第8話 更に遠くへ
ヴェレダを先頭に、地下道を進む。しゃがんだ格好での窮屈な前進だが、ヴェレダにとっては日常的に幾度も使っている通路で慣れている様子だった。儀式の時に激しく踊っていたくらいなので、並み以上の体力はあるのだ。松明を持った上で慣れない低姿勢での前進をするプブリウスの方が遅れないように急がなければならないほどだ。
プブリウスの荒い息が、狭い通路に満ちる。その中に、違う気配が背後から混じりつつあるのを感じ始めた。
予言でなくともヴェレダの懸念が的中したようだ。背後から追っ手が迫ってきつつある。
「どういうことだ? 追われているぞ」
追いつかれる前に泉に出てしまえば、後は森に逃げ込むだけだ。だが、距離を詰められた状態で外に出たら、捕捉されてしまう危険性が高い。
「プブリウスの方が遅れがちですよ。そちらこそ急いでください」
ヴェレダは体の柔らかさを発揮し、往路でプブリウスが苦戦した難所、通路が狭い状態のまま上方で急角度に折れ曲がっている箇所をあっさりと通過した。
「ヴェレダ、先に行っていろ」
プブリウスは、手足を持たぬ蛇や芋虫の苦労を味わいながら、まさに這うようにして苦労して狭隘な屈曲箇所を抜けようとする。
「プブリウスはどうするのですか」
「このままじゃ追いつかれる。ここで相手を撃退する」
右手に持っていた松明を左手に持ち替えながら、プブリウスはしゃがんだ姿勢のまま後ろへ向き直った。右手には槍を掴んだ。来るときに、急角度の屈曲箇所を通すことができずにこの場に置いたままにしていた手槍、フラメアだ。
ヴェレダは指示通り先に行ってくれた。光源を持っていないのだが、暗闇の中でも問題なく進めるくらい、知悉した道であるようだ。
追っ手の気配は、今となっては完全に息づかいとして明確にプブリウスの耳に届いてきた。複数ではない。塔を厳重に警備していた巫女の親族たちにとっても、内側からの火災は不意打ちだったはずだ。その中でここまで追ってくることができたのは一人だけだったのだ。
「巫女様、そこにおられるのですか。塔の外壁を登って、屋上から部屋に入って迎えに来ました。突然の火災で驚いたでしょうが、秘密の通路があって良かった」
ゲルマニアの言葉だった。屈曲部分の先に明かりがあって、そこに人が居ることは、追っ手も分かっている。
「巫女様、どうしたのですか。返事をしてください」
追っ手の声色に警戒の気配が強まった。
「巫女様?」
無論、プブリウスは沈黙を保つ。追っ手も黙り込んだ。時間だけが僅かに流れた。
突如、屈曲部分に煌めきが発生した。「あっ」とプブリウスが思わず叫んでしまった時には、松明の光を反射した短剣がプブリウスの左足の爪先の少し前に落ちて跳ねた。追っ手は、屈曲部分から手だけを出して、目視せずに手首の力だけで短剣を投擲したのだ。だから、プブリウスには命中しなかった。
だがプブリウスには安堵している暇は無かった。咄嗟に声を発してしまったことで、こちらに居るのが巫女でないことも発覚してしまったし、おおよその位置も察知されたはずだ。
命中しなかった短剣から屈曲部に目を戻した時には、隻眼の男の顔と右手が出ていた。右手の第二の短剣が今にも放たれようとしていた。
「うおぉぉぉぉ」
プブリウスとてここで死にたくはない。ヴェレダを連れてナルボンヌスに帰るのだ。叫びながら、左手に持っていた松明を、追っ手の顔面に向かって投げつけた。同時に追っ手も短剣を放っていた。
揺らめく松明の火以外は視界を確保できない暗い地下通路で、隻眼の追っ手にとっては正確な距離感を把握でき損なったのだろう。短剣と松明が空中で衝突することとなった。思わぬ展開に驚く間もなく、プブリウスは右手に握った槍を突き出していた。
「ぐあっ、目潰しとは、卑怯な」
狙ったわけではなく偶然だったが、槍の穂先は隻眼の男の健在だった方の目に突き刺さっていた。追っ手は、左手に持っていた第三の短剣をその場に落とし、空いた両手で槍を抜こうと柄を掴んだ。
「今まで巫女を閉じこめていた罰だと思え」
拙いゲルマニアの言葉で言いながら、プブリウスは両手で槍の柄を握って力の限りに押し込んだ。
隻眼の男は人生最後の瞬間に両目を喪う形となった。負傷の痛みと不自由な体勢で反撃もままならず、フラメアを更に深く突き入れられて倒れた。
隻眼だった男以外には追っ手は来ていないようだし、仮に今から来たとしても、隻眼だった男の死体が邪魔になってここから先には容易には進めないだろう。
右手になま温かいものが触れた。追っ手の目に突き刺さった槍の柄を、血が流れ伝ってきたらしい。慌てて槍から手を離すが、右手にべっとりと付着してしまった。地下通路の壁面にこすりつけたが、きれいに取れるはずもなかった。
追っ手を撃退したのだから、すぐにヴェレダを追って合流しなければ。地面に落ちたけれども幸いまだ燃えている松明を拾う。槍は回収せずに死体に突き刺さったままだ。
プブリウスは復路を駆けた。といってもしゃがんだ状態で鴨の子どもが親鴨を一生懸命追っているような格好ではあるが。もう少し、あと少し、と心の中で自分に言い聞かせながら出口を目指す。そして。
「プブリウス」
ヴェレダの声が聞こえたと思ったら、洞窟の外に出ていた。満月から少し欠けた月を背にして、松明を持った美しき巫女がプブリウスを待っていた。
二人は見つめ合った。
「手のお怪我は大丈夫ですか?」
「あっ、これは返り血だから。それより、早くここを離れて森を抜けよう」
ナルボンヌスは遠く、ローマは更に遠かった。
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