第6話

 後宮へ戻れば帝と絵について話り、時に帝の相談にのる日常が待っている。久しぶりにお会いする帝は、いっそう静かな落ち着きを身につけられたようだった。御目の影も深くなったように思われる。母宮を喪われたことが帝のお心持ちにさらなる影を落としているのだろう。

 いつの間にか少しづつ夜のお召が減っていることに、晶子は気づいた。

 どうやら弘徽殿の女御が多く召されているらしい。帝はやはり弘徽殿の女御とまず結ばれたらしいと、晶子は微笑ましい気持ちになった。寂しい気持ちもないわけではないけれど、いずれこうなるのはわかっていたことだ。耐えられないというほどではないとも思う。

 やがて立后が人の口に上るようになった。

 まだ女御の誰にも懐妊の兆しはないが、廟堂の首座が源氏の君、関白は譲られて内大臣という布陣も定まり、後宮の序列も定めようという動きになったらしい。

 晶子はその騒動をすっかりよそごとに思っていた。

 実質的に妻となっている女御が他にいる中で、自分の立后はありえない。もともと立后の野心など抱いたこともない晶子なのだ。

 今上の女御は三人。

 まずは内大臣の息女である弘徽殿の女御。

 式部卿宮の息女である王女御。

 そして源氏の養女である晶子。

 中で王の女御は後ろ盾に弱く、寵愛も軽んじられる程ではないという程度で、まず立后の可能性はないと見られている。

 晶子も立后は弘徽殿の女御であろうと思っていた。

 なんと言っても正后は、帝の真の妻であるべきだ。相談や遊びの相手が后と呼ばれるのはおこがましい。

 しかし、実際に立后の内意を受けたのは、晶子だった。


 立后のための里下がりの前夜、晶子は夜の御殿に召された。

 御帳台の暗がりでお見上げした帝は、どこか思いつめたような御目をしておられた。

 「貴方は私を見ていて下さる方です。どうぞ私にできるだけ近い高さにいて下さい。」

 それが晶子の立后の理由らしい。

 ただ、思いつめたような御目の色は、それだけでは説明がつかない。

 「あの。」

 晶子は踏み込んだ。

 「何かございましたか。何を考えておいでですの。」

 ふと、帝の輪郭が崩れた。

 張りつめていた何かが揺らぐ。

 そうだ、帝は張りつめておいでだった。このところずっと。

 どうして今まで気付かなかったのだろう。

 不意に抱きしめられた。

 大きい。

 晶子はひどくうろたえた。

 晶子を腕の中に閉じ込めてしまえる程に、いつの間に帝は御身大きくなられたのだろう。

 「私の即位は間違っていた。私は薄々感じながら、今まで見て見ぬふりをしてしまった。でも今更、どうすれば。」

 絞りだすような、すがりつくような声。

 ああ、確証を得てしまわれたのだ。

 源氏の君が帝の兄でなく、父なのだという確証を。

 晶子が気づいたということは、帝も察しておられたのだろう。それでも疑惑と確証は同じではない。

 「大丈夫です。大丈夫ですわ。」

 そっと腕を伸ばし、帝を抱きしめ返す。想像していたよりもずっと硬い手応えがかえる。

 「帝なら大丈夫です。帝は必ず全てをあるべき場所へとおさめることがお出来になります。」

 帝の神の代わりに、帝が求める言葉を。

 帝の御身が重い。支えきれず、晶子の身体が傾ぐ。思いのほか柔らかく背が褥に触れた。抱きしめられる力はいっそう強く身動きが出来ない。

 ああそうか。

 晶子は気づく。

 帝は殿方で、私は女だ。

 晶子は求められるままに、帝を受け入れた。


 男と女という仕組みは、なんて面倒なのだろう。

 心には身体が付随し、身体には心が添う。

 心を求めれば身体も欲しくなり、身体を重ねれば心もいっそう欲張る。

 「すみません。私は大変な事をしてしまった。」

 謝られて、晶子は自分が帝にとって今も「斎宮」なのだと気付いた。

 神に仕え、いつく、まさに斎宮いつきみや

 「帝は天孫の裔、なんの不都合がございましょう。私はただお仕えするのみでございます。」

 晶子の返した答えは正しかったのだろうか。けれど帝が微笑まれたのだからそれでいい。その時はそう思った。

 男と女であるという事は、なんと面倒な事である事か。

 晶子が女であったから、帝は晶子の肌を求めたのだし、女であったが故に晶子は帝を受け入れた。

 その、ただ一度の記憶が、どれほど自分を苦しめる事になるかを、晶子はわかっていなかった。



 

 

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