甘い嘘
4巻の内容を一部含んでいます。
* * * * * *
「葉介。前にサーカス団にいたって言ってたが、お前は何やってたんだ?」
「ルクスの時は空中パフォーマンスばっかり。でも他にも出来るよ。アクロバット、ナイフ投げ。ジャグリングが一番得意」
「ジャグリングって、あのお手玉みたいなやつか。ここにある物でも出来るのか?」
「簡単だよ」
葉介はワインボトルを3本持った。そして高く宙に投げ上げ、受け取る。それを器用に何度も繰り返していく。
「おお、すげぇな」
「さすが葉介さん!」
「ちょ、止めなさい! 1本いくらだと思ってんの!?」
緑が茂る庭。パステルカラーのパラソルに、5脚のガーデンチェア。テーブルにたくさんの料理が並んでいる。
「葉介君。これ、ヴァフのご飯。イヌが食べても大丈夫な材料で作ったよ」
「ありがとう! ヴァフ」
「ワン!」
葉介に呼ばれ、ヴァフが走ってやってきた。
「蛍がご飯作ってくれたよ。ちゃんとお礼言って」
ヴァフは蛍の側まで行くと、黒い尻尾を左右に振る。そして元気に「ワン!」と吠えた。蛍はしばらくヴァフを凝視して、「この家で一花の次に可愛い」と真顔で呟いた。
全員が席について、食事は始まった。
爽やかなレモンを添えたサーモンのマリネ。ジューシーな肉料理に、タマネギの甘みたっぷりのオニオンスープ。さらにワインに良く合うチーズもある。皿が乗りきれないだろうと、テーブルを2台用意したのは正解だった。
「蛍さん、すごく美味しいです」
「ほんと? 良かった。初めて作ったものが多くて、ちょっと心配だったんだ」
「料理人でもねぇのにここまで作れるってすげぇな」
「子供の頃からやってたんだよ。うちは母子家庭で、母は仕事で忙しかったから」
表情にこそ出さなかったが、内心、皆驚いた。
蛍が自分自身のことを語るなど、滅多になかったからだ。それは一花を除く、他の面々も同じだった。お互い探られたくない腹があって、下手に踏み込めば返り討ちに遭う。特に蛍は用心深く、壁を作っていた。最愛の一花に対してまでも。
そんな彼が自分から家族のことに触れた。それはとても大きな変化だった。
「そういやさっき兄弟の話になったんだが、葉介と蛍はいるのか? 兄弟」
「いないよ」
「俺もいないね」
「あ~だと思った。2人とも見るからに1人っ子っぽいもん」
「そういう言い方されると何か腹立たしいな」
千晃の物言いに、蛍は眉をひそめる。
「ケイ君、AB型でしょ?」
「……何で知ってるんだ。教えた覚えはないぞ」
「当たった? さすが僕!」
「じゃあ俺は? 俺の血液型も分かる?」
葉介は身を乗り出して尋ねる。千晃はベテランの占い師のように、彼の顔を凝視する。
「ヨウ君もAB……いや、O型か?」
「Oだよ! すごいね、何で分かったの?」
「
「蚊って血液型分かるんですか?」
「O型の人間によく寄ってくるとか言うから、分かるんじゃないかな?」
「人を虫扱いしないで! 一時期ね、血液型占いにハマってたんだよ。根拠なく人をカテゴライズするのが面白くてさ」
千晃の矛盾に満ちた言葉に、一花は首をかしげる。
「根拠がないって思ってるのに、当てられるんですね」
「カンだよカン。まぁ、ちょっとしたお遊びだよね。妄信的になっちゃうと危ないけど、こうやって話のタネにする程度なら楽しいもんでしょ。一花ちゃんはA型だったね」
「はい。千晃さんはB型ですよね。プロフィールに書いてありました」
「年齢と同じで偽ってるんじゃないか?」
「血液型でウソつくことないでしょ、ていうか年齢詐称してないから! で、ハル君がO型。この家は血液型全種類が揃ってるんだね」
そうしみじみに言うと、冬陽が口を挟んだ。
「俺、A型だぞ」
「え!? う、嘘だ……」
千晃はうろたえる。
「ずっとO型だと思ってた……O型じゃないの? 間違ってない?」
「自分の血液型間違えるかよ」
「……何か、今まで信じてきたものが全て壊されたような感じ」
「何でそうなる」
「妄信的になるのはダメなんじゃなかったのか?」
「千晃さんって意外と乙女ですよね。テレビの十二星座占いで5位までに自分の星座が出てこなかったら、チャンネル変えるし」
それから再び家族のこと、学生時代のこと。時には思いもよらない事実が飛び出し、話は大いに盛り上がった。
聞き手に徹しながら一花は思う。お互いの話で楽しめるというのは、仲良くなった証拠だと。きっと最初からこの話題を出しても、あまり話したがらなかったに違いない。
「まだまだ知らないことの方が多そうだな、俺たちは。よくこんな状態で一緒に暮らしてる」
「いいんじゃない? パーソナルデータ全部埋まってなくても、死にはしない」
「そうだよ。大事なことだけ知っておけば十分」
「大事なことって、たとえば何ですか?」
「そりゃあ、一花の誕生――っ」
――ドスッ
同時だった。蛍の拳が葉介の腹部を突き、冬陽が口を押さえる。千晃は両手で一花の耳をふさぐ。
「コイツ、普通に言いやがったな」
「ちゃんと段取り説明したはずだよね?」
「はぁ……」
「ご、ごめんなさい。つい」
耳をふさがれはしたが、バッチリと聞こえた。一花は葉介の言葉を
「私の、たんじょう……あ!」
「もうバレちゃったらしょうがないよ。ケイ君」
千晃が合図をすると、蛍は席を立った。
「一花ちゃんの誕生日、来週の平日でしょ? 僕ら仕事で帰るの遅いから、今日お祝いしたいと思って」
「俺と2人きりで祝うことになるのが嫌だったんだって。皆心狭いよね」
「うるせぇ。当然だろうが」
「一花、誕生日おめでとう」
蛍はワンホールのケーキを持って戻って来た。真っ白なクリームに、真っ赤に熟れた苺が乗っている。
「……そっか」
一花は小さく呟く。
妙だと思っていたのだ。いつも料理の手伝いをするのは一花の役目だったのに、なかなか台所に入れてもらえなくて、千晃と冬陽の手伝いをするように言われて。余ったイチゴを見つけたけれど、イチゴを使うような料理は見当たらない。色々と不思議に思っていた。しかし、これで合点がいく。
全ては自分を祝うためだったのだ。
嬉しくて目が潤む。今までどこに隠していたのか花束まで渡されて、頬に涙がつたうまでそう時間はかからなかった。
「ありがとうございます、まさかこんなふうに祝ってもらえるとは思ってなくて」
「えー、それはないでしょ」
そう茶化して言って、千晃は思い留まる。
「これから毎年、こうやってお祝いするんだよ」
優しく微笑むと、涙目の一花はこくんと頷いた。どうやらもう、声も出せないらしい。話が途切れないように、冬陽が続ける。
「どっか行ってもいいよなって話してたんだけどな。けど、お前にとってはこの家が一番だろ?」
「蛍の料理もあるしね」
「あれ? ケーキのローソクは?」
「買い忘れたんだ。ケーキの出番は夜だったから、隙を見て買いに行こうと思ってたんだけど」
「葉介がバラしちまったからなぁ」
「ほんとごめん……。俺、すぐに買ってくるよ!」
「いいですよ、このままで十分です」
立ち上がる葉介を、一花は慌てて止める。
「本当にありがとうございます。すごく、嬉しいです」
改めて感謝の言葉を口にする。すると4人も、同じ顔をして微笑んだ。
……いったいいつから、誕生日を祝う気でいたんだろう。ガーデンパーティーの準備中に思いついたのか。
最初からというのも考えられる。一花を驚かせるために、ワインをきっかけに自然にパーティーを計画したのかもしれない。彼らが巧みに、大胆な嘘をつく大人であることは、他の誰よりもよく知っていた。
嘘は悪いこと。それは間違いない。
けれどこの生活は、嘘から始まった。嘘が紡いだ物語。騙されたのに怒りが沸かないのは、彼らの気持ちに偽りはないと知っているから。
疑って、怯えて、彷徨って。悩み苦しむ夜を乗り越えて。
ようやく信じることが出来る。――この幸福はいつまでも続く、と。
* * * * * *
16話扉絵
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