第51話「そして翼は闇へ去る」
戦争とは、国家同士が行う最も大きな事業である。
その損失や損害に
野蛮な帝国主義の時代には、それがよしとされてきたのである。
だが、アシュレイは知っている。幼少の頃から学んで、理解している。戦争とは、もっとも非生産的な行為だと。近代の国際社会においては、
そして、始めるのは簡単過ぎて、終わらせるのが途方もなく難しい。
今、ウルスラ王国は世界の全ての国と停戦し、終戦交渉に入ったばかりである。
その忙しい中、アシュレイは空港へと向かってリムジンを飛ばしていた。
「アシュレイ、急いでください。もう、日が沈みます」
バックミラーを覗けば、後部座席に今日もオーレリアは
ここ最近は、本当にウルスラ王国の女王として落ち着いてきたのをアシュレイは知っている。この国難の中、戦後処理の忙しさがオーレリアを一流の政治家へと成長させていた。
だが、彼女はまだ十代の少女なのだ。
そして、彼女自身が国と民を背負って守ることを選んだのである。
リムジンは今、かつて王立海軍が使用していた空港を目指す。
カーラジオからは、ライブ配信でニュースの中継が流れていた。
『
そう、幹線道路をカッ飛ばしている運転席のアシュレイからも見える。
遥か遠く、
その名は、アヴァロン……この地に逃げ延びて
無数の新型爆弾を投下され、この地は百年の平和を得た。
そして今、オーレリアが次の百年の平和を模索する長い旅路へ踏み出そうとしている。
しかし、今アシュレイの背後にいるのは……ただ一人のうら若き乙女だった。
「なぜ、エディンはこんな勝手を……許せません。いえ、そういう言葉ではなくて」
「オーレリア女王陛下」
「ええ、わかっています。わかっているのです、アシュレイ。でも、それでも」
「今はそのお気持ちを大事に持つべきです。そして、彼におぶつけなさいませ」
アシュレイはアクセルを踏み込み、車体を加速させる。
時は夕暮れ、
そして、便乗するように一人の少年が国を捨てて出てゆく。
そのことで、オーレリアは静かに
「
不器用な少女だと、うっかりアシュレイは苦笑しそうになる。
オーレリアにはもう、一人の素直な乙女としての言動が許されていない。
ただ、そばにいてほしいと言えない。
行っては駄目だと
そう願って頼もしく思う反面、酷く悲しかった。
本来なら、オーレリアは自分もついてゆくと言いたい
この国の若き女王が、円卓騎士の少年を特別に想っていることは知っていたから。
『あの巨大な物体が、ああ! 今、今まさに離水しました! 信じられません、飛んでいます! 巨大な筒状の物体が、空へと――あれが宇宙人の船だという情報筋の話は、あれは』
オーレリアは停戦から終戦に際して、真実の公表を各国に求めなかった。
過去の罪を問い詰めなかったのである。
宇宙人の方舟を巡って、この地で秘密会議を持ち、その決裂と同時に全員が新型爆弾を落とし合った……その歴史を
だから、後世の歴史家は
ウルウラ王国に大量破壊兵器貯蔵の疑いがかかり、世界中が国連軍を結成した。
後の世にウルスラ防衛戦争と呼ばれる戦いで、ウルスラ王国は降伏した。
今、宇宙へ再び飛び立つアヴァロンに対して、歴史は
ただ、この今を共有する者たちだけが、争いの元凶が星の海へ去るのを見上げるのみである。
「おや? 陛下、空港の方は騒がしい……まるでお祭り騒ぎですが」
「構いません、行ってください」
「
「行ってくださいと言いました、アシュレイ。お願いします」
「……わかりました」
遠景が今、紫色に染まる。
遠くの
そして、
その方舟の向かう先には、死滅した灰色の惑星が待っている。
マーリンの母星は、愚かな戦いで死の星となって滅亡したと聞いていた。
でも、だからこそ彼は帰るのだろう。
終わった星から全てを持ち出したのなら、そこから
「陛下、次々と機動戦闘機が……よいのですか?」
「……これでいいのでしょう。こういう風にしかできないと考えたのです。だから」
リムジンは空港の滑走路を走った。
その横を、次々と翼が空へと飛び立ってゆく。
あの激しい戦いを生き抜いた、量産型の"カラドボルグ"だ。王立海軍のパイロットとして雇われた傭兵たちに、最後に与えられた報酬である。
ウルスラ王国はできる限りの代価で
彼は、一つだけ条件をつけて、この世で最強の戦術兵器を個人に
「む、陛下! 奥の滑走路に……あれは、"カリバーン"の一号機です」
「間に合いましたね! エディン……
今まさに、夜空に飛び立たんとしてアイドルアップ中の機動戦闘機が翼を震わせていた。
そのコクピットに繋がる短いタラップを、パイロットスーツ姿の少年が登っている。迷わずアシュレイはアクセルを踏み、床が抜ける思いで踏み抜いた。
激しいスキール音と共に横滑りする車体の中で、夕焼けの中に別れが待っている。
大きくガクン! と揺れてリムジンが止まった時にはもう、ドアを開いてオーレリアは駆け下りていた。
「エディン!」
「……陛下。やだな、どうしてわかったんです?」
「貴方は……どうしても行ってしまうのですか?」
「王立海軍は解体、再びこの国は軍隊の不要な場所になります。僕にはわかるんですよね……オーレリア女王陛下、
アシュレイは黙って、ラジオのボリュームを上げた。
そして、若い二人から目を
見なくてもわかる別れでもあったし、聞き耳を立てていい結末ではなかった。
同時に、ウルスラ王国にとってこれがベストだったとも言える。
今、ウルスラ王国の王立海軍が保有していた機動戦闘機は、その全てが勝手に国内から持ち去られようとしていた。
ラジオのニュースキャスターは、次のニュースを既に読み上げ始めている。
『え、たった今、最新情報が入りました。国連常任理事国の各国は、あの巨大なオブジェクトに関してノーコメントを貫いております。一方で、この戦いで噂されていた、驚異的な性能を発揮した新型戦闘機の存在を問題視し――』
もう、戦後が始まっている。
そしてそれは、ウルスラ王国の外で大国同士が争い奪い合う未来に向かっていた。
戦後のミリタリーバランスを一変させる存在は今、静かに歴史の表舞台から去ろうとしている。既にオーレリアは、事務処理に忙殺される中で
もっとも、列強各国から責められ八神重工は明日をも知れぬ運命だ。
倒産は
それももう、ウルスラ王国の未来とは別の場所での、愚者たちの末路に過ぎない。
「……さて、また忙しくなるな」
ちらりと見やれば、ラムジェットの轟音が全ての声と音とを塗り潰していた。
ただただ、
オーレリアがなにかを叫んで、涙を拭っていた。
そして、身を浴びせるように抱き付く。
受け止めたエディンの両手が、抱き返すのを
そうして二人は、女王と騎士は別れた。
最後にエディンは深々と一礼し、オーレリアの手を取りキスを残して去っていった。
彼が乗り込んだ機体が、ゆっくりとタキシングで離陸位置に異動を始める。
それをオーレリアは、風に吹かれながらじっと見送っていた。
車内でアシュレイも、かつて部下だった少年に小さく礼を言う。
「達者でな、エディン……お前に国は救われた。だが、そのことがお前を救ったかどうかに、陛下は悩んでおられる。だから……いつかまた、必ず我々の元に帰ってこい」
後日、国連の査察がウルスラ王国に入って、機動戦闘機に関するあらゆる資料を提出するように求めた。
だが、ウルスラ王国にはなにも残されておらず、その全てをオーレリアは公開した。
そう、なにもなかった。
なに一つ残されなかった。
機動戦闘機も、その資料やレポートも、運用実績も。
世界の全てを敵に回して戦った若者たちの記録も……彼らを率いた王国の騎士の名すら、わずかばかりも残されてはいなかったのだった。
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