第9話 時の縦横
●結
ゲルマニア人ほど占鳥と占鬮(せんきゅう)を尊ぶものはない。占鬮の習慣的な仕方は簡単である。果樹から切り取られた若枝を小片に切り、ある種の印(ルーネン文字)を付けて、これを無作意に、偶然に任せて、白い布の上にバラバラと撒き散らす。次いで、(中略)、神に祈り、天を仰いで、一つまた一つと取り上げること三度にして、取り上げられたものを、予めそこに付けられていた印に従って解釈するのである。
タキトゥス『ゲルマニア』より
帝政ローマ時代の歴史家プブリウス・コルネリウス・タキトゥスは、自らのことについてはほとんど記録を残していないので、著書から読み取れる以外の詳しい事績は分かっていない。
ゲルマニアの巫女ヴェレダについては、タキトゥスの著書『ゲルマニア』や『同時代史』の中で言及がある。
だが、ヴェレダ、というのは個人名ではなく、巫女のことを指す総称であるという説も存在する。
なので、紀元69年にキウィリウス将領の大勝を予言して神の如く崇められたヴェレダと、紀元77年にローマ帝国に捕縛されてローマの都に連れて行かれたとされるヴェレダが同一人物であるという確証は無い。リッペ川の畔にあったという巫女の塔も、いつまで存在していたかは不明だ。拿捕した三段櫂船も、いつまでそこに置いてあったのだろうか。
歴史家タキトゥスは、紀元78年にガリア総督アグリコラの一四歳になる娘と結婚したが、正妻以外に妾を囲っていたかどうかは不明だ。著書『ゲルマニア』などの中では、ローマの権力者たちが財力にものをいわせて妾を持つことを批判している。
なお、ゲルマニアからローマに移った後のヴェレダは、ローマの南近郊のアルデアで占い師として活躍して評判を得たともされているが、定かなところは分かっていない。
繁栄を極めたローマ帝国は、歴史の中でやがて東西に分裂し、衰亡していった。
歴史家タキトゥスも巫女ヴェレダも、紀元1世紀の人物であるが、二〇〇〇年の長い時を経ても、ローマ帝国とゲルマニアの歴史を彩った人物として語り継がれている。
(FINIS)
ルピア湖畔の巫女 ~ヴェレダの歌~ kanegon @1234aiueo
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