貪欲に描写される少女の肢体は、作中の芸術家のみならず、読む者をも爛れた熱で巻く。官能の悦び、女に触れる感動…無論これは、芸術家からは、遠く隔てられた麻薬である。芸術家は美を求め、美は対象の観察のなかにしかないから。芸術家は客観のなかに閉じこもる。しかしこの作品では、芸術家は檻を破り、尚且つ、美を捨て去ることも、己の官能にのみ酔うこともしない。官能の果ての美を発見してみせる。つまりこの作品は、芸術を足蹴にしながら反芸術小説へは踏み外さず、むしろ芸術の秘奥へと潜り込もうとする試みである。芸術家小説は数あれど、このような作品は、稀である。
多分、絵に溺れたせいで狂ったとか、狂ったから絵に溺れたんじゃなくて、単に絵に溺れていただけなんですよね、この画家は。ナイフもまた、ペンや筆と同じ表現の道具のはずです。……これ以上書くとネタバレになりそうなので、このへんにしますが。この小説自体もまた、芸術に満ち溢れています。こういうの、好きです。
何かを書いたり作ったりする際に作品に投影する人も居ますが、中には投影し過ぎて自分を見失う人も居ますが、この作品に登場する彼もその一人だったのでしょうか。現実と非現実の境目、作中の老画家と彼のプロローグを書き上げた先生。この時点ではプロローグしか書き上げていませんでしたが、もしかしたら作品の最後も現実と同じ結末だったのかもしれませんね。区別が付かなくなる人間の恐怖、作品と現実が近過ぎるからこそ起こり得る錯覚は常に付き纏うものかもしれませんね。
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