第3話

 今上が絵を好まれること。

 梅壺と弘徽殿がどちらも名画を取り揃えているということは、後宮の外にも段々に漏れ、世間で評判になり始めた。

 双方の後援者に隠すつもりもないのだから当然だ。

 当世風の絵を取り揃えた弘徽殿方。

 古典的名画に重きを置いた梅壺方。

 双方を比べもてはやすうちに、いっそ御前にて比べて見ようという話が出た。

 御前にての絵合わせに寄せて源氏の選びぬいた絵の数々の他に、あちこちから多くの贈り物があった。

 中でも晶子の心を動かしたのは、院から贈られた絵の一巻だ。

 院から贈られたのは宮廷の儀式を描いた絵の数々だった。古い帝の詞書のついた、美しい絵の中に、晶子自身の関わった儀式の絵があった。

 別れの小櫛を挿す帝と、それを受ける斎宮の絵。

 この斎宮は晶子だ。

 院とただ一度お会いしたのが、この儀式の折だった。


 髪に挿された別れの小櫛。

 振り返らずに京をでなければならない決まり。

 黒木の宮に泊まり、幾度も禊を行いながら進んだ伊勢への道程。

 京から離れる事は晶子にとって、ほっとする事だった。母が心を残した源氏のいる京から離れるごとに、重苦しいものが薄れていくようだった。

 そして伊勢での神に仕える日々は晶子にとって好もしいものだった。

 静かに心身を整えて、ひたすらに神に仕える。無心にひたすらに神に向き合っていると、しん、と心が静まってゆく。

 全ての雑念が消え、残るのはただ晶子と仕えるべき神のみ。

 何かのためというのではなく。

 何かを神に願うというのでもなく。

 ただひたすら仕え、無心に向き合う。

 その生活はきんと冷えた清水のように、晶子の渇きを癒やした。

 そうだ、晶子は渇いていたのだ。渇いて、ひどく傷ついていた。

 母が父以外の男を通わせていることに。

 母が自分以外に執着していることに。

 京から離れたのが良かったのか、それとも清浄な斎宮の空気に浄められたのか、母の乱れた心も静まったようなのが晶子には嬉しかった。

 今上の御世長かれと晶子ほどに真摯に祈っている者も珍しかったろう。

 叶うことなら晶子はずっと斎宮でありたかった。母と二人、ずっと伊勢で暮らしていたいと願っていた。


 今思えば。

 母から落ちた源氏への執着は、もはや母の命そのものだったのかもしれない。

 だって母は死んだのだ。

 晶子がわずか数年で終わった斎宮の任を解かれて京に戻ってすぐに。最期に残った生命をかき集めて、血を吐くような遺言を遺した。

 その結果、晶子は今上の女御として梅壺にいる。

 一巻の絵は晶子に来し方をしみじみと考えさせた。

 斎宮の清浄は後宮では望むべくもない。

 宮廷という場所は人の欲や恨みの吹き溜まったような場所だ。

 いかに天孫の血に浄化の力が宿ろうとも、それだけではどうしようもない程に、濃く重くたれ込める穢を生み出し溜め込み続けている。皇族だけでなく宮廷の高位高官のかなりが見鬼である事を思えば、宮廷の状態などわかりきった事であるはずなのに、それでもどうする事もできないのだ。

 それどころか、力が強いが故により強力な物の怪を生み出している節もある。

 静かに生きていきたい。

 そう望んでいた、今も望んでいる晶子にとってはどうにも不本意な環境であるとしか言えない。

 ざわざわと、物の怪はざわめく。

 ただ、帝と源氏の現れる時だけはピタリとざわめきが止む。

 物の怪よりもよほど厄介な源氏はともかく、帝の訪れはそういう意味でも晶子にとっては好ましかった。

 二人の天孫の光は強い。自身が内親王であり、元斎宮であり、当然ながら天孫の光を宿す晶子が、眩く感じるほどの光だ。

 そのまばゆい光を宿すのが帝という物静かな少年であることを、晶子は少し嬉しく思う。精霊などもよく見ておられる帝は、彼らが自分の光を好むのを知って、わざと近づかれたりもする。自分の光に群がる者たちが、喜んでいるのが嬉しいらしい。

 その、澄んだ優しいお心根を感じるたびに、晶子もまた嬉しくなるのだ。

 ただ無心に向き合いお仕えした神も、晶子の事をこのような眼差しで見ていて下さったならいいと思う。

 周りが騒ぐほどに晶子の心を揺らすこともなく、絵合わせの日が訪れた。

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