藍上央理

 おばの家は明治時代に建てられた古い旅館である。それを今は住宅として使っているが、見るひとによってはアールデコ調の退廃的な洋館に見える。

 おばは庭が嫌いで決して一人で庭にいることはなかった。おばに血筋はいない。


 わたしはおばの父の血筋の人間で、あるときおばから手紙がきて、「遊びにおいで」とあったのだ。


 それから夏毎に洋館を訪れる。

 洋館は広くて1階の部屋には全部テラスがある。テラスに面して、おばの大嫌いな広い庭があるのだ。


 テラスから眺めると南向きの庭は田園的な明るい庭なのだが、北に面した庭。私に用意された部屋から見える庭は、しだれた枝に包まれ、まるではすの花が浮いていそうな感じの池にも見える。


 「透子さん、雨の日に庭をご覧になっちゃいけませんよ」


 おばは良くそういった。なぜなのかはわからない。私が訪問する日に雨が降ったことがないからだ。

 おばは綺麗なひとだが陰気な感じで、ひとを驚かしたい所があるのかもしれない。


 けれど、そんなことをわざわざ言うならば、南の自分が入っている部屋のひと部屋に遇してくれてもいいはずだとも思う。






 おばの家の近所は垣根の厚い高級住宅地にあたる。コンクリの代わりの濃い緑の垣根がみっしりと道沿いに続いているのだ。


 日暮らしが鳴く時間などになると、無人の静けさがあり、かなり無気味なのだ。あまり夜などに出歩きたくない近辺である。

 近くに神社がある。朝の涼しいうちに山間を上って行っても途中で日が高くなり額や首筋にじっとりと汗がにじんでくる。上り詰めると、紅い鳥居が見えてきてやっと安堵するのだ。


 鳥居は非常に小さく、私がだいぶんかがんでやっとくぐれるくらい。こんなに小さな鳥居を作ったのはどうしてだろうと思っても、神社に宮司さんはおらず、ここを3年は訪ねているのにいまだに謎である。


 おばに聞いたら、「土地のひとが」とだけ言う。

 とりあえず神様が小さいのだろうと思う。






 土地周辺を調べると不思議と池や沼がない。海は遠く、森や林ばかりである。

 畑も少なく、住宅が密生している。といって切り開いて立てたような感じではなく、山のふちに沿って家はねじれているし、山は削られた様子もない。樹木は太く、切られたような、または新しく植え付けられたようなものもない。

 おばの洋館にしてもそうで、特に選んで南と北の樹木の種類を分けたようではなかった。


 残念ながら樹木の特徴を述べることはできても名前まではわからなかった。ただ、枝垂れた枝ばかりの特徴的な木々が私の部屋のテラスを囲んでいる。

 南の木々に関しては花が途切れない。一年中何らかの花が白と赤と黄と賑やかに咲き誇っている。しかし、おばはそれらを鑑賞していることがない。


 また今年も咲いたと眉をひそめるのを何度も見かけたものだ。

 そんなおばが、今年は友達をお呼びなさいなと春休みに電話してきた。私も受験が終わり、ほっと一息ついていたところだったので、「春休みの終わりにたずねる」と約束した。おばにしては珍しい早めの催促だった。


 友人の一人を誘うといくいくと乗り気になった。しけたところだと告げておいたが、カメラが趣味の友人は一眼レフを持って、約束した時間に颯爽と現れたのだった。主管線路を外れ、ガタタンゴトトンとトンネルを抜けながら3時間ほどでおばのすむ町につく。とにかく、都心部から外れたなんだか時代の空気がずれた場所なのだった。


 友人は案の定はしゃぎまわり、明治時代風の洒落た鱗屋根の駅を一枚カメラに収めていた。

 前を歩く私の横で、しきりにパシャンパシャンとシャッターを切りつづける。

 その間中、やはり町にはひとの姿を見かけることはなかった。


 商店街もない、この町で一体どうやって需要と供給がうまくいっているのか、不思議でならないが、おばの作る料理は申し分なくおいしいものだったので、この疑問を解いたことがなかった。






 おばは門の前に立って待っていた。春の終わりだが、なぜだがじっとりとした空気。蒸し暑いというのだろうか・・・・・・


 宜しくお願いしますと友人は頭を下げ、私は軽くお辞儀した。


 友人と私は別個の部屋に通され、やはりあの北側の部屋なのであった。

 テラスから友人の声がかかり、出てみると、妙にうわっついた声で、「イギリスの詩に出てくる泉の風景みたい」と言うのだった。

 「なにか、不思議なものが出てきても何ら不思議もない」というようなこともいっていた。


 空を見上げると曇っている。雨が降るのかもしれない。






 夕飯を済ませ、友人が先に風呂に入った。

 部屋に戻ると分厚いカーテンが窓を覆っていた。庭がまったく見えない。いや、おばは見せたくないのかもしれない。何度かおばと接しているとおばのこういったなにも言わない行動に対するお願いというのをそこはかとなく感じることが出来る。


 「雨の日は特に嫌いだ」というおばの言葉は「雨の日の庭を見せたくない」という言葉に通じる。


 多分友人には通じない。彼女はカーテンを開き、雨の降り始めた庭を、恐らく見てしまうだろう。







 真夜中、シトシトと小雨が降り始めた。地面を跳ねる雨音がやけに大きい。

 耳をすませていると、女の子たちの楽しげな笑い声のような、あるいは幽かな衣擦れのような音が、庭から聞こえてくるのだった。


 夢なのかもしれない。私は夢うつつのなかで友人の声も聞いたような気がしたが、それは水の弾ける音にかき消され、私は深い眠りの底に沈んで行った。







 翌朝、友人の部屋のカーテンは開け放たれ、友人は靴も履かずに失踪したのだった。一眼レフは地面に落ちていた。沈み込むように半分地面にめり込んでいた。

 湿気た土はまるで底無し沼のように見えた。







 わたしは警察がうろつく庭に立つおばの顔を見た。どこかしら安堵した表情が浮かんでいる。







 雨の日の庭。

 それはこの町でわたしにとって一番不可解なものとなった。

 おばはそれ以来雨の日にわたしを招待しようとしない。わたしはある決心を持っておばの家を訪れることにした。







 梅雨を狙ったのは、いつ雨が降ってもおかしくないというわたし自身の思いこみからでもあった。


 しかし、案の定駅についてからシトシトきはじめ、傘を射して町を歩いておばの家に向かった。町の顔はどこかしら歪んだ感じがする。


 人気がない筈の路地に子供の影を見た気がする。笑い声、はしゃぐ声。またはシュルシュルといった衣擦れ。







 おばの家の門を開き、玄関の軒の下で傘をたたんだ。


 パチャパチャと音がする。


 その音のする方を見ると、庭に金魚がはねている。しかし、よくよく見なおすとそれは大輪に咲いたまま首からもげた花だった。

 






 おばは歓迎してくれなかった。かといって不機嫌でもない。


 おばの感情はいつもわからないものだった。


 部屋に通され、夕飯を食べ終えると、「カーテンは閉めておきなさいね」と言われた。穏やかな声だった。

 






 部屋に戻り、わたしは寝支度をすませ、布団に入った。


 やはり耳をすますと、声がする。


 わたしは意を決してカーテンの隙間から庭を覗いた。

 庭は睡蓮のような綺麗な色のものがポッカリとところどころ浮いていて、それに小さな手が生え、黒髪のかわいらしい少女の顔がついていた。なかには人魚のように腰から下をひれのようないろとりどりの絹を巻いた女たちがゆらゆらと庭を泳いでいるのだった。


 そうしていると、庭はまるで濁った池で小さなその女人や童女は水の精のようにも見えたのだった。

 けれど、わたしがそういうものに魅せられて納得してしまう前に、その女人のなかに友人の顔を見つけた。

 友人は艶とした表情で鮮やかな絹を揺らめかせ、枝垂れた枝につかまっている。


 それは恐ろしく美しく、この世のものではなかった。








 この庭、この土地はなぜだか女たちを引きこんでしまうのだ、と後日、おばが語った。


 それはおばを看取ったときであった。


 わたしはおばの跡を継ぎ、この洋館に住む。

 跡目を探し、または引きこむ娘を引き寄せて、この「土地のひと」を増やすのであった。

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藍上央理 @aiueourioxo

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