第3話 夏の終わりに

 夏も終わりに近づいたある日、いつも通り桜木図書館を訪れた私は思いきって千秋に聞いた。

「ねえ、千秋はどうして学校に通わないの?」

 すると彼は少し考えてから、いつもより弱々しい笑顔で、

「言えない」

 そう一言だけ呟いた。誰にだって言えない秘密の一つや二つくらいある。でも、私はどうしても知りたかった。それが千秋を知る上で大事なことのような気がしたから。私はさらに聞く。

「お願い、教えて。もっと千秋のこと知りたいの」

「……だめだ、言えない」

 その時初めて見せた彼の曇った悲しい表情に、私は動揺した。千秋でもこんな顔すること、あるんだ。深く、暗く、底の見えない顔。本当に言えないことなんだ、聞かれたくないことなんだ。そんなことを聞いてしまった後悔と、二人の間に流れる気まずい空気に私は耐えられず、図書館から、千秋の前から走って逃げてしまった。千秋も私を慌てて呼び止めようとしたようだったが、私は構わずにその場から逃げ去った。

 次の日。

「昨日はあんなことになっちゃったし、今日は行くのやめようかなぁ」

 そう思ったりもしたが、こんなことではいつまでも解決しない。よし、と心に決めて、いつもよりも明るく振る舞うことにした。

「おはよう千秋! 今日はジュース買ってきたよー! ……って、あれ?」

 いつもの席に彼の姿はなく、どこを見渡しても見当たらない。それどころか、カウンターのおじいさんの姿もなかった。しかし、いつもの席には彼の代わりに原稿用紙の束が置かれていた。手にとって見ると、それは千秋の書いている小説だった。

 いつも千秋は頑なに見せてくれないので見ることに少し抵抗もあったが、今は誰もいないし、何よりも千秋の隠していることがどうしても気になった。思い切ってその小説を読んでみると、いつも千秋が話しているように学校や友達に憧れる主人公の様子が描かれていた。千秋、もしかしたら物語の主人公に自分を重ねているのかも。微笑ましい気持ちで読み進めていると、物語は回想シーンに入り急展開を見せる。幼い頃の主人公、彼は普通に学校に通い、普通に友達と楽しく遊んでいた。しかし、一人の友達が驚いて叫び声を上げる。

「こいつ、きつねみたいな尻尾があるぞ!」

 すると友達が集まってきて、彼を囲む。

「うわっ本当だ、なんだこれ!」

「化け物だー! みんな逃げろー!」

 そう言ってみんな彼の元から逃げて行った。彼が化け物だという噂はすぐに広まった。いじめも始まり、彼は学校に行けなくなった。

 落ち込む彼を慰める家族に向かって、彼は言った。

「みんなは悪くないよ、仕方ないことなんだ。だって僕は、化け狐なんだから」

 千秋の小説はそこで終わっていた。悲しいバッドエンド、もしこれが実話ならどれだけ……あれ? そういえばさっき千秋が自分に重ねているみたいって……。

 私の中に嫌な予感が走った。今すぐ会わなければ一生会えなくなる気がした。千秋に会いたい、会わなければいけない。私は図書館を飛び出し、無我夢中で町を探し回った。

「どこ……どこに行っちゃったの、千秋!」

 必死に探したけど、千秋の姿は見つからなかった。背中に差し込む夕日が、私の心を一層切なくさせる。もう千秋に会えないんだと思うと涙が止まらなかった。

「こんな別れ方やだよ……」

「ずっと、探してくれたんだね」

「え……?」

 聞き慣れた声に顔を上げると、そこには千秋がいつもの表情で立っていた。

「千秋! もう、どこ行ってたの!」

「ごめん、心配かけて。でも、あの小説を読んだんだよね」

「うん……勝手に読んじゃってごめんね」

「いや、いずれは読んでもらうつもりだった。もう分かってると思うけど、あれは僕の実体験、主人公は僕なんだ。けど、僕の正体を知ってしまったら、キミは僕を避けるんじゃないかって思って言えなかった。キミを失うのが、怖かった。でも違った。キミはいなくなった僕を探してくれた。本当に……本当にありがとう」

「千秋が例え人間じゃなくても、私、千秋のことが大好きだよ。だから、これからもずっと……」

「ごめん、もうキミには会えないかもしれない」

「え……どうして……?」

「あの図書館はもう使われていないから、壊されることになったんだ、だからもうあそこにはいられない」

「じゃあ、移る所を教えてくれれば……」

「それも、できないんだ。そういうきまりなんだ」

「なんで……もうお別れなんて寂しいよ!」

 自分でもわがままだって分かってる。でも、千秋と、もっと一緒にいたかった、もっと話していたかった。その気持ちを抑えることなんてできなかった。千秋は、そんな自分のわがままを受け止めるようにゆっくり頷いてから、ゆっくり口を開いた。

「名前……キミの名前をまだ聞いてなかったね。キミの名前を教えてくれないか」

「夏美……星野夏美、それが私の名前だよ」

「夏美、キミの真夏の太陽みたいな笑顔が大好きだった。夏美に出会えて本当によかった。夏美と過ごした一ヶ月は、本当に僕にとってはかけがえのないものだ。僕らはもう二度と会えないかもしれない、でも、心の中には夏美の笑顔がずっと輝いてる。忘れることなんて絶対ない。夏美も同じ気持ちがあるのなら、大丈夫。そう思えるんだ。だから、最後にもう一度、夏美の笑顔が見たい」

 私は、千秋の言葉に勇気をもらった。絶対忘れることはない、この気持ちは変わらない。離れていても、ずっと心は近くにいる。そう思えた。だから、私は、満面の笑みで叫んだ。

「千秋!千秋のことが大好き!ずっと、ずっと一緒だよ!」

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ずっと、キミと。 夜野さくら @yozakura53

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