第2話
しばらくする内に、今上が絵を好まれることがわかった。晶子も絵が好きだ。
母は文人趣味というか、詩歌や史書を好んだけれど、晶子は絵巻を眺めている方が楽しい。自分で絵を書くのも好きで、よく草花などを描く。
それで二人で絵を描いたり、眺めたりするようになった。晶子にしてみれば、背の君との間に見つけたささやかな共通の趣味だったが、後宮と言う場所ではそれでは済まなかった。
次々と櫃が運び込まれて来る。
開けて見れば中身は全て絵巻だった。
物語絵、名所の景色、旅行記、ちょっと滑稽な動物の絵や葦手描。
「お気に召しましたか。」
源氏の声に女房たちが立ち上がり、晶子の周りに手早く几帳をめぐらせた。
連れてきている女房たちのうち半数は、母の存命の頃から仕えてくれているものだ。彼女たちは母の遺言の事も知っていて、晶子のそばに光が近づき過ぎないように気を配ってくれている。女房たちの中には光が送り込んできた者もいるが、晶子は決して光に好きなように女房たちを入れ替えさせたりはしなかった。
晶子は内親王だ。
自身の御封も母の遺産もある。
全てを源氏頼みにしなくてはならないわけではない。
「今上の御為に弘徽殿方でも絵を集めているとか聞き及びました。大人気ないような話ですが、負けたと言われるのも癪なもの。こちらにも用意いたしましたので、主上とごらんください。」
その源氏の言葉に、それで、と合点がいった。このところ今上は何か言いたそうにそわそわしている事が多かったのだが、それは弘徽殿で見た絵の話をしたかったからなのだろう。今度おいでになったら、こちらから尋ねて見ようと晶子は思った。
とりあえず、源氏には丁寧に礼を述べておく。晶子自身、数多の絵巻の差し入れは嬉しい。
差し入れられた絵の中には、源氏自身の手になるものもあった。好きにはなれない源氏だが、絵の腕前はすばらしかった。
草花の姿を丁寧に写したもの。
祭りの情景を描いたもの。
歌に絵をつけたもの。
どれも素晴らしい出来ばえだ。
あのどこか冷たい、思い上がった男の中にこれだけの絵心が隠されているのだということが、晶子には不思議でならない。
「さすがは源氏の君。素晴らしい絵だ。」
今上にお見せすると、そう言って静かに絵に見入っておられた。その絵の中に何かを探しているのではないかとさえ思えるほどだ。
「弘徽殿の方のところでも沢山絵を集めておられると聞きました。やはり素晴らしいものですの?」
そう尋ねると、やっと絵から目を離した。
「今風の面白い絵が多いですよ。あなたにもお見せしたいのだけど、そういうわけにもいかないらしくて。」
ちょっと残念そうに仰る。
「残念ですけれど、その分お話をお聞かせくださいませ。」
話ははずみ、その夜はその流れで晶子が召された。
御帳台の内でも絵の話は続く。
話しているうちに今上はふと黙り込まれ、気がつくと眠っておいでなのだった。
弘徽殿の女御は今上と同じ年頃であるはずだ。入内も先であるし、いずれ弘徽殿の女御が皇子を上げて立后する可能性が高いのではないかと晶子は思う。
今上は、こうして打ち解けて晶子と絵の話をするように、歳の近い弘徽殿の女御とはまた違う打ち解け方をしておられるはずで、いずれはそのまま流れで結ばれることになられるのだろう。晶子自身は今上が大人になられるまでの遊び相手、相談相手と自身の事を割り切っていた。
恋をするには余りにも、歳が離れていすぎると思う。人はたぶん、あてがわれたかなり年上の女に、都合よく恋をしたりはしない筈だ。
一緒に絵を書いたり、絵について話したり。そんな同好の士としての今上とにつながりに満足して、晶子の後宮での日々は過ぎていった。
弘徽殿の女御との間にはこれという程の交流も軋轢もない。同じ女御とは言っても、立ち位置も年齢も違いすぎる。
だから後宮そのものは静かなものだ。
寵愛争いといったところで、まだ今上にいりようなのは遊び相手、話し相手なのだからそれほど激しい争いなど起きようもない。
むしろ争いは後宮の外から始まった。
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