秋の梅
真夜中 緒
第1話
初めてはっきりとお顔を見たとき、鋭い針で胸を刺されたような痛みを感じた。
まだ幼い、少年らしい顔立ちの中に、驚く程に静かで暗い瞳がある。歳の離れた兄の源氏の君に生き写しの姿なのに、その瞳だけがまるで似ていなかった。
たぶんあの痛みを感じた瞬間に、晶子は恋に落ちたのだ。
入内を打診された時、晶子は迷うことなく受けた。
拒絶して、なんになると言うのだろう。後ろ盾であった母を失ったというのはそういうことだ。晶子のもとには何人かの殿方から恋文めいたものが届いていたし、その中には上皇もいらしたけれど、その誰かに応えようという気持ちも、晶子は持っていなかった。
もしも、晶子自身に身の振り方を決める自由があったなら、晶子は一人静かに生きる道を選んだろう。それは本当なら叶えられない話ではなかったはずだ。
内親王で、もと斎宮。
むしろ独り身を通す方が普通ではないか。
もっとも、源氏という後ろ盾のある今、それは適切な身の振り方とは言えなかった。
「どうか間違っても、内親王をご寵愛くださいませんように。色めいたお気持ちでは決してお世話くださいますな。」
母の絞り出すような遺言を、晶子は忘れることができない。
目は御簾越しに源氏を見据え、無念さが滲み出るようだった。声は張りを取り戻し、一言一言を刻み込むように絞り出す。
すでに消え入るばかりに弱っていたはずの母に残っていた思わぬ力に、晶子は総毛立った。
もっともそれが母の最期の生命を削ったようで、力尽きて倒れたまま、数日後目覚める事なくに息絶えた。
母の懸念が正しかった事はすぐにわかった。
源氏は口実を設けては晶子ににじり寄って来る。晶子は徹底的に拒絶し、女房の複数いる場所以外では決して会おうとしなかった。
それでさすがの源氏も親代わりの後見人に徹する事に決めたようで、入内の話を持ち込んで来たのだ。
この際、源氏から離れられるなら何でも良かった。
さすがに今上の女御となれば、源氏も手を出してはくるまい。
今上は晶子よりもずいぶん年少で、まだ子供と言っていいような年齢である事は知っていたが、それも気にはならなかった。
もともと独り身で通すつもりでいたのだ。年が違いすぎて男女の仲にならないなら、むしろ望むところだった。
入内の夜に床入りはしても、やはり男女の事などは起こりようもなく、翌日の昼間に局を訪ねて来られた今上と晶子は初めてはっきりと顔を合わせた。
なんて似ているのだろう。
まずその姿が源氏に似ている事に晶子は驚いた。歳の離れた兄弟であるのは知っているが、正に生き写しだ。しかも源氏と同じように天孫の力に溢れてもいる。
それからはっきりと目と目を合わせて。
鋭い針に胸を貫かれるような衝撃を感じた。
目だけが少しも似ていなかったのだ。
どこか暗い、諦めや痛みを感じさせる瞳。
それはいかにも少年らしい今上には不釣り合いで似つかわしくなく、それでいておそらくはその暗さこそが今上の核になっているものなのだとわかった。
「もっと、恐ろしい方かと思っていました。」
まだ少年らしい高めの柔らかな声が語りかける。
「神に仕えた方だとお聞きしていたので。でもあなたは少しも恐ろしげではありませんね。」
「あら、わかりませんわ。」
つい、そんな軽口を言ってしまったのは、そう言う今上が少しがっかりしているように見えたからかもしれない。
「本当は恐ろしいのかも知れません。」
ちょっとおどけてそう続けると、今上が少しだけ表情を和ませた。
「ではあなたがお仕えになった神に代わって、私の事を見てください。そして私に道を外れた行いのある時は、私を諌め、叱ってください。」
晶子は表情を引き締め、静かに手をつかえた。この言葉に応える言葉は真摯でなくてはならない。
「必ず仰せの通りに致しましょう。」
今上が破顔した。
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