第4話

 左方は梅壺。

 右方は弘徽殿。

 清涼殿の、女房の控え座敷に仮の玉座を据え、女房だけでなく殿上人も、それぞれに左右に分かれての絵合わせが行われた。

 それぞれに趣向を凝らした道具に、揃いの衣装をつけた侍童。それ自体が雅やかな絵であるかのような美しい眺めだ。

 選者は帥宮が、あくまで臨時にお受けになったという形で務められる。

 左方の念者は源氏の君。

 右方の念者は権中納言。

 広げられる絵はどれも、技術はもちろん工夫もあり、誰でも見れば心ときめくような、美しい物ばかりだ。

 当然、接戦になった。

 中々どちらが勝つということもなく勝負は進み、最後の絵が出された。

 左方、源氏の手による須磨の巻。

 漂泊の源氏の手による須磨の景色は、物憂くも美しい。

 それで、勝負があった。

 右方は最後の絵を出さなかった。

 どうすれば勝てるというのだろう。源氏が須磨に隠棲する羽目になったのは間違いであったと決まったのだ。ならばその悲劇に心動かされないのはありえない。

 晶子は絵合わせには実はそれほど興味がなかった。美しい絵はただ愉しめばいい。優劣をつける意味がわからない。

 しかもその評判の須磨の巻を、晶子は結局見なかった。源氏がその一巻を女院に献じてしまったからだ。

 それでもたいして気にしてはいなかったが、主上がないと聞いてがっかりなさった時は、心が痛んだ。

 「そんなに素晴らしい絵でしたの? ぜひお話をお聞かせ下さいませ。」

 話を向けると考えながら話し始める。

 その様子が本当に熱心で、なんだか微笑ましいほどだ。

 「主上は源氏の大臣の事が本当にお好きですのね。」

 晶子にはいけ好かない源氏だが、主上のお気持ちも分からないではない。

 書にも絵にも堪能で、楽器にも通じ、舞であれ蹴鞠であれ、人に劣るという事がない。

 天孫の光の事をおいても、実に魅力的な男なのだ。

 「源氏の大臣が秘蔵しているなら、ねだれば見せてくれるでしょうか。」

 主上が余りに惜しんでおられるので、晶子はつい答えた。

 「女院に献上遊ばしたとか聞いております。女院におねだりになればあるいは。」

 その言葉を聞いた主上の顔から表情が消える。

 「そうですか。聞いてみましょう。」

 さり気なくそうお答えにはなったけれど、主上は決して女院にはお話になるまいと思った。事情はわからないながらも、晶子は悟ったのだ。

 自分の言葉はたぶん、主上の心の触れてはならないところに触れたのだと。

 

 天孫、という言葉は、皇室を語る時に決しては外すことのできぬものだ。

 遥か昔、天上の高天原より天孫が降り立った。

 その血と力を継ぐものが、皇室であり帝だ。

 あやかしや神を惹き付ける魅惑を持ち、国に多くの守護を招き寄せる。だから天孫の力の強いことは尊ばれ、喜ばれる。

 源氏はちょっと極端なくらいの強い力を持ちながら、生母の身分が低かったために臣下に下された。

 帝はその源氏の弟に当たり、源氏に生き写しの美貌と、源氏にせまるほどの魅惑の力を持っている。自身も皇女である晶子でもきらきらしく感じるほどだ。

 ただ、そのきらきらしさに惑わされる事はさすがにない。

 晶子には帝に纏わりつく陰の気配が感じられる。帝が至ってお心の正しくお優しい方であるだけに、陰を感じるのは不思議だった。

 帝の御生母の女院は、先々帝の後宮では最も身分高く、最もお若い方だった。先々帝の大宮と同じお年であるはずで、まさに父娘ほどにお年の離れたお后であったのだ。

 お年若のわりにしっかりした方なのか、生母を亡くした源氏の君の母代わりをつとめておられたとも聞く。

 でも、考えて見れば、女院と源氏の君は、それほどに年は離れていない。

 確か五つかそこらではなかったろうか。晶子の母の方が女院よりも年上だったはずだ。

 その母は、源氏に無残なまでに恋着した。

 「恋」に無残はおかしいだろうか。

 けれども晶子は母の恋を思う時、無残としか言いようのない気持ちになる。

 執着して、どこまでも執着して、砕け散るように死んでしまった母。

 母を殺したのは源氏だ。

 すでに危篤に近い母の前で、あからさまに晶子に食指を動かした。その事が母の魂を砕けさせてしまったのだ。

 どうしようもない男。

 その、どうしようもない男を愛してしまった母。

 あのどうしようもない男の目に、女院はどんな風に映っているのだろう。

 なぜかひやりとした。

 女院の最もおそばにいた頃、源氏は確かに子供だった。

 そして今、女院は源氏に対してとても折り目正しい。

 かつて母代わりをつとめたと言うには少々よそよそしい程に。

 もしかしたら。

 そうなら帝の陰の説明はつく。

 けれど、それはあってはならないことだ。

 晶子は思いついてしまったことを、心の深くに封印した。

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