5-6 アリゾナに雨は降らない

 大勢の人が死に、大勢の人が傷ついた。

 生き残った人間のほとんどが何らかの傷を負っていた。

 身体か心か、あるいはその両方に。

 市長のジムも殺され、今はバージルが臨時の市長として生き残りの指揮を取っている。

 街は復興に向けて動き出している。

 とはいえ、街を捨てて出て行く方が賢明だろうとディエゴは思う。

 金銀が採れるわけでも観光資源があるわけでもない。南部の大地は小麦を耕すには向かない。また昔のように煙草や綿花を育てても、街を大きくことはできないだろう。

 ローンの街は、滅びるのだろうか。


「怪我の具合はどうだ、ディエゴ」

 街の郊外にあるバージルの自宅は、ほぼ無傷で残っている。

 バージルは家を開放し、診療所の代わりとして怪我人にベッドを貸している。

 ディエゴは黙って左手を上げた。手は震えていて、冷たかった。感覚はほとんどない。指を握っても開いても、他人の手を眺めているような気分になる。ベッドに座ったまま腕を上げるが、肩以上は上がらない。

「これが限界。あれだけ撃たれてもう動き回ってるバージルが異常だ」

「当たり所が良かったんだ。それにおれは、寝ていられる立場じゃないからな」

 戦いから数日で、もうバージルは街中の人間をまとめあげることを始めた。

 ローンを守った英雄のようにバージルは扱われている。

「お前は無理をするな。足の怪我も治ったら、力を借りたいことがたくさんある」

 ディエゴとは違い、バージルはまだこの街が再建すると信じている。

 恐らくは兄が正しいのだろうとディエゴは思う。兄弟で考えが異なった時、いつも正しいことを言うのはバージルだ。


「アニーはどうしてる? 酷い怪我だったけど」

「元気なものさ。歩けるようになったら見舞いに行くと良い。ベッドの上で誰彼構わず文句を言い続けてるよ。戦いの時に男たちが情けなかったとまだ叫んでいるが、お前なら歓迎されるだろう」

 バージルは笑った。

「なにしろ、あの大悪党ラファエル・バレンズエラを仕留めた男だからな。歓迎されるに決まってる。誇れよディエゴ、お前は誰にもできないことをした」

 出来の良い弟を賞賛するようにバージルは言う。

 ディエゴも苦笑した。

 感覚のない左手を、ベッド脇に置いたコートのポケットに突っ込んだ。何度か握っては抜き、ようやく一枚の紙片を掴んだ。


 ラファエル・バレンズエラの手配書。賞金二万ドル、生死問わず。文字は血と泥に塗れて読み辛くなっている。似顔絵は以前見た時と変わらず、ラファエルには似ても似つかない。

「二万ドルはもらえないんだよな」

「残念だが……ライリーが死んで、ラファエルの部下も生き残りは全員逃げた。あの男がラファエルだと知っているのはディエゴ、お前だけだ。残念だが、あの男がラファエルだと証明するには証人も証拠も足りない」

 正体不明の強盗団が小さな辺境の街を襲った。たくさんの人々が殺されたが、それすらもいずれは風化し、歴史の中にだけあの日の出来事が残るのだろう。

 あるいは本当に街が再建されれば、自衛を怠ることへの厳しい教訓になるかも知れない。

「いや……良いんだ」

 ディエゴは手配書を破り割いた。偽物のラファエル・バレンズエラが描かれた手配書を。

「もう終わったことだから」

 手配書を何枚にも破る。両手に酷い傷を負った今では、それだけのことが難しかった。


「一眠りしても良いかな。起きてるとどうしても傷が痛むんだ」

「そうだな。今はゆっくり休め。これから忙しくなる」

 バージルはテーブルの上にウィスキーの瓶を置いて出て行った。ディエゴは手を付ける気にもなれなかった。

 バージルが部屋を出て行くと、静けさが耳に痛かった。やがて隣室の怪我人が上げるいびきが聞こえて始めた。

 ディエゴはもう一眠りしようと決めた。

 これからやるべきことを、目を瞑って考えていた。 


 ――――――――


 ロジャーやライリーも含めて、殺された人々は共同墓地に埋められた。

 墓標も棺桶も間に合わず、ただ土の中に死体を埋めて、その上に木片や岩を並べて目印としているだけの墓場。損壊が激しく身元の分からない者もいた。

 勇敢な無名戦士。墓標にはそれだけが刻まれている。

(全部に片が付いたら……もう一度エマ、キミの墓に行くよ)


 ようやく傷の癒えたディエゴは、最後の戦場となった通りを歩いた。

 無残に焼け焦げた建物と、地面に残るいくつもの弾痕。血と硝煙の臭いは、いつの間にか消えていた。

 ここが最後の戦場になったのだ。生き残った人々が強盗団を追い立て、大勢が殺され、そしてラファエルはここから逃げ出そうとした。

 ロジャーがその後を追った。

 そして、撃たれた。


 ディエゴは血と灰の染み込んだ地面の上にしゃがみこんだ。

 焼けた砂に半ば埋もれていた空薬莢を拾い上げる。

(全部に片が付いたらか……我ながら、馬鹿なことを考えるもんだ)


 ――――――――


 両手足を撃ち抜かれたアニーは酷い重体だったが、命に別状はなかった。

 死んだように眠っていたが、翌日にはすっかり元気を取り戻していたらしい。

 ベッドの上で動けないことが不服なのか、見舞いに来る男たちがいれば何くれとなく文句を付けているとの話だった。


 ディエゴが病室に現れたのを見て、アニーの顔はパッと輝いた。

「ディエゴ! もう動けるのね。怪我の具合はどう?」

「まあ、まだ痛むがキミほどじゃないよ」

 ディエゴは左手を振ってみせた。手を握って開くだけの動作が、酷くぎこちない。

「もう拳銃は撃てないかもね」

 それほど深刻な問題とは思っていないようで、アニーは微笑んで見せた。

「……撃てたとしても、あと一発だ」

 問うような眼差しをアニーに向けられたが、ディエゴは気が付かないフリをした。


「キミを死なせずに済んで良かった。正直に言うけど、アニーが人質に取られた時は身体が震えたよ。ラファエルに勝てるとは思えなかったんだ」

「でも、ディエゴはわたしを守ってくれた。街の男たちも、まあようやくって感じで勇気を見せてくれたけど。アナタは最初から勇敢だった。自分に勇気があるとか戦えるとか、ディエゴは一言も言わなかったわ。それでもラファエルに立ち向かって、わたしを助けてくれた」

 運が良かっただけさ。言いかけてディエゴは笑った。

 運が良かった? 今までの人生において、そんな感じ方をしたことは一度もなかった。

 一族そろって疫病神に足首を掴まれているような家系だ。何をやっても裏目に出て、何もかもが上手くいかない。不幸が運命付けられたマディソンの男が、運の良さを感じるとは。


「ディエゴの言った通りだったわ。本物のラファエルは恐ろしい人だった。わたしの手足を打ち抜いた時、笑ってた。わたしが悲鳴を上げるのが嬉しくてたまらないみたいで、何度も傷口を殴られたもの」

 アニーが服の胸元をはだけて、左肩の傷を見せた。傷は酷く腫れ上がっていた。恐らく一生消えない傷が残るだろう。足じゃなくて幸いだ。下手をすれば二度と歩けなくなっていた。

「もう一度ラファエルと戦えと言われたら、多分おれにはもうできない。無我夢中だったんだ。おれがやらなきゃいけないと思ったから」

「それが勇敢ってことよ」

 アニーはディエゴをほめたたえる。

 彼女には、恐らく理解できないだろう。


 銃を撃てることと人を撃てることは違う。

 その違いは些細なものだ。つまり、覚悟があるかどうか。引き金を引くべき時を見極めること。

 あの時、アニーを助けるためには必殺の距離まで近付く必要があった。ディエゴにとっては5ヤードだ。だがラファエルは接近を許してくれない。だから撃たせて、油断させて、距離を縮めさせた。

(覚悟。覚悟か……でも、よくわからないな)

 ロジャーに答えを訊けたら良いのにと思った。彼は答えてくれるだろうか? もしも生きていたとしても、答えてはくれないだろう。きっとまた、人を馬鹿にしたように笑うだけだ。


「これからディエゴはどうするの? バージルは市長になるんだろうから、今度はアナタが保安官になったら? 市保安官に立候補したらバージルが反対する理由はないし」

「古傷で拳銃の握れない保安官なんて、役に立たないさ」

「あのラファエルを撃ち殺したガンマンだもの。誰だってディエゴ・マディソンの名前を聞けば震えあがるわ」

 ディエゴは苦笑した。

「名前なんて……意味ないさ。撃たれれば終わりだ」

 左手を開き、閉じる。感覚はまだ戻っていない。傷口はほとんど癒えているが、動きが鈍ったままなのは変わらない。

「これからのことは、まあ、少しくらいは考えてるよ」

 これから先。

 最後の決着。

 あと一度だけ、拳銃を使う必要がある。


 ――――――――


 バージルは墓地にいた。

 墓を囲む柵に腰を掛けて、バージルにしては珍しくぼんやりと、並ぶ墓を眺めている。

 墓地は静かなものだった。復興に向けて動く人々の喧騒もここまでは届かない。

 太陽が砂を焦がす音すら聞こえるのではないかと、ディエゴは思った。

「バージル。こんなところにいたんだな」

「ああ……ディエゴか。少し、ひとりになりたくてな。ここは静かで良い。何か用事か?」

「大したことじゃないんだが」

 ポケットから真鍮の空薬莢を取り出した。

 焦げて、血と泥に塗れてひしゃげている。


 ディエゴは何と言うべきか迷った。

 言うべき言葉は何度も頭の中で練習して来たつもりだった。

 だが、いざとなれば言うべきことが見つからなかった。頭の中で、ロジャーの語った覚悟という言葉ばかりが渦巻いている。

「どうしてロジャーを殺した」

 単刀直入にディエゴは言った。

 バージルは、表情を変えなかった。


「何を言ってるんだ。ロジャーを殺したのはラファエルだ」

「ラファエルにロジャーは殺せない。逃げたラファエルの後方からロジャーは追っていたんだ。ロジャーはウィンチェスターのショットガンを持っていた。ラファエルはシングルアクションアーミーを一丁だ。射程が違う。ラファエルに撃たれたなら、その前にロジャーが撃っている」

 空薬莢を投げて、掴む。太陽の光で金色の薬莢がきらりと光った。

「ディエゴ……友人を失って悲しいのはわかる。確かにロジャーの腕はおれも知っている。あいつに勝てるガンマンはアメリカ中探したっていない。だが、あの時ロジャーは怪我をしていたんだ。撃てなかったのかも知れない」

「違うね。撃てたはずだ。もしもラファエルに近付くことができれば」

「お前は混乱している。傷が癒えて、あの日のことを考えられるようになったからだ。冷静になれディエゴ」

 諭すようにバージルが言う。


「ロジャーが死んだのは大きな犠牲だったが、そのことでお前の心が潰れてはロジャーだって浮かばれないだろう」

 大きな犠牲? ディエゴは鼻で笑った。

「自分で殺しておいて、良く言うぜ」

「ディエゴ、いい加減にしろ」

 バージルの声に怒りが見えた。

「これ以上の侮辱はいくら弟のお前でも……」

「ロジャーは後ろから撃たれていたんだ」

 バージルの言葉を遮り、ディエゴは続けた。

「弾丸は背中から胸に抜けていた。仮にロジャーが拳銃だったとしても、ラファエルなんかと正面からやり合って負けるかよ」

「だとして、あの混戦の中で誰が撃ったかなどわからない。ライフルを持っていたのは一人や二人じゃない。馬鹿な妄想に囚われるのは止めろ」

「バージル、お前はどうしてラファエルの顔を知っていたんだ?」

 バージルの眉がぴくりと動いた。


「アニーも誰も、ラファエルの顔は知らなかった。手配書に本当の顔が出回っていないんだ。本物のラファエルを知っていたのはおれとライリーだけだった。街に現れた強盗団の一人を見て、あの男がラファエルじゃないとお前は知っていたな。最後の戦いの時だって、おれにラファエルを撃てと言ったのはお前だ。どこでラファエルに会ったんだ?」

 バージルの足元に、二冊の本を放り投げた。

 一冊は古びた手帳。もう一冊は、ラファエルがナイフを突き立てたジュール・ヴェルヌ。

「バージル、家の地下にあったよ。この手帳はなんだ? ずいぶんびっしりと、何かが書かれているな。計算式か図面かおれにはわからないが。アニーに聞いたんだ。エトガーが殺される直前、酒場でフランクと口論をしてたってな。何かを盗まれたってエトガーは憤慨してた」

「その手帳がエトガーのものだと?」

「さあな。アニーに確かめればわかるかも知れないが」

「……おれにロジャーを殺す理由がどこにある」

「それがわからないから聞いているんだ」

 ディエゴは空薬莢を投げては掴む。それを繰り返した。

 バージルは目を逸らさない。

 何を考えている? どうせ確証はない。誤魔化すか、ウソを押し通すか。他の人間であればそうするかも知れない。だがバージルは違う。

 ディエゴの知っているバージルは、誠実な男だ。

「……ロジャーは政府の密偵だ」

 やがて、ぽつりとバージルは呟いた。

「あの男は捜査局の人間で、おれたちを探っていた」

「おれたちとは?」

「おれとラファエルだ」

 手の中でもてあそんでいた空薬莢を落とした。

 乾いた砂の上に、空薬莢が転がる。


「ラファエル・バレンズエラはただの強盗なんかじゃない。あいつは元陸軍で何百人も殺したエリートだ。北部政府の、一部の人間は暴力をコントロールしたがっている。そのためにラファエルが選ばれた。南部の無法者をまとめ上げて、政府に従わない裏の勢力を統合する。そのための強盗団の首領、それがラファエルの表の顔だ。本当の顔は政府お抱えの暗殺者ってところか。ラファエルは時に派手に立ち回り無法者たちを魅了する。時には影に潜み政府にとって不都合な人間を暗殺する。あいつはこの国を盤石にするための、見えない暴力装置だ。なぜ奴の手配書が出回らないと思う? 何人もの偽物と偽の情報を政府が流していたからだ」

 バージルが話すのを、ディエゴは口も挟まずに聞いた。

「お前が街を出て行った後、おれは陸軍にスカウトされてしばらく仕事をしていた。その時に知り合ったツテでな。ラファエルに汚い仕事を回すのが、おれの役目だった。最初の数年はうまく行っていた……自分の行動が正しいと思っているわけじゃないが、秩序と法を維持するのに悪が必要になる時もある」

 バージルは遠くを見つめた。地平線が陽炎に揺れている。


「……この国に絶対の法と秩序を敷く。そうすれば弱者が喰い潰され、強者だけが生き残るような時代は終わる。おれはそう信じている」

「そのためにラファエルと手を組んだって言うのか? あの男は狂人だ。バージル、お前にだってわかっていたはずだ」

「確かにあいつは狂人だ。だが……ラファエルは社会的な弱者に手を差し伸べた。差別される混血児、無力な女たち、道を踏み外した犯罪者、そしておれたちのような移民の子に居場所をつくろうとしていた。やり方は相容れないものがあったが、理想は同じはずだった。ラファエルは、あいつなりの平和を求めていた」

「ふざけるなよバージル。おれはこの五年、ラファエルのやり方を間近で見て来た。あいつが求めているのは血と殺戮だ。相手が誰だろうと、思いつきで殺すような男だぞ。あいつに理想などあるもんか……ラファエルが求めたのは都合の良い奴隷だ。バージル、あんたなら止められたはずだ。もっと早くにラファエルの危険性に気付いていれば、誰も犠牲にならずに済んだ」

 そうすれば、エマも死なずに済んだ。

 兄を叱責しながら、ディエゴは悔しさに奥歯を噛み締める。

 同じだ。おれにだって止められるはずだった。

 そうすれば誰も犠牲にならずに済んだ。

 バージルもディエゴも、離れ離れになった月日に同じ理想を求めていた。

 バージルは法と秩序、ディエゴは力と拳銃。二人が求めたのは弱者が犠牲にならない世界。父やモーガン、ニュートンが生きていられたかも知れない世界。

 二人の歩んだ道は違うが、結末は同じ場所へたどり着いた。

 どちらの理想も無駄になり、大きな犠牲だけが残った。


「……言い訳をするつもりはない。ラファエルの暴走は止まらなくなった。あいつは結局、この国の支配を良しとせず政府の転覆まで考えていた。このノートは」

 バージルが、エトガーの手帳を拾い上げる。

「ラファエルがエトガーに支援して、開発していた兵器の構想だ。実用化にはまだまだ遠いが、あと十年、二十年を掛ければ現実になりかねない。街をまとめて焼き尽くす爆弾、住民だけを虐殺する毒ガス……悪魔の発明だよ。これをラファエルに渡すわけにいかなかった。だからエトガーのところから、おれが盗み出した」

「それじゃあフランクやエトガーが殺されたのも、とばっちりか」

 太陽はギラギラと輝き、地上を焼いている、

 汗が止まらなかった。それなのに頭の奥が冷たくなっていく。


「お前は自分の罪を隠すために大勢の人間を犠牲にして、ロジャーまで殺したのか」

「誰かがやらなければならない。権力を持った者が悪を望めば、誰がそれをコントロールする? 権力が肥大化すれば、必ず暴力も肥大化する。力は拮抗によってコントロールをしなければならない」

 バージルはそこで一度言葉を切り、頭痛を振り払うかのように首を横に振った。

「おれは間違っているかも知れない。だが誰かがやらなければ時代は変わらない。この国に盤石の法と秩序を敷くんだ。ディエゴ、おれに力を貸してくれ。おれたち兄弟で時代を変えるんだ」

「ラファエルの代わりに人殺しをしろとでも言うつもりか?」

「お前にそんな真似をさせるものか。権力を手にするんだ。ここまで来るのに汚い手も使わなければならなかったが、権力の構造に食い込み、弱者が苦しめられないような時代を作る。お前が必要だ。考えてくれ、ディエゴ」

「おれが考えているのは、バージル」

 ホルスターに手を伸ばした。

 左腰に落としたドラグーンに。

「ロジャーを殺したのはお前だってことだ」


 ディエゴの全身から殺気が滾る。

「ロジャーが本当は何者なのだったのかは、おれだって知らない。だけど……ロジャーはきっと、行方の知れなくなった娘を追っていただけだ。愛した娼婦の娘を、ラファエルに売られて行方の知れなくなったエマを。だからアイツはラファエルに固執していたんだ。あいつはお前のくだらない陰謀なんて関係ない。政府の密偵であれただの賞金稼ぎであれ、ロジャーはエマのために命を懸けて戦った。それを、おれは……おれはエマを殺し、お前はロジャーを殺した。バージル。清算しなくちゃならない。たとえその気がなかったとしても、悪は悪だ」

 バージルの表情が変わった。怒りか、悲しみか。ホルスターに向かって、ゆっくりと手を伸ばす。


「馬鹿な真似はやめろ、ディエゴ」

「馬鹿な真似? 何が馬鹿だって言うんだ。決着は拳銃でつける。それがたった一つ、荒野の法じゃあないのか」

 銃弾を一発だけ装填したドラグーン。

 父の形見の拳銃。無法と暴力に為す術なく、殺された父の。

「やめろ、ディエゴ! その拳銃を抜くつもりなら……」

「つもりなら、なんだ? 最後におれを殺すか。それで全員の口封じができるな」

「冷静になれディエゴ。おれの罪はいつか償う。だが、今はその時ではない。まだおれにはやるべきことがある。この街を建て直し、この国を変える。おれたちがやるんだ、ディエゴ。奪われる痛みを知るおれたちが」

「あれだけ大勢の犠牲を出して、まだわからないのか?」

 ディエゴは、バージルを睨みつけた。

 たった一人の、最後の家族。

 もはや言葉はいらなかった。

 距離は5ヤード。互いに必殺の距離。

 バージルなら外さないだろう。

 撃つべき時が来れば、引き金を引く。

 躊躇わない。それが覚悟だ。


 風が吹いた。

 アリゾナの熱風が、兄弟の間を駆け抜ける。

 墓場に砂塵が巻き上がる。

 奪われ続ける人生を変えたかった。力があれば、大切なものを守れると思った。

 なのに、すべて手のひらから零れ落ちて行く。


 銃声が響いた。


 左手で――拳銃を握ったままの左手で、胸に開いた銃痕に触れる。

 じわりと血が滲み、シャツが真っ赤に染まった。

 市保安官の立場を示す金の星章が、血に濡れている。

 バージルは拳銃を抜いた。だが、ディエゴの方が早かった。ドラグーンの銃口から飛び出した弾丸は、バージルの胸を貫いた。


「ディエゴ……おれは……」

 血の塊を吐き、バージルは何かを言おうとした。

 バージルの長身が、傾く。音も立てず、悲鳴も上げず、地面に倒れた。

 倒れたバージルの左手には、拳銃が握られている。

 撃鉄は起こされていなかった。

 撃つ気がなかったのか。それとも、撃てなかったのか。

 確かめる方法はない。

 バージルが死んだ今となっては。

「あれだけ人を死なせて、わからなかったのかよ」

 ディエゴが、拳銃を投げ捨てた。

 形見のコルト・ドラグーンが砂に落ちる。焼け焦げた空薬莢にぶつかり、真鍮の薬莢が転がっていく。

「何をやっても上手くいかないのさ。おれたちの家系は」


 乾いた大地に風が吹いた。

 砂が流れて舞っていく。

 空を見上げて、ディエゴは目を細めた。

 忌々しい太陽が空に輝いている。何年経とうと変わらない。灼熱の光で大地を焼く。忌々しいアリゾナの太陽。

 ステットソンをかぶり直した。

 泣きたいと思ったが、涙は少しも出なかった。乾いた頬を濡らす涙も、乾いた大地を濡らす雨も。

 アリゾナに雨は降らない。


【了】

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

アリゾナに雨は降らない 鋼野タケシ @haganenotakeshi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ