5-5 荒野に響く、復讐の銃声

(……このままラファエルを見逃してたまるか!)

 ディエゴは馬を探した。

 ラファエルを追わなければならない。

 強盗団の乗ってきた馬か、でなければまだ焼かれていない畜舎を探すか。


 視線を巡らせると、バージルが馬の手綱を掴み、暴れる馬を落ち着かせようとしている。

 自ら乗り込もうとするが、撃たれた両足が鐙まで持ち上がっていない。


「バージル、おれが追う。その馬を貸してくれ!」

「……やれるのか、ディエゴ」

「ラファエルはおれが討つ」

 ディエゴはそう言って、バージルから手綱を受け取った。


「弾は残っているか?」

「ドラグーンに、あと一発だけ。でも、素手で行くよりはマシだろ」

 バージルはもう拳銃もライフルも持っていなかった。弾薬を使い果たしたのだ。

 それでもラファエルを追うつもりだったのだろう。

 兄ならたとえナイフの一本でもラファエルを止めるだろうし、丸腰でも追うのを躊躇ったりしないはずだ。

 ディエゴは馬に飛び乗り、拍車を掛けた。


 焼け落ちたバリケードを馬で飛び越え、街の外へ飛び出していく。

 空へ登った太陽が眩しい。ディエゴは目を細めた。

 ラファエルの姿が見える。遠いが、追いつけない距離ではない。

 相手は手負いで、乗っているのは二人だ。

 街を飛び出してすぐ。500ヤードも離れてはいないだろう。

 そこに、男が倒れていた。


 遠目には誰なのか、わからなかった。

 近付いても……ディエゴには理解できなかった。

 ステットソン帽子が転がっている。はためくダスターコートが黒く変色していた。その男が撃たれて倒れるなど、想像できなかった。

「……ロジャー!」


 ディエゴは馬を止めた。

 ダスターコートも血塗れで、シャツの胸は真っ赤に染まっている。

 返事はなかった。ロジャーは開いたままの目を、太陽に向けている。

 頬に触れれば、まだ熱はあった。

 だが、すでにロジャーは事切れていた。


「ウソだ……ウソだろ、ロジャー」

 掛け値なしの、無敵のガンマン。誰だって彼を殺せない。誰も彼には敵わない。

 彼が死ぬはずがない。彼が撃たれるはずがない。彼が負けるはずがない。

 目の前の光景が信じられない。

 ロジャーは撃たれ、死んでいる。


 ドン、と背中を蹴られた気がした。背後には誰もいない。何の衝撃もない。気のせいだ。だが、それで我に返った。ラファエルが逃げて行く。

 逃がすわけにはいかない。


 ロジャーのステットソンを拾い、目深にかぶった。ショットガンを拾い上げる。銃弾は一発だけ残っている。

 荒野の先を見つめる。逃げて行くラファエルを見据える。


 全力で馬を走らせた。左手で手綱を握り、前傾の姿勢で、馬に何度も拍車をかける。全身の痛みも右手の傷も、今は気にならなかった。

「ラファエル!」

 叫ぶ。ロジャーのショットガンを撃った。

 ラファエルは振り返った瞬間に拳銃を撃つ。お互いの馬が転倒する。

 立ち上がったのもほぼ同時。ラファエルは血塗れの左手をアニーの首に回し、無理矢理に立たせている。弾の切れたショットガンを放り投げる。

「いつかの再現じゃないか。ええ? ディエゴ・マディソン」

 心の底から楽しそうに、ラファエルが言った。


 ラファエルも素手だった。右腰のホルスターに拳銃が一丁残っている。

「追って来たのが腕の立つ二人じゃなくてホッとしているよ。ディエゴ、お前が相手なら何度勝負したって結果は見えている。どうするディエゴ? まだやるか? 今度は人質の女の子は助けてくれない」

 アニーが苦しげに呻いた。右足だけではない。

 右手と左手も肘の辺りが血塗れになっていた。

 馬上で抵抗できないように、撃たれたのだろう。

 エマの姿が脳裏に浮かんだ。酷く痛めつけられて、死にかけていた彼女。。


「銃を捨てるんだ、ディエゴ。命乞いをすれば見逃してやる。わたしも部下を失い過ぎたからな。お前がどうしてもと頼めば、また仲間に迎えてやってもいい」

「黙れ。ラファエル、お前はおれが殺してやる」

「威勢の良い言葉だが、声が震えているぞ」 

 悪魔じみた、鋭い眼光。

 右手の痛みも、身体にしみついた恐怖も、消えない。

 銃を抜く早さも正確さもラファエルが上で、人質を取られている。

 万に一つも勝ち目はない。


 心臓が喉からせり出して来るようだった。恐怖に全身が締め上げられている。

 落ち着きなく、ディエゴは唇を舐めた、乾いた唇がひび割れて血の味がする。

 ディエゴは深く息を吐いた。

「試してみるか、ラファエル」

 ラファエルが眉根を寄せて、ディエゴを睨む。

「抜けよ」

 ディエゴは笑った。精一杯の、強がりの笑みを浮かべる。

「ラファエル……おれとお前、どっちが上か教えてやる」

 目の前に敵がいる。

 引き金を引く。それだけですべてが終わる

 迷う理由はない。

 ここで、決着をつける。


 ―――――――――


 鼓動の音が耳障りだ。左腕を汗が伝う。ホルスターまでの距離が遠い。左手を沿わせる。まだ拳銃に届かない。ラファエルの右肩が下がる。互いに睨み合う。ラファエルに拘束されているアニーはぐったりとして動かない。顔面が蒼白になっている。彼女の目には涙が浮かんでいた。エマの死に姿が頭をよぎるが、ディエゴは意識してその姿を無視した。今見るべきはラファエルだけだ。やるべきことは一つだ。ラファエルが動く――ディエゴが左手を下ろした。小指がコルト・ドラグーンのトリガーガードに触れる。半世紀前に父が手に入れ、兄の手に渡り、そうして今はディエゴの元にある。4ポンドに満たない拳銃が、重い。人差し指を引き金に、親指を撃鉄に這わせる。銃身をホルスターから抜くのと同時に、撃鉄を起こす。銃身を持ち上げ、銃口をラファエルに向ける。腰だめに構えたドラグーンがラファエルの心臓に向く。撃鉄は起きている。人差し指が引き金を絞り込んでいく。鼓動の音が耳障りだ。お前の息の根を止めてやる。不思議と――恐ろしくてたまらないのに、ディエゴの口元には笑みが浮かんでいた。殺してやる。銃を撃つことと人を撃つことは違う。だから何だって言うんだ? 拳銃は意思を持たない。勇気も怨念も殺意もいらない。引き金を引けば、弾丸は飛び出す。ただ飛び出し、そして殺す。ここで殺してやる。銃弾で身体中を引き裂いて地獄に送ってやる。ラファエルの握る拳銃も同じく、銃口がディエゴを向いている。お前に足りないものがわかるか、ディエゴ。覚悟だ。

 拳銃を抜く。撃鉄を起こす。

 引き金を引く。

 ただそれだけの一瞬が、無限の時にも思えた。


 銃声は、一発だけ聞こえた。


 ――――――――



 ディエゴは――コルト・ドラグーンが地面に落ちたのを見た。

 全身の力が抜ける。地面に膝を付いた。左手が痺れている。

 自分の手から落ちた拳銃が、地面に転がっている。

 左肩を撃ち抜かれた。

 激痛が駆け巡り、くぐもった悲鳴が漏れる。

 ラファエルが悪魔のように哄笑する。


「ディエゴ! 勝てるとでも思ったのか? ほんの少しでも、このわたしに敵うとでも? ずいぶんと威勢よく啖呵を切ったじゃないか。半端者の小僧が調子に乗って、わたしと対等になれたとでも思ったのか?」

 今度は右足を撃たれた。痛みを押し殺せず、呻き声が漏れる。

 立っていられず、片膝をついた。

 人質に取っていたアニーをラファエルが蹴り飛ばした。

 もう必要ないということだろう。左手を撃たれ、右足を撃たれた。ディエゴにもう、抵抗する力はない。


「良い勉強になったな。何があろうと勝つべき者というのがいる。腕が立つだけでなく幸運にも愛される、わたしのような男がな」

 ラファエルがナイフを抜くのが見えた。

 ディエゴの右手を貫いたナイフだ。

 見せ付けるように、ゆっくりと近付いて来る。

「残念だったな、ディエゴ。わたしの最後の慈悲を断るなんて……お前は二度も立ちはだかったからな。楽には殺してやらんぞ。一本ずつ指を落し、腕の先から少しずつ、少しずつ肉を削ぎ落してやる。悲鳴を上げて、命乞いをして見せろ……どの段階で死ぬだろうな。後悔しながら死んでいけ、間抜け」

 ラファエルは白刃を目の前に突き出してくる。

 両膝を付いたまま、ディエゴは笑い声を上げた。

 少なくとも自分ではそのつもりだった。痛みで顔が歪んでいなければ良いのにと思った。

 ラファエルが眉をしかめる。

「痛みで頭がおかしくなったか? ……何がそんなにおかしい!」

「この距離なら」

 ディエゴは痛みを押し殺し、笑った。

「外しようがないぜ、間抜け」

 銃声が響いた。


 ――――――――


 銃身を切り詰めたライリーのコルトを、ほとんど感覚のない右手で連射する。

 引き金を引いたまま、力の入らない左手で撃鉄を連打する。

 銃身を切り詰めれば狙いは定まらない。だが、銃口が触れるほどに密着すれば関係ない。

 回転弾倉に残った六発。

 すべてを、ラファエルに叩き込んだ。


「お前なら……」

 心臓が激しく脈を打っている。全身が震えていた。

「お前なら、一発でおれを殺しはしないだろうと思ったのさ。お前の腕ならおれを殺さずに止めるくらいはできるだろうからな……必ず、楽には殺さないと思った」

 呼吸をする度に撃たれた傷が痛む。

 だが、今はその痛みさえ快感だった。

 生きている。自分はまだ生きている。

「勝ったのは……おれだ」

 目を見開いたまま絶命したラファエルに、吐き捨てるように言った。


 立ち上がろうとしたが、全身に力が入らない。

 ディエゴは仰向けに倒れた。ロジャーのステットソンが頭から落ち、地面を転がる。

 荒い息を整えようと何度も深呼吸した。

 心臓の鼓動はいつまでも激しく、身体の震えは止まらない。

「ラファエルを、撃ったよ……エマ……ロジャー」

 首筋にアリゾナの太陽が突き刺さる。

 風が吹き、血の臭いを辺りに撒き散らした。

 ディエゴは、声を上げて泣いた。

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