スイカの日

 重いものは持たない。絶対。

 ランドセルを背負うようになって、最初に一花が決意したことだった。


 生まれ育った家は、長い坂道の先にあった。急斜面。愛しい我が家に帰っているはずなのに、地獄に向かっているように気分にさせられる。ジェットコースターの看板に書かれる「心臓の悪い方はご注意」の文を、うちも書いておいた方がいいんじゃないかと思うほどだ。

 手ぶらであっても辛いのに、重い荷物を持って登るなんてそれはもう苦行の域に入っている。

  だから一花はなるべくこまめに物を持ち帰り、買い物も極力軽量化に努めた。


 ゆえに。

 スイカなどという重量級の果物が、購入リストに入ることは、未だかつてなかったのである。


「どうしよう……」


 帰り道にあるスーパーの店先で、一花はぽつりと呟いた。

 『スイカの日』という張り紙が、お買い得なお値段とともに道行く人々を引き寄せている。

普段なら素通りするところだが、「甘くておいしいよ!」という店員の言葉に、つい一花も足を止めてしまった。


 そういえば、蛍さんは果物が好きだと言っていた気がする。

 海外生活の長い葉介さんは、あんまりスイカを食べたことがないんじゃないか。

 最近多忙を極めている千晃さん、冬陽さん。スイカを食べたら、疲れは癒えないだろうか。


 ……いやでも待て、とお財布に伸ばしかけた手を引っ込める。

 大玉を持って、5分登っただけで汗だくになるあの坂道を?

 学校の鞄もあるのに? ローファーなのに?

 そっと目の前のスイカを持ってみた。重い。正確には分からないけれど、いつも購入する米5キロよりは確実に重い。まだ持って1分も経っていないのに、もう腕が痺れてきた。


「…………」


 * * *


「え!? 何これ、スイカ!?」

「そうそう、一花が買ってきてくれたんだよ」

「ありがとう、一花! 千晃、冬陽!」

「はいはい。お、これは立派なスイカだ。L? L2」

「ずいぶんと大きいのを買ってきてくれたね。重かっただろう?」

「棒みてぇに細っこいやつが、これ持ってあの坂を越えたか」

「すぐ食べたかったのかな? 一花ちゃん、食いしん坊だね~」


 からかう口調の大人をじろりと睨み、一花はスイカにかぶりついた。


「……しょうがないじゃないですか」


 持ち帰る苦労よりも先に、喜ぶ顔が浮かんでしまったのだから。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Home, Honey Home -Pieces Collection- 潮文音 @ushio_ayane

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ