ほむはに同人誌企画
デイリーライフⅠ
夏が嫌いになったのは、
うだるような暑さに、照りつける太陽。長期休暇を利用して、鎌倉にはどっと人が押し寄せる。人の波を目の前にすると、いつも以上に外出する気が失せた。
そして夏休みの宿題。一番嫌だったのは、終わりの見えない漢字ドリルでも壊滅的なセンスを露呈する羽目になる美術ポスターでもない。絵日記だった。
「日記に書けるようなこと、何もない」
母を早くに亡くし、父の顔は知らない。育ててくれたのは、多忙な祖父と病気がちな祖母。そんな二人に猛暑の中どこかに連れて行って欲しいと頼むことは、甘え下手な一花には難しかった。
そんな諸々の理由から、夏という季節はどうしても好きになれなかった。
……しかしそれも、去年までの話である。
「どう頑張って詰め込んでも、休みがおさえられない……!」
『この年の男にしては艶やかで綺麗』と自画自賛する髪をくしゃくしゃにかき上げながら、
「大変だねぇ。ムシャムシャ、あ、このお菓子おいし~」
「働け働け。そしてその金で俺にキャンピングカーを買え」
「人気なんかいつまで続くか分からないんだ。今のうちに稼いでおけ」
「皆冷たい! 友人を思いやる心はないのか!?」
「千晃もおせんべい食べる? ……あ、これが最後の一枚だった」
「ちゃんと応援してるだろ。なぁ、この車いいと思わねぇ? 収納多くて広々使えるぞ」
「千晃がいないなら旅券は四人分でいいな。確保しておくよ」
「うわーん!」
千晃の泣き声は、廊下まで聞こえてきた。また何の騒ぎだろうと、一花が居間にやってきた。
「どうしたんですか?」
「一花ちゃーん! 聞いてよ、酷いんだよー」
「いい年したオヤジが情けねぇ声出してんじゃねぇよ!」
冬陽の注意を無視して、千晃は一花の膝に抱きついた。一花はなすがままになって、涙ぐむ演技派俳優の隣に座る。
「ええ……もう、何で泣いてるんですか? また悪いことしたんですか?」
「してない。っていうかまたって何? 僕ほど善良な人間はいないのに」
「こないだ週刊誌に人気女優との密会写真が載ってましたよね」
「あ、あれは違うよ!? 二人きりに見えるように撮られているけど、他にもスタッフがいたから!」
「女の子に腕組まれてたよねー可愛い子だった」
「浮気者」
「最低だな」
「あーもう! 君たちは黙ってて! 余計ややこしくなる! あれは本当に違うからね、信じてね一花ちゃん。で、夏休みのことなんだけど」
千晃はやや強引に話を変える。
「一花ちゃんも学校が休みになることだし、この機会に旅行に行こうって話してたでしょ。なのに僕の方が全然休みとれなくてさ」
「お前がいなくても何の問題もない。安心して稼いでこい」
「ほら! ケイ君たちがこういうこと言うんだよ!」
夏休み。そういえば先日もどこに行くかで大人たちが揉めていた。その時は一花が仲裁に入って、『夏休みに限ることなく、行きたい場所に行く』ということになった。それでとりあえずは落ち着いたものの、目の前の夏休みの予定は何も決まっていなかった。
皆は一花が行きたい場所でいいと言う。
しかし彼女の一番の願いは、場所ではなく全員揃って行くこと。そして何より優先すべきなのは……。少し考え込んで、悲しげな表情を浮かべる。
「皆働いてるんですから、私が夏休みだからって無理に合わせてもらいたくないです。それよりも心配なのは、千晃さんの身体です。休みなしで大丈夫なんですか?」
「無理に仕事を詰め込んでいるのは千晃自身だろう。自業自得だ」
「僕の尊敬する大先輩が、どんな仕事も断らないんだよ。あの人みたいになりたくて……」
「千晃さんの尊敬する人……初耳です。どなたですか?」
「キティちゃん」
千晃は真顔で答える。
「身体は大丈夫だよ。こういうの慣れっこだし。それより、一花ちゃんと過ごせないことが辛いよ。海外旅行行きたかったなぁ。プライベートビーチでビキニ姿の一花ちゃんとココナッツジュースを飲みたかった」
「発想が古いぞ」
「私はビキニなんか着ません。……何でそんな変な目で見るんですか」
「一花の水着に関しては公平な審査で決めるとして、」
「審査って何ですか!?」
「夏休みの計画を立てるか。千晃抜きで」
蛍は腕を組み、満足げに頷く。一緒に暮らすようになって数ヶ月経つが、未だ衝突の多い二人。邪魔者を排除出来る喜びを、蛍は隠そうとしない。千晃は悔しさからハンカチをかみしめる。
「キー! 悔しいー!」
「悔しがり方も古典的だな」
「今度昭和を舞台にしたドラマやるから抜けなくって。……あーあ、残念だけどしょうがないね。楽しんで来てね、一花ちゃん」
「千晃さん……」
珍しくしおらしい千晃。人一倍イベントごとが大好きな彼なので、のけ者になることはよほど堪えるのだろう。何だか胸を打たれる。一花はきゅっと唇を結び、千晃を除く三人を見た。
「今年はどこかに行くっていうのはなしにしませんか?」
「えー!」
「一花、そんな気を遣わなくていいんだよ。残念だなんだと言ってるが、休みより仕事を選んだのはコイツなんだから」
「仕事を優先するのは当然のことです。それに私は頑張ってる千晃さんを見るのが好きだから」
「一花ちゃん……僕の天使……」
「まぁ確かに、千晃がカッコいいのって仕事してる時だけだもんね」
「ヨウ君、今そのコメントいらないよ?」
「俺は納得がいかない」
蛍は憤然として言う。
「多忙な人間にスケジュールを合わせていては、いつまで経っても一花に思い出を作ってあげられない。それじゃあまりにも可哀想だ」
「まぁよく家族物のドラマで言うよな。仕事と家庭、どっちが大事なんだって」
「仕事でいいんですよ」
「いやいや一花ちゃんだって大事だよ!? ただ今年はその……どういうわけか魅力的な仕事がどんどん舞い込んじゃって、嬉しくて引き受けてたら……こうなったというか。ていうかその……あの……」
「あぁ? 何ゴチャゴチャ言ってんだよ、聞こえねぇぞ」
「……何でもない!」
千晃は顔を背ける。
「とにかく、僕のことは放っておいていいから。四人でどこにでも――」
『へー! そうなんですかー!?』
と、その時だった。テレビから明るい女性の声が聞こえてきた。
「あ、千晃だ」
話題に飽きた葉介がザッピングしているところ、ちょうど千晃の主演映画の舞台挨拶の映像が流れてきた。舞台上に並ぶ出演者、その中央に千晃と監督らしい男が立っている。
「ちょ、ちょっと、ヨウ君、チャンネル変えて」
「何で? いつも自分が出てる番組は見ろって言うのに」
「いやでもそれ何も面白くないから……」
『ええ。主演の由良君が、ものすごく調子が良くてね』
画面の中で、監督が笑顔でインタビューに答える。
『別に普段が悪いってわけじゃないんだけどね。割と淡々とこなすタイプの俳優さんだから……けど今回はノリノリというか』
『か、監督……』
困惑する千晃。舞台の上でも、テレビの前でも同じ顔をしている。インタビュアーと監督はそんな彼を面白そうに見ながら、話を続ける。
『それはつまり、それだけ役が合っていたと?』
『そうなんですよ! 脚本もすごく良くて、僕はそれで――』
『いやープライベートで何か良いことがあったんじゃないかなー? 呑みに誘ってもすぐ帰っちゃうし』
『監督! 作品の話をしましょうか! 今作の見所は!?』
『最近彼、噂になってますよね? これは結婚秒読み――』
というところで、千晃はテレビを消した。
「あー見てたのに」
「……いや、もういいから……」
「千晃さん……」
一花は戸惑いながら、恐る恐る尋ねる。
「本当に週刊誌の女性と……?」
「ちがーう!! ないから! 僕いつもご飯食べずに真っ直ぐ帰ってくるでしょ!?」
「じゃあ調子がいい理由は?」
「うっ」
冬陽はニヤニヤと問う。この顔は、答えが分かっている顔だ。しかし一花は未だ不安げな表情のまま。
「……調子がいいのは、この家のおかげだよ」
彼女の疑念を解くには、もう観念するしかない。千晃はぽつぽつと語る。
「君はいるし、食事は美味いし、楽しい。僕はプライベートに左右される人間じゃないと思ってたんだけど、違ったみたいだ」
千晃の頬は赤い。普段演技で怒ったり泣いたりする彼だが、これが本心であることは明らかだった。
「そのおかげか声がかかることも増えて……あーもう無理、勘弁して」
「千晃、可愛い」
葉介の素直な言葉に、一花は興奮気味に頷く。
「皆の前でも正直になれるようになったんですね。すごく良いことです!」
「うんうん、とっても良いこと」
「あーあーそういうの止めてー」
千晃は両手で顔を覆った。一花や葉介にキラキラとした眼差しで見つめられると、何だかそれだけでいたたまれなくなる。そして悪友で旧友の冬陽が今何を思ってその様子を眺めているかは、顔を見ずとも分かった。きっと普段いがみ合っている蛍も同じ心持ちだろうと、千晃はこの話をしたことを深く後悔した。
「千晃さん……本当に一日もお休みはないんですか?」
「正確に言うと、何日かはオフなんだ。でもその日は台本を頭にたたき込まないとだから、遊んでる余裕はなくって……」
チャンネルをかえるように、千晃はぱっと明るい表情にに切り替える。
「ごめんね? 一花ちゃんに構ってもらいたくて大げさに言っちゃった! もう満足したから、次は一花ちゃんの水着について議論しよっか」
「無駄が多い」
「へ?」
いつの間にか千晃の手帳が蛍の手に渡っていた。眉間にしわを寄せ、スケジュールを眺めている。
「東京から鎌倉、往復で二時間。毎回帰宅するよりも向こうに泊まった方が楽だ。マンションは残してるんだろう?」
「う、うん」
「仕事に集中出来るのはどっちだ?」
「……そりゃまぁ、移動がない分東京のマンションの方がいいけど。でも一人は寂しいから、あっちには帰る気はないよ」
「甘えるな」
蛍は射貫くような視線を向ける。
「鎌倉に帰ってくるのはオフがある日のみ。あとは向こうで集中して台本を覚えろ。そして一日だけでもいいから休みを捻出しろ」
千晃はうろたえる。
「そうしたいの山々だけど、無理だよ……。今回めちゃくちゃセリフ多いから、かなり時間かけないと」
「ブドウ糖」
「へ?」
「DHA(ドコサヘキサエン酸)、EPA(エイコサペンタエン酸)、レシチン。脳に良いとされる栄養素だ。特別メニューを作ってやるから、それで乗り切れ」
「蛍さん……!」
「ほう。お前がそんなこと言うなんてなぁ。どういう風の吹き回しだ?」
冬陽はニヤニヤと蛍を見た。蛍は不快そうに答える。
「勘違いするな。これも一花のためだ」
「いやいやちょっと待って!」
千晃は慌てて止める。
「僕この家に帰っちゃダメなんでしょ? そしたらケイ君のご飯食べられないよ」
「俺も仕事で東京には週に二、三度行く。ついでにお前のマンションに料理を運んでおく」
「ええ!? 怖い怖い、そんなドでかい借り、ケイ君相手に作れないよ!」
「私もお手伝いします! 蛍さん一人に負担はかけません」
「ええ……」
一体どうやって断ればいいか。千晃は必死になって頭を巡らせる。
冬陽はぽん、と千晃の肩叩く。
「諦めろ。俺たちはもう、そういうものになったんだから」
冬陽の言葉に千晃ははっと気付かされ、それでもまだ悩み、最後には深く息を吐いて、頭を下げた。
「よろしくお願いします」
「わっ、千晃が頭下げた」
「強制じゃなく自主的にってのは、高校からの付き合いだが初めて見たな」
――カシャカシャ
「うるさーい! ケイ君写真撮らないで! 消して! ハル君も、ムービー撮ってるの分かってるからね!」
ドタバタと騒がしくなる。これが大人たちの照れ隠しということは、もう一花にも分かっている。
夏は苦手だった。日記に残せるような、何か特別なことをしなくてはいけないと思っていたから。
もちろんそういう日があっていい。見知らぬ土地に行ったり、初めての体験をするのも、とても大切なことだ。けれど、思い出を作り上げるのはそれだけではない。
ただ一緒にいるだけで、居間でのんびりしたり、テレビを見て笑い合ったり、悩みを打ち明けたり、喜びを共有したり。そんな日常に生まれる思い出も確かにあるのだ。
思えば昔にも、そういうものはあった。寂しさで疲弊した心は見逃してしまっていたけれど。祖父母、母。家族との思い出は、今も心に息づいている。
そして、それを思い出させてくれたのもまた、家族だった。
今日も橘家には、幸せの花が咲く。
END
※続きは2019年発行予定の同人誌にて
※こちらの公開は期間限定です
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