一章 竜と契約せよ Ⅴ
Ⅴ
番外地は混迷を極めていた。
貧民街とはいえ長くエイブラの力で護られてきた王都周辺の民の殆どが、魔物の類とは縁遠い暮らしをしている。
加えて元々共同体意識の薄い番外地にあって、辺境や国外から流れてきた一部の者達を先頭に大人達が真っ先に逃げ出し、今残っているのは足を悪くした老人達と、護ってくれる者の居ない親無しの子供達が大半である。
内壁へ通じる警備所の兵は初めて遭遇する事態にどうするべきかわからず、番外地側から逃げてくる人々を中へ避難させるのが精一杯であった。
中には実用性の乏しい儀礼用の剣を抜き二本足で暴れまわる牛の様な魔物に挑んだ者もいたが、正規の騎士ならばともかく国外との揉め事も久しく途絶えている王都フェルバの警備兵のにわか剣術等で功を上げる事などできるはずもなく、頭部に痛打を受けたきりピクリとも動かなくなっていた。
「こんな所でボケっとしてないで、老人や子供達を連れてきなさいよ!」
警備所に怒鳴り込むなり、リゼは近くにいた警備兵の胸ぐらを掴んだ。
「い……いきなり入ってきて何言ってんだアンタ⁉」
「ここの仕事は治安維持でしょう⁉」
「あ、あんなものは想定外だ! 俺達は騎士団とは違う!」
「……まあそんなとこでしょうね」
男を掴んだ手を放し、サシャを伴って警備所の反対側の出入り口へ向かうリゼ。
「待て、今行ったら危険だ! 流石に一般人を今あっち側に行かせるわけには――」
じゃらん、と。
制止しようとする警備系の眼前に、リゼは装飾の施されたペンダントが提示して見せる。
司祭職の証である。
「……こりゃあ、聖竜神殿の……」
「魔物は私達が何とかするから、せめて近くに逃げてきた人を助けるくらいはしなさいよ」
王都に於いては神殿関係者――特に司祭級の人間は貴族階級に次ぐ力がある。
権威主義などクソ喰らえ等と神殿内部で発言しては上層部の頭をしばしば悩ませているリゼであったが、そんなものでも役に立つとは皮肉なものねと内心渋い顔をしつつ裏口のドアに手をかけた。
「待ってくれ!」
「……何よ?」
「……魔物は三体確認されてる。気を付けてくれ」
「了解、あんがと」
警備所から出て番外地へ入ったリゼ達は、人の声のする方へ走る。
ほどなくして、崩れた露店街の中ほどで暴れる人と牛を混ぜ合わせた様な異形の魔物が逃げ惑う子供達を追い詰めている姿が視界に入った。
「一匹目……! サシャ! こっちにアイツの注意を向けられる⁉」
「わかりました」
外套の下から取り出された二本の短刀が、サシャの手から閃光のように放たれた。
その軌跡は吸い込まれるように異形の背に突き刺さる。
不意に襲った痛みに振り返ったその異形が、視線の先にリゼとサシャを捉えた。
無抵抗に逃げ惑う獲物を狩る楽しみを邪魔された事に気を悪くした異形は低い唸り声を上げ、リゼ達に向かって突進を始めた。
「オオオオオオン!」
振り下ろされた剛腕の一撃を二人は左右に飛びのいて回避する。
「ふっ!」
着地ざまにサシャが続けて放った短刀が、異形の両足の腱を切り裂く。
「上出来……!」
苦悶の声を上げて膝をついた異形に逆側から駆け寄ったリゼが飛びかかる。
振りかぶった右手には、銀色の手甲が嵌められていた。
「せええええぇい!」
気合いとともに手甲が淡い光を帯び、鈍い音とともに異形の頭部をリゼの打撃が打ち貫く。
ガクガクとしばらく全身を震わせた後、その異形は大の字になって地に伏した。
「うっし! まず一匹ね」
リゼは上々の戦果に拳を強く握りしめる。
各地へ旅に出る事も少なくない聖竜神殿の司祭職に就く者に仕える従者は、司祭達の身の回りの世話をすると言うよりも護衛としての側面を求められて雇われている者が多い。
サシャに関してもこの例に漏れず、四年ほど前に南方の支部から連れてきた彼女を、歳も近いからと言う理由で当時から既に神殿内で問題児だったリゼに宛がったのである。
司祭職でありながら、神殿に引き取られた幼少の頃から喧嘩っ早く体術ばかり上達していったリゼを、それを凌ぐ身体能力と毒舌で御するサシャを神殿内では密かに猛獣使い等と呼ぶものも居るほどであった。
「金に汚くても流石は神殿随一の霊力持ちですね。ただの短刀でもリゼ様の霊力が籠っていれば魔物にも易々刺さるので助かります」
「あなたも従者ならもう少し遠慮してものを言いなさいよね……」
「いえいえ、緊急時でも刃物を使わないと司祭の戒律を守ってらっしゃるリゼ様は実にご立派です。博徒相手に酔っぱらって大立ち回りをした挙句、全員叩きのめして方々の飲食店から出禁喰らった下町の喧嘩女王は伊達ではありませんね」
「……その口糸で縫い付けてやろうかしら」
この場の状況が一段落した所でリゼは周囲を見回す。
ほどなく物陰に隠れていた貧民街の四人の子供達を見つけ出した。
「アンタ達、怪我はしてない?」
「う、うん」
「ここから警備所までは大丈夫だから、警備所に行って中に入れて貰いなさい」
「でもねーちゃん、リンのやつが居ないんだ」
「リン?」
「おれの二つ下の女の子だよ。一緒に逃げてたけど、途中で……はぐれちゃって……探してた……けど、見つからなくて……」
一番年上と思われる少年が泣きそうになるのを必死にこらえながら事情を話す。
リゼはやがて少年の頭に手を乗せて言った。
「アンタ、名前は?」
「……マリク」
「よし。マリク、アンタはこの中じゃ一番兄ちゃんなんでしょ? ならこの子達を連れて警備所までちゃんと連れていくって約束しなさい。そしたら私達はリンて子を探して連れてくるって約束する」
「え……」
「するの? しないの?」
「す、するよ! 約束する!」
「……よし! なら行きなさい」
少年の瞳を覗き込み、怯えの色が薄まるのを感じたリゼは満足げに少年の肩を叩いた。
「サシャ」
「とりあえずもう一体、この通りの奥から気配を感じますね」
「よし、ちゃっちゃと片付けるわよ」
リゼは自分の頬を軽く叩いて気合いを入れなおすと、サシャとともに通りの奥へ走り出した。
「マリアベルさんは、リゼさん達の事をご存じなんですか?」
――星の海亭。
シェンはカウンターに頬杖をついたまま、マリアベルに尋ねた。
「あの小麦色のチビっこい子は初めて会ったけれど、リゼの方はまあ馴染み客だったからね。……まああの子が神殿の司祭だって知ったのは、しばらく前に泥酔したあの子が博徒共とここで大立ち回りしてぶっ壊したテーブルや椅子やらの弁償に神殿のお偉いさんが来たときだけれどさ」
「最近の司祭様は泥酔して大喧嘩するんですか、あはは」
呆れた様子でシェンは苦笑した。
やはり、今の聖竜神殿は堕落しているのだと感じた。
そんな時代にあっても敬虔で慈悲深く徳の高い、稀代の聖女と評されたフィーネと契約をし連れ添ったエイブラを羨ましいと思った。
「酒は飲むわ喧嘩はするわ、オマケに博打もやるときてる。あの子を連れ立って謝りに来た神殿の爺様はずっと胃のあたりを抑えてたよ」
マリアベルは喉の奥でクックと笑う。
「……やっぱり今の神殿は信頼に値しないようですね」
「けどまあ……あの子は稼いだ金も神殿からのお給金も、自分じゃ大して使ってないんだよ」
「……?」
「みんな番外地の親の居ないガキども食わせるために使っちまってんのさ」
「……へぇ。ではそれが彼女の司祭様としての顔、と言うわけですか」
「いや、あの子は教団の教義なんざ一銭の足しにもなりゃしないってここでよく愚痴ってたくらいだからね。そういうんじゃないよ」
「では、どうして?」
マリアベルは食器を拭いていた手を止めて、天井を見上げた。
「あの子は元々番外地の出でね、お祈りや讃美歌じゃ腹は膨れないってのをよく知ってんのさ」
「……」
「さっきあの子も言ってたけど、国は番外地の連中を正式な王都の民とは見なしてないからね。兵隊が出るまで時間がかかるだろうさ。だからリゼは自分で行くことにしたんだろ」
マリアベルの話を聞いてしばらく何事かを考えていたシェンは、やがてゆっくりと腰を上げた。
「マリアベルさん、僕ちょっと出かけてきますね」
「おや何だい、結局リゼ達の手伝いに行くのかい?」
「まさか。少し興味がわいたので見物に行くだけですよ」
竜遣いはじめました あきみずいつき @Akimizu-Itsuki
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