2 再会

 皇国共済組合基金ビル所長室にて、当麻旭の作成した人事異動案に目を通していた明智は、小さく声を上げてしまった。



「どうかしましたか?」



 不安そうに尋ねられ、取り繕う。



「いや、3期生を一人朝鮮に送る代わりに、今の担当を帝都に呼び戻すのだなって」



「ああ。現任の櫻井さんって明智さんの同期ですよね。佐々木さんが殆ど帝都にいない現状、人手が欲しくて。訓練生の時、仲良かったのですか?」



「良くないですね。嫌いです」



 にべもない言い方に、旭は元から下がり気味の眉を更に下げたが構わない。

 下手に嘘を吐いて勘違いされ、二人で任務をさせられたりするのは御免だった。



「うん、あはは。誰にでも苦手な人はいますからね。はい。せめて喧嘩はしないで、表向きは仲良くしてくださいね。櫻井さんは優秀な方だとは聞いていますが、帝都での勤務は初めてですし、分からないこととかもあるでしょうから、助けてあげてください」



「それは向こうの出方次第です。約束できかねます」



 仮に分からないことがあったとしても、櫻井は自分に聞くまでもなく、プレイボーイ同士気が合った小泉あたりにでも聞くだろう。

 積極的に面倒を見てやる謂れはない。


 しかし、かなりきつめに拒絶の意思を表明したにも関わらず、女所長は釘を刺してきた。



「困っていそうな時は、助けてあげてください。お願いします」



 何故に自分に頼むのか分からなかったが、所長席に座ったままこちらをじっと見上げるまん丸の瞳は、真剣そのものだった。

 けれども、いくら彼女が真摯な態度で頼み込もうと、肝心の櫻井が自分なんかを必要とするとは思えなかった。



「あの自尊心が高く、いつも自分以外の奴を見下していて、世間を斜め上から見ていて、傲慢で、威張り腐っていて、下世話なゴシップが大好きなクソ野郎が他人、しかも明らかに見下している俺みたいのを頼るなんて、真夏に雪が降るようなものですよ」



「……何でそこまでムキになるのですか。もう」



 3年前の因縁なんぞ、露知らぬ後輩兼上司は、早口でまくし立てる明智に呆れているようだった。

 だが、めげずに念押しをしてきた。



「とにかく、櫻井さんがそういう性格なら余計にです。お願いしますよ」



「……承知しました」



 釈然としないが、冗談や社交辞令で頼んでいるようではない様子に戸惑いつつも了承した。



「明智さんなら、きっと大丈夫ですよ」



 何をどう持って大丈夫なのかは分からない。


 新年度のことを考えていると、次第に憂鬱になってきた。


 まだ、奴はあの果実の香りの香水を使っているのだろうか。

 相変わらず、嫌味で傲慢な性格なのだろうか。

 また、人の秘密を用意周到に根回しし、意地悪く暴こうとするのだろうか。


 どちらにせよ、出来るだけ関わり合いにならずに済めばいいと願わずにはいられない。



「どうでしょう? これで決定で構いませんか」



 異動案に最後まで目を通すと、新所長は少し不安そうな声音で確認してきた。


 嫌いな奴と同じ職場に居たくないなんて我儘は通用しない。


 櫻井が同じ執務室にやってくる以外は特に何の問題もない人事案だった。



「大丈夫だと思います。これで行きましょう」



 読み終えた紙束を渡すと、旭は満面の笑顔で受け取り、立ち上がって深々と頭を下げた。



「頼りない所長で申し訳ありませんが、来年度もよろしくお願いいたします。副官殿」



 ******




「これしまってあげないと旭ちゃんお嫁に行けないんじゃないの? 明智片付けなよ」



 桃の節句を過ぎて早10日。

 寮の玄関に未だに出しっ放しになっている雛人形を顎で差し、小泉は早くしまえと促してきた。



「何で俺が。山本のだろう? 勝手に弄ったら悪い」



 当麻さんも女の子だしと山本がどこからか持ってきた雛人形は、見事な七段飾りだ。嫁に行った妹のものだと説明していたが、本当なのかは怪しい。

 別の可能性を考えると、本人が長期出張で不在の時に触るのは気が引けた。



「山本出張中じゃん。それとも明智、旭ちゃんが結婚しちゃうの嫌なの? でも、お雛様しまわないと貴様とすら結婚できなくなるぞ。それでも良いのか?」



「なっ! 馬鹿なことを言うな」



 ちっとも面白くない冗談に、明智はムキになる。



「あー、赤くなってる。図星か?」



「貴様! いい加減にしろ!」



「本気で怒るなよ。ああ、おかしい。ん?」



 ヒステリックに怒る明智を指差し、涙目になる程笑い転げていた小泉が不意に真顔になり、明智の後ろ、皇国共済組合基金ビルの裏口から寮に通じる細道辺りをじっと見つめた。

 やがて再び彫りの深い端正な顔がほころぶ。



「あ?」



 何事かと振り返った明智の鼻腔を甘い果実の香りがくすぐった。



「サクラ! 2年ぶりか?」



 旅行鞄を両手に立っている狐に似た薄味な顔立ちの美男子に向かい、小泉は両手を大きく広げ、走り寄っていった。


 他人との距離の取り方が日本人にとっては些か近過ぎる帰国子女を、男は怯むことなく受け止める。



 再会を喜ぶ2人を、明智は何とも言えぬ心地で見ていた。



「明智も久しぶりだな。その様子じゃ、相変わらずまだのようで安心したよ」



 印象的な一重まぶたの瞳を細め、男は余裕たっぷり、涼しげに微笑んだ。

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諜報員(見習い)明智湖太郎の窮地 十五 静香 @aryaryagiex

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