あとがき

まずは皆様に御礼を。

多くの素晴らしい小説の中からこのエッセイを見つけてくださり、また最後までお付き合いくださり誠にありがとうございます。


泣きながらキーボードを打ち続けた話もありますし、思い出すことが苦痛でもう書くの止めようかなとも考えたりもしましたが、皆様からのフォローや感想、レビューやメッセージなど様々な形で応援をいただき、最後まで書き続けることが出来ました。

もちろん、直接的なアクションがなくてもプレビュー数は見れますので、読んでくださる皆様も勇気の灯火の一つです。


このエッセイを書いた切っ掛けは、説明文にもある『なかったことにしたくない』という感情です。

その『なかったことにしたくない』と感じた理由は2つあります。


1つ目は、刑務所から出所した父からの言葉を聞いた時です。

あの留守番電話の内容を聞いた時、


『私が今でも引き摺っているあの日々は、父にとって終わってしまった過去の出来事なんだなぁ……』


と感じました。

要は『なかったことにされた』気分になったのです。

悩んで、悲しんで、辛くて、惨めで、悔しいあの日々は今も私の胸の中に燻っているのに、父にとっては瑣末な出来事だったのかと思うと声を上げて否定したくなりました。

それが1つ目の理由です。


2つ目は、今後の私の記憶です。

エッセイの冒頭にもありますように、私の記憶はバラバラのパズルピースのようなものです。

極彩色で鮮明に覚えている辛い記憶や悲しい記憶もあれば、殆ど絵柄が見えない擦り切れたセピア色のピースもあります。

もう少し明確に書くなら、虐待を受けた日々は鮮明に覚えているものが多いのですが、友人達と一緒に楽しんだはずの学校生活などについては覚えていないものが多いです。

例えば、体育祭に参加した記憶はあるのに自分が誰と何をしたかを覚えていないとか、いじめを受けた内容やその時感じた思いは覚えているのに誰がいじめていたかは覚えていなかったり、学生時代の先生やクラスメイトの殆どは顔も名前も覚えていなかったりします。


記憶を形取るパズルのピースがいつ色褪せるか、私自身にも分からないのです。

『なかったことにしたくない』と感じた私自身が、いつ『なかったことにする』のか分からず不安になった、というのが2つ目の理由です。


では、その『なかったことにしたくない』という気持ちをどうするのかと考えた時、書くという手段を思いつきました。

学生時代は折を見て小説を書いていたので、書く手段は身近なものでした。

書くことで色褪せ始めた記憶をもう一度振り返り、インターネットという広くて深い電子世界に綴り、こんな事が現実にあったのだと残しておこうと思ったのです。


エッセイを書こうと思いついた時、私の胸中に欲が芽吹きました。

このエッセイを読んでくれる人に何か小さな変化が起きて欲しいというものです。


私の身に降り掛かったこの一連の出来事は、私が特別な存在だったわけでもなく、私が望んで引き起こしたものでもなく、ただの不運でしかないと思います。

歩いていたら路傍の石に躓いたり、買おうと思っていた物が売り切れだったり、そんな不運の一つではないかと。

ただ、私に降り掛かった不運がちょっと珍しかっただけなのだと思うのです。


だからこそ、この不運は誰にでも起きる可能性があるものです。

これを読んでくれる皆様も、男女年齢問わずに、被害者になるかもしれないし加害者になるかもしれません。

もしくは、皆様の身に降り掛かってないだけで、家族や親戚、友人や知り合いが被害者か加害者になるかもしれません。

もしくは、もう不運に見舞われて苦しんでいる人もいるでしょうし、不運が過ぎ去っても心に傷を追っている人がいるかもしれません。


沢山の「かもしれない」が想像できるからこそ、このエッセイを読んでくれる人に何か小さな変化が起きて欲しいと欲が出ました。


不運に見舞われずに生きている人は、身の回りの人たちを気遣うきっかけになってほしい。

現在苦しんでいる人がいたら、その苦しみから抜け出す参考になってほしい。

過去を悔やんでいる人がいたら、ネット上とは言え同じ仲間がいることに気付いてほしい。


書いている私の身勝手な欲ではありますが、不運に巻き込まれた者としてそう願わずにはいられないのです。


だから、このエッセイを読んでくださった皆様に何か小さな変化が起きたなら、私がこのエッセイを書いた甲斐があります。


優しい皆様からよく聞かれる近況ですが、私は時間はかかりましたが人並みの幸せを手に入れました。

ここに書いた内容ほど詳しくは話していませんが、性的虐待を受けたと知っても私を認めてくれる優しい主人と、何も知らなくても支えてくれた頼もしい友人達がいます。


母は私の姉達の一人と暮らしており、仕事をバリバリこなしながら、友人と演劇を見に行ったり旅行に行ったりして楽しんでいるようです。

最近は孫と一緒にショッピングに行ったりしています。


最後になりますが、皆様に改めてお礼を申し上げたいと思います。


このエッセイを見つけ、読んでくださった皆様に心より感謝を。

液晶ディスプレイの向こうにいる皆様の幸せを、平和な日常を、平穏な生活を願っております。

ここまでお付き合いくださいまして、本当にありがとうございました。

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性的虐待を受けて育った私の話 Miyu @Kazaki_Miyu

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