策士少女

アイオイ アクト

その瞬間、少女は策士となった

 会いたい。近くにいたい。

 それが私の気持の原点で、その想いはいつまでも変わらなくて、くすぶり続けて。

 でも、前に進む勇気どころか、普通に言葉を交わす事すら出来なくて。

 だから私は、私のやり方で、私に出来る範囲で、彼に近付こうと思ったんだ。




 彼と出会ったのは、真新しい制服に袖を通してから、二週間も経っていない頃だった。

 毎朝電車に乗る度、酒臭い息がかかるという事態に、声を上げる事も出来ずにいた私を、救ってくれたのが彼だった。

 表情に乏しい私は一見冷静に見えるらしく、誰も助けてくれる事は無かった。

 無表情、ぶっきらぼう、髪が伸びる市松人形。多感な時期の女子によくそこまでの事を言ってくれたな家族友人その他。表情が作れないのは他人が怖くて固まってしまうからだ。


 大体、この町の人々は老人に対して寛容過ぎる。

 朝から酔っ払ったボケジジイくらい自分でどうにかしろと思っているんだろう。こんな背も胸も愛想すら無い子供に。

 かといって、電車以外の学校へ行く手段は無い。

 両親は居酒屋経営だから朝は寝ているし、大学生の姉は毎日帰ってこない。そもそも姉の運転は命がいくつあっても足りない。


「おめさ名前は?」


 質問されても怖くて声すら出ないよ。


「答えいや」


 あ、まずい。これは、まずい。

 気付けば、首にジジイの手が回っていた。何を考えているんだ。将来の貴重な労働力が、こんなジジイに奪われるのか。


「あ、あの、そ、それは駄目です」


 誰だろう。

 男の人の声だ。まさか、助けてくれるなんて事はあるのかな。


「こ、これ、分かりますか? この柳刃、ほ、骨も切れますよ」

「ひぇ、ひぇぇ!」


 そんな、馬鹿な。ジジイの手が離れた。

 こんなこけおどしで簡単に手を離すのか。

 はぁ、良かった。いや、良くない。


「ひっ……!」


 声の主の鞄から、本当に和包丁の柄が生えていた。

 痴漢の後は刃物男か。ついにモテ期来ちゃったかなぁ。


「ひ、人殺しゃあ!」

 

 電車が止まると、半自動のドアをこじ開け、ジジイが逃走した。私も逃げたかったけど、腰に力が入らなかった。


「だ、大丈夫ですか? 降りましょう」

「……」


 言葉が出ない。

 体が引き摺られている。

 なんでよ。これから私の事捌くんでしょ。冥土の土産にお姫様抱っこくらいしてよ。

 はぁ、こんな汚い駅のベンチで三枚に下ろされちゃうのかな。

 いや、皮をいだら出汁も取れねぇって捨てられるだろうな。

 こんな事なら、お店の手伝いしてコミュ力磨いて彼氏作るんだった。いや、コミュ力だけで出来る物でもないけど。


「……うん。そう! だ、大至急で宜しく! あの、い、今、友達呼んだから!」


 ああ、思考の海へとトリップしていた。

 今なんて言ったかな。なんで友達呼ぶの刃物男。

 あ、もしかして、『マワされる』ってやつか。こんな体をか。


「えと、友達、警察なんだ!」


 これは助かったという事、なのかな。


「あの、ご両親は? そうだ出居でい先生分かる? あの、何か僕に出来る事ないかな?」


 混乱している。私より混乱しているかも。なんで出居を知っているんだろう。私の高校の卒業生かな。

 なんだか、妙に可愛い人だ。


「あの、僕は冨和浦ふわうら雄高ゆたかって言うんだけど、出居でい先生の教え子で」

「……体育の?」


 やっと口から言葉が出た。

 この人先輩なのかな。


「ああ良かった! 話せるんだね」

「は、はい」


 こんなに表裏を感じさせない『良かった』という言葉を初めて聞いた気がする。


「す、す、寿田すだ亜鈴弥ありや、です」


 声が上擦ってしまった。なんだろう、この、両耳が熱くなるような感覚。


「寿田さん、ね。はぁ、怖かった……無事で……良かった」


 え、涙を流してる。

 この人、見ず知らずの私の無事を喜んで。こんなに意気地が無いのに、私を助けてくれたんだ。

 耳だけではなくなった。頭も顔も熱い。地肌が臭ったらどうしようと思うくらい、汗が止まらない。

 襲われた恐怖なんて、もうどうでも良くなってしまっていた。

 それより、この人とこれっきりになってしまうのが嫌だ。

 いや、何を考えているんだ。これ以上迷惑をかけるな。


「た、助けていただいて、ありがとう、ございました」


 そう。それで良いんだよ私。ここで終わりだ。


「あ、パトカー来てくれたから、一緒に行こう」

「え? い、一緒に、来てくださるんですか?」

「当たり前だよ。目撃したんだから」


 これは、奇跡だ。

 この奇跡、なんとかして活かさないと。

 助けてくれた恩返しもしたい。そのためには、また会えるようにしないと。




「お、おはよう」

「あ、おはようございます!」


 うわ、自分が気持ち悪い。どうしても声のトーンが上がってしまう。

 もう何度も会っているのに。

 でも、約束をしている訳では無いから、どうしても喜びが声に出てしまう。表情は真顔のままなんだけど。


 冨和浦さんの最寄駅は私と一緒だった。

 朝七時から待ち伏せして、もうどの時間の電車に乗るかは把握した。


「寿田さん、良かったね。あのじいさん捕まったって」

「はい。ゆっくり電車に乗れます。あ、冨和浦さんの事、出居が覚えていました。正義の心は俺が教えたって」


 冨和浦さんは二十三歳。社会人二年目。地元刃物メーカー勤務。だからある意味、本当に刃物男。

 うるさい体育教師に話を聞くのは嫌でたまらなかったけど、冨和浦さんの情報を聞き出すためと頑張ってみたんだ。


「え? 調子いいな出居先生」


 困り顔は、穴があくほど見つめていたくなる程、可愛い。

 ただ、あまり見ていると変に思われそうだ。こんな風に会話している間も、私の表情は硬くて、睨んでいると思われそうで。


「包丁で脅すなんて歪んだ正義は出居から教わったって感じがしますから、その通りかも」

「え? 辛辣だなぁ」


 意地悪な言い方をすると、苦笑いを浮かべる。その表情もたまらなかった。会えるのはこの朝の時間だけなのがもどかしい。連絡先だって知らないから、仕方ないのだけど。

 もちろん、何のお返しも出来ていなかった。

 両親は店でもてなす気は満々みたいだけど、冨和浦さんはお酒があまり得意ではないみたいだから、私自身が考えたい。

 だけど、それ以上に、私の欲望は果てしなかった。


 他人行儀な呼び方をしたくない。敬語で話したくない。

 どちらも年上が相手なら、とても親しい間柄でないと出来ない。失礼は承知で。


「生徒会だったんですね。冨……」


 その瞬間は唐突にやってきた。

 ホームに現れた人影を見たその時、私の脳はとてつもない速度で動き始めた。


 私と冨和浦さんが座っているベンチを横切ろうとする人影。噂好きの面倒なババア。これは、利用出来る。


「ゆ、雄高お兄さん」

「え?」


 冨和浦さんに目配せすると、ババアの存在を認識してくれた。

 ババアがこちらをじっくりと検分している。朝早くに社会人と女子高生が駅で話をしているなんて格好の獲物だ。


「なーして亜鈴弥が冨和浦のがじけぇ臆病者といんのかぁ?」


 良いぞババア、その調子だ。でも臆病者呼ばわりするな。そこが可愛いんだよ。


「親戚だから、だけど?」


 我ながら見事な棒読み台詞だ。


「ほんきけぇ雄高ぁ?」

「あ、亜鈴弥ちゃんはま、前から知ってます」

「そっけぇ」


 ニンマリ笑ってるねぇババア。そうだ、私の手の中で踊れ。


「忘れもんしたすけけえるわ」


 ふふ、どうせババアは戻ってこない。このネタを持って商店街へ向かう事だろう。


「あのこれ、まずいんじゃ?」

「亜鈴弥で。こ、今後も見られたまずいですから」


 よし、表情は多分崩さなかった。鼻息は止められないけど。


「あ、亜鈴弥?」

「は、はい」


 くぅ、効いた。これは効いた。

 心の中で拳を高く振り上げた。今日は曇っているけれど、私の拳はその雲を突き抜けて太陽を鷲掴みにしてやった気分だ。


「雄高、電車来たよ」

「え? 兄さんは?」

「お兄さんぽくなかったから雄高。駄目?」

「え? に、兄さんよりもいいかな」


 にやけ顔が止まらなくなってしまった。

 どさくさに紛れて敬語をめた私に気付いているかな。このタイミング、我ながら最高だと思うけど。

 電車が止まり、ドアが少しだけ開く。雄高はそのドアを開けて先に乗せてくれる。

 時間は早いから、同じ学校の生徒にこの紳士ぶりを見せびらかす事ができない。それは少し残念だ。


 私の拙い作戦を成功させてくれたババアには感謝しないと。

  私の見え透いた嘘を暴いて、あなたが臆病者呼ばわりした人が、勇気を振り絞って私を救ってくれた人だという事も知って驚け。

 そしてホームで逢引(我ながら古い表現)していた事について巨大な尾ひれをつけて拡散しておいてね。




 日々は進む。

 そして、私の混迷も深まっていく。

 当然だけど、恩返しも何も出来ていない。

 思いが迷走したまま、連休が始まってしまった。

 五月の連休は帰宅部の私にとって心が躍る時期だが、今年は決意を持って迎えていた。

 賭けに出ようと思った。

 彼に何か恩返しをしたいという気持ちは一度隅に置いて、繋がりを深めたかった。

 その目的のために、親の店を出来る限り手伝った。

 両親は大喜びしているが、私の後ろ暗い真意は分かるまい。


 私が求めていたのは彼に繋がる情報だ。

 己の行動に溜め息が出そうにもなるが、これが私のやり方だ。

 連休はどうしているかなんて、下心があるみたいで、本人に聞けやしないから。

 そして昨日、待望の情報が舞い込んだ。


「今週全休なのに予定無くってよぉ」


 深酒した雄高と同じ会社に勤めるオヤジの一言。私が待ち望んでいた情報だ。

 明日の連休の飛び石は休業になるらしい。私が通う高校も同じだ。

 しかし、私は肝心な事を忘れていた。


 休日。それすなわち、普段着という絶望。

 だけど、幸運はまるで私の背中を押すかのように降り注いだ。


「ぐぇ!」


 出掛けようとした私のチュニック丈パーカのフードを掴んだのは、早朝に帰宅した姉だった。

 雑な髪型は帽子で隠せ、目つき悪いんだから伊達眼鏡、チビがパーカを着るな、足を出すな子供に見えるなど、言いたい放題言われたのは初めてだった。

 でも、今まで一度として私の服装になど興味を持たなかった姉が、何故服を貸してくれたのだろう。

 まぁ、いいか。


 相変わらず人の居ない駅まで辿り着くと、改札は通らず、並木の前のベンチに座った。

 横に水筒とお菓子を置いて、文庫本を開く。

 なんとも杜撰ずさんだが、これしか思いつかなかった。私は駅で雄高を待つ事にしたのだ。

 今日、ここに雄高が来てくれるかどうか、分の悪い賭けだ。休日に惰眠を貪らず、しかも高校も休みだと認識しておらず、そして私の事を気に留めてくれていれば。

 今の目標は二つ。駅のホーム以外で会えるようになる事、連絡先を交換する事。


「ふぅ」


 息が白い。五月の連休は必ずといって良い程好天に恵まれるけど、朝は寒い。

 暖かいお茶を飲みながらとはいえ、結構冷える。

 しかしそれも束の間、一時間もすると段々暑く感じる程の日差しに恵まれた。でも、心は絶望感に支配されていく。

 たった今、平日ならば学校に間に合う最後の電車が発車した。

 時間が経つにつれ、人が駅の中へと吸い込まれていく。

 辛い。思った以上に。泣くな、泣くなよ私。

 恋人同士が、やけに目に付く。そんな関係になろうとまでは考えていなかった。

 ただ会いたい。それだけなのに。


「お、おはよう」

「……へ?」


 どうして雄高が真横に。いつも駅の前の目抜き通りを歩いて来るのに。


「ど、どうしたの今日? 学校休み?」

「えと、そ、そう。ゆ、雄高は?」

「僕も実は休みで、もしかして、その、僕の事、待ってたらと思って」


 私は頭を何度も上下させたと思う。

 言葉にならなかった。

 雄高がふらふら歩く私の手を引いて歩いてくれている。なんだか、意識がはっきりしない。

 素直に待っていたと認めてから、結構泣いてしまった。かなり困らせてしまった。


 言われるがまま、駅の駐車場でシートが二つしかない車に乗せられたところで、やっと意識がはっきりした。


「私服、大人っぽいね」


 一気に現実へと引き戻すような爆弾を落とされたからだ。

 大人っぽいなんて、初めて言われた。


「ぜ、全部、姉の借り物で。あの、すごい車!」


 ごめん、雄高の服は褒める所がない。白のカジュアルシャツに黒いパンツ姿。雄高の私服は無難の神が降臨したかのようだった。

 良かった。雄高がお洒落じゃなくて。私もダサいし。


「あ、あのこの車、実は中古で七十万円なんだ」

「こんなに可愛い……かっこいいのが?」


 いつかドイツの車買うなんて馬鹿な事を言っている父親に聞かせてやりたい。


「あの、僕、一度も女の子とこんなに二人で話した事ってなくて、どうしていいか、分からなくて」

「初めて? 私もだよ」


 ああ、尚更嬉しいな。

 ぎこちなくても良いって事だ。


「それに、その、臆病者で有名だから」


 そうだね。

 馬鹿正直で、その年で誰とも付き合った事無くて、自他共に認める臆病者で。

 夢見がちな女子に好かれるような人ではないよ。

 でも、私は夢見がちじゃないんだ。

 その臆病者が、素敵に見えてしまうんだよ。

 そんな風に予防線なんて張らなくて良いのに。私は今の距離感でも満足なんだから。


「……なーんてね。純情乙女じゃないんだよ私は」


 ぼそっと口ずさむ。


「え? な、なんて?」

「甘いね雄高。私みたいなの助けた時点で命運尽きてるんだよ? ずっと付きまとうよ。毎日駅で待ち伏せするよ」


 ああ、これ、告白だなぁ。

 言葉って便利だ。味方に付ければ、雄高をいっぱい困らせる事が出来る。


「だから、その……」


 だから、そうやって漬け込める隙を見せる所、良くないよ。年上の威厳なんて全くお留守で。


「御託はいいの。雄高、携帯にロックかけてないんだね」

「え?」


 ささっと操作して連絡先を入手する。

 そして、家に電話して母を叩き起こす。


「あ、お母さん? 今日雄高連れてくね。え? 冨和浦さんの事だよ」

「あ、亜鈴弥! ちょっと!」

「いいから」


 今は私にされるがままになってよ。


「お店は、四時に開くからね」

「わ、分かったよ。時間になったら家に車置いて歩くから」


 うわぁ、脇が甘い。私に家までバラしちゃうなんて。いやはや、予想以上の大収穫。


 私はこれからもあなたに会い続けたいんだよ。そして、いつになるかは分からないけど、きっとこの中途半端な状態を脱して、ちゃんと向き合えるようになりたいんだ。それが次の目標。

 その次の目標は、雄高に私の事を助けて良かったと、心から思ってもらう事。


 だから、今後は勇気なんて出さないで、私だけに勇気を出してくれた雄高でいてよ。

 私はそんなあなただから、傍にいたいんだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

策士少女 アイオイ アクト @jfresh

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ