第51話「そして翼は闇へ去る」

 戦争とは、国家同士が行う最も大きな事業である。

 その損失や損害にまさる収益があると、大昔には信じられていた。

 野蛮な帝国主義の時代には、それがよしとされてきたのである。

 だが、アシュレイは知っている。幼少の頃から学んで、理解している。戦争とは、もっとも非生産的な行為だと。近代の国際社会においては、忌避きひすべき選択だ。

 そして、

 今、ウルスラ王国は世界の全ての国と停戦し、終戦交渉に入ったばかりである。

 その忙しい中、アシュレイは空港へと向かってリムジンを飛ばしていた。


「アシュレイ、急いでください。もう、日が沈みます」


 バックミラーを覗けば、後部座席に今日もオーレリアは泰然たいぜんとしたたたずまいだ。

 ここ最近は、本当にウルスラ王国の女王として落ち着いてきたのをアシュレイは知っている。この国難の中、戦後処理の忙しさがオーレリアを一流の政治家へと成長させていた。

 だが、彼女はまだ十代の少女なのだ。

 そして、彼女自身が国と民を背負って守ることを選んだのである。

 リムジンは今、かつて王立海軍が使用していた空港を目指す。

 カーラジオからは、ライブ配信でニュースの中継が流れていた。


御覧ごらんください! あれが、このウルスラ王国の湖底に眠っていた謎のオーパーツです!』


 そう、幹線道路をカッ飛ばしている運転席のアシュレイからも見える。

 遥か遠く、翠海ジェイドシーの湖面を巨大なオブジェクトが離水しようとしていた。

 その名は、アヴァロン……この地に逃げ延びて悠久ゆうきゅうの時を眠り続けた、異星の全てを詰め込んだ方舟である。そのオーバーテクノロジーを巡って、第二次世界大戦の戦勝国全てがこの地に集い、話し合って奪い合い、そして全員がアヴァロン自体をなきものにしようとした。

 無数の新型爆弾を投下され、この地は百年の平和を得た。

 そして今、オーレリアが次の百年の平和を模索する長い旅路へ踏み出そうとしている。

 しかし、今アシュレイの背後にいるのは……ただ一人のうら若き乙女だった。


「なぜ、エディンはこんな勝手を……許せません。いえ、そういう言葉ではなくて」

「オーレリア女王陛下」

「ええ、わかっています。わかっているのです、アシュレイ。でも、それでも」

「今はそのお気持ちを大事に持つべきです。そして、彼におぶつけなさいませ」


 アシュレイはアクセルを踏み込み、車体を加速させる。

 時は夕暮れ、薄暮はくぼの真っ赤な光がウルスラ王国の大自然を燃え上がらせている。もうすぐ夜が来る。その闇が全てを包む前に、マーリンはアヴァロンでこの星を旅立とうとしていた。

 そして、便乗するように一人の少年が国を捨てて出てゆく。

 すでに王立海軍は解体されたが、ウルスラ王国は戦後に大きな問題を抱えてしまっていた。

 そのことで、オーレリアは静かにくちびるを噛んで呟く。


機動戦闘機モビルクラフトが後の世に必要のない技術であることはわかっています。でも……それを扱ったエディンは、これからのウルスラ王国に必要な人材」


 不器用な少女だと、うっかりアシュレイは苦笑しそうになる。

 オーレリアにはもう、一人の素直な乙女としての言動が許されていない。

 ただ、そばにいてほしいと言えない。

 行っては駄目だと強請ねだれない、そういう人なのだ。

 そう願って頼もしく思う反面、酷く悲しかった。

 本来なら、オーレリアは自分もついてゆくと言いたいはずだ。

 この国の若き女王が、円卓騎士の少年を特別に想っていることは知っていたから。

 れるオーレリアを乗せた車内には、ラジオの音声だけが静かに響く。


『あの巨大な物体が、ああ! 今、今まさに離水しました! 信じられません、飛んでいます! 巨大な筒状の物体が、空へと――あれが宇宙人の船だという情報筋の話は、あれは』


 オーレリアは停戦から終戦に際して、真実の公表を各国に求めなかった。

 過去の罪を問い詰めなかったのである。

 宇宙人の方舟を巡って、この地で秘密会議を持ち、その決裂と同時に全員が新型爆弾を落とし合った……その歴史をえて白日にはさらさなかったのだ。

 だから、後世の歴史家はおおやけにされた資料を元にこう伝えるだろう。

 ウルウラ王国に大量破壊兵器貯蔵の疑いがかかり、世界中が国連軍を結成した。

 後の世にウルスラ防衛戦争と呼ばれる戦いで、ウルスラ王国は降伏した。

 今、宇宙へ再び飛び立つアヴァロンに対して、歴史はページどころか一文字もかないだろう。

 ただ、この今を共有する者たちだけが、争いの元凶が星の海へ去るのを見上げるのみである。


「おや? 陛下、空港の方は騒がしい……まるでお祭り騒ぎですが」

「構いません、行ってください」

御意ぎょい。……ですが、これは」

「行ってくださいと言いました、アシュレイ。お願いします」

「……わかりました」


 遠景が今、紫色に染まる。

 遠くの稜線りょうせんを紫色に縁取りながら、太陽が沈んでゆく。

 そして、宵闇よいやみが訪れる空へと巨大なアヴァロンが吸い込まれていった。その姿は、まるで出来の悪いCGを見ているようだ。ロケットエンジンの噴射炎もなく、ただ見えない糸に釣り上げられるように静かに昇ってゆく。

 その方舟の向かう先には、死滅した灰色の惑星が待っている。

 マーリンの母星は、愚かな戦いで死の星となって滅亡したと聞いていた。

 でも、だからこそ彼は帰るのだろう。

 終わった星から全てを持ち出したのなら、そこからはじめられると信じて。


「陛下、次々と機動戦闘機が……よいのですか?」

「……これでいいのでしょう。こういう風にしかできないと考えたのです。だから」


 リムジンは空港の滑走路を走った。

 その横を、次々と翼が空へと飛び立ってゆく。

 あの激しい戦いを生き抜いた、量産型の"カラドボルグ"だ。王立海軍のパイロットとして雇われた傭兵たちに、最後に与えられた報酬である。

 ウルスラ王国はできる限りの代価でむくいたが、根無し草のアウトローである傭兵たちには少な過ぎた。そんな時、使っていた機体を持っていっていいと言い出した少年がいた。

 彼は、、この世で最強の戦術兵器を個人にゆだねたのである。


「む、陛下! 奥の滑走路に……あれは、"カリバーン"の一号機です」

「間に合いましたね! エディン……貴方あなたは」


 今まさに、夜空に飛び立たんとしてアイドルアップ中の機動戦闘機が翼を震わせていた。

 そのコクピットに繋がる短いタラップを、パイロットスーツ姿の少年が登っている。迷わずアシュレイはアクセルを踏み、床が抜ける思いで踏み抜いた。

 激しいスキール音と共に横滑りする車体の中で、夕焼けの中に別れが待っている。

 大きくガクン! と揺れてリムジンが止まった時にはもう、ドアを開いてオーレリアは駆け下りていた。


「エディン!」

「……陛下。やだな、どうしてわかったんです?」

「貴方は……どうしても行ってしまうのですか?」

「王立海軍は解体、再びこの国は軍隊の不要な場所になります。僕にはわかるんですよね……オーレリア女王陛下、貴女あなたはそういう未来をちゃんと見据みすえてえがける人だ」


 アシュレイは黙って、ラジオのボリュームを上げた。

 そして、若い二人から目をらす。

 見なくてもわかる別れでもあったし、聞き耳を立てていい結末ではなかった。

 同時に、ウルスラ王国にとってこれがベストだったとも言える。

 今、ウルスラ王国の王立海軍が保有していた機動戦闘機は、その全てが勝手に国内から持ち去られようとしていた。

 ラジオのニュースキャスターは、次のニュースを既に読み上げ始めている。


『え、たった今、最新情報が入りました。国連常任理事国の各国は、あの巨大なオブジェクトに関してノーコメントを貫いております。一方で、この戦いで噂されていた、驚異的な性能を発揮した新型戦闘機の存在を問題視し――』


 もう、戦後が始まっている。

 そしてそれは、ウルスラ王国の外で大国同士が争い奪い合う未来に向かっていた。

 戦後のミリタリーバランスを一変させる存在は今、静かに歴史の表舞台から去ろうとしている。既にオーレリアは、事務処理に忙殺される中で八神重工やがみじゅうこうに釘を刺しておいた。

 もっとも、列強各国から責められ八神重工は明日をも知れぬ運命だ。

 倒産はまぬがれるだろうが……二度と軍需産業に参入できなくなるかもしれない。

 それももう、ウルスラ王国の未来とは別の場所での、愚者たちの末路に過ぎない。


「……さて、また忙しくなるな」


 ちらりと見やれば、ラムジェットの轟音が全ての声と音とを塗り潰していた。

 ただただ、茜色カーマインに染まる逢魔おうまが時が過ぎてゆく。

 オーレリアがなにかを叫んで、涙を拭っていた。

 そして、身を浴びせるように抱き付く。

 受け止めたエディンの両手が、抱き返すのを躊躇ためらい、そしてゆっくりとオーレリアの肩に置かれた。

 そうして二人は、女王と騎士は別れた。

 最後にエディンは深々と一礼し、オーレリアの手を取りキスを残して去っていった。

 彼が乗り込んだ機体が、ゆっくりとタキシングで離陸位置に異動を始める。

 それをオーレリアは、風に吹かれながらじっと見送っていた。

 車内でアシュレイも、かつて部下だった少年に小さく礼を言う。


「達者でな、エディン……お前に国は救われた。だが、そのことがお前を救ったかどうかに、陛下は悩んでおられる。だから……いつかまた、必ず我々の元に帰ってこい」


 後日、国連の査察がウルスラ王国に入って、機動戦闘機に関するあらゆる資料を提出するように求めた。磁力炉マグネイト・リアクターを搭載する究極の機動戦力は、次の戦争の火種となりかねないからだ。

 だが、ウルスラ王国にはなにも残されておらず、その全てをオーレリアは公開した。

 そう、なにもなかった。

 なに一つ残されなかった。

 機動戦闘機も、その資料やレポートも、運用実績も。

 世界の全てを敵に回して戦った若者たちの記録も……彼らを率いた王国の騎士の名すら、わずかばかりも残されてはいなかったのだった。

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