるうつわではありませんでしたね。女王をやっていると、それが嫌でもわかるのです。嫌になるほど……わかるのですよ?」


 見えない遠くへと語りかけて、すぐにオーレリアは着替えに取り掛かった。

 室内で電話機が鳴ったのは、そんな時だった。

 酷くクラシカルな電話が、ジリリリリと歌う。

 恐らく開会式のスタッフからだと思い、ドレスを脱ぎつつオーレリアは受話器を取った。

 瞬間、数年の歳月があっという間に縮んで消える。


『――もしもし? 

「エディン!? エディン・ハライソですね? 今、どこにいるのです!」

『お久しぶりです、女王陛下。どうも、この世界はまだまだ忙し過ぎるんですよ。戦争の火種を消して回るだけで、正直てんてこ舞いです』


 なつかしい声に、オーレリアは少女だったあの頃に引き戻された。

 そして、恋心の化石が胸の奥で色付き始める。

 それは許されなくて、自分でも許さなかった。

 エディンにも求めなかったし、望まなかった。

 だからこそ、夢見て、夢の中でだけ想ってきたのだ。


『陛下は今、迎賓館ですね? 王都も先程ぐるっと見て回りましたが、随分と復興が進んでるみたいです』

「ええ。これも国民のおかげです」

雪崩込なだれこんできた大量の難民まで受け入れてしまった、これには僕も驚きました』

「人の数は、国の力です。それに、彼らもまた犠牲者でしょう。そして、血統や血筋を問われる時代は終わりました。異なる民族でも、同じものを共有できるはずですもの。難しいですが、可能です」


 小さく笑う気配が、回線の向こうに響く。


『陛下、窓の外を』

「エディン? なにを――」

『僕からも祝辞を……あと、こう見えても僕はいつでも、そしていつまでも……陛下の騎士ですからね。じゃあ、そういうことで』

「エディン! お待ちなさい、エディン!」


 一方的に通話が切られてしまった。

 オーレリアは小首をかしげつつ、ツーツーと呟く受話器を片手に窓際に寄る。

 そして、見上げた青空に絶句した。


「まあ! ……ふふ、エディン。貴方はいつもやることが派手ですね」


 五機編隊で、機動戦闘機が飛んできた。それはあっという間に天空に大きく輪を描く。輪と輪が五つに連なる、それは調和と融和の精神を象る五輪のマークだった。

 五色の鮮やかな煙幕が、開会式の空に平和を描いていた。

 そして、そのまま翼は去ってゆく。

 着陸することなく、立ち寄ることなく飛んでゆく。

 そのバーナー炎が見えなくなるまで、ずっとオーレリアは見送り、そしてこれからも見守る。金で繋がる傭兵すらも、金より大事なもので繋ぎ止めてしまった……そういう円卓騎士の、伝説を終えたあとの物語は今も始まり続けているのだった。

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もしもし?こちら王立海軍要撃隊です! ながやん @nagamono

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